『聖剣。それは試練によって与えられるもの。本当の勇気を持つ者にだけ、与えられるものである』
(楽園の伝承より)
ジュリアが落ちたのは、とても広い場所だった。
中央には場違いな大鏡。
その前に立ったジュリアは、思わず笑いが出た。
そこに佇む長身の男をジュリアはよく知っていた。
青みがかった短髪に、広い肩幅。頼れる胸。いつも慈しむように、温かく穏やかに見守ってくれた人。
会いたいと願う人。
「久しぶりだな、アシュレー。元気してたか?」
引きつった笑みで出てくる言葉。
手を伸ばす。その手に、鏡の中のアシュレーが触れる。
温かい体温を感じたように思った。
けれどそれは、勘違いではなかった。
触れた手を、アシュレーが掴んだ。
そしてそのまま、彼はジュリアの目の前に現れた。
生きた、生身の体を持っているように。生前の姿のままそこにいる。
そして、平然とジュリアに剣を向けた。
◇◆◇
ジュリアがアシュレーとコンビを組んだのは、もうずっと昔の話しだ。
ジュリアの無茶をアシュレーがカバーして。二人でなんだかんだと楽しく過ごした。
つい、数ヶ月前までの話しだったが。
ジュリアとアシュレーに、冬の女王からの依頼が来たのは数ヶ月前の話。
アシュレーはこれを断ろうと言ったのだが、なにぶん実入りがいい。
それに、断りきれるものとも思えなかった。
結局女王の下で傭兵として抱えられたのだが、やはり反りが合わなかった。
弱い者苛めがどうのというわけじゃないが、やる事があまりに非道だった。
抵抗できない相手を殺す事はさすがに抵抗がある。
そして報酬は、それに見合うものとは思えなくなっていた。
「もう付き合いきれない。アシュレー、出るよ」
そう言って立ち上がったジュリアを、アシュレーは慌てて止めた。
止めたところで止まる人ではないと分かっていたが、とにかく一度冷静にならなければいけなかった。
「待てジュリア、抜けるにしても考えて動かないと」
「こんなの繰り返してたら本当に人間失格だ。抵抗しない相手に剣を向けるのは、アタシの流儀に反する」
「それは分かっている。だが、もう少し考えよう」
本当に短気というか。思い立ったら即行動という彼女を助けながらきたが、それは並大抵の力ではなかった。
溜息をついて、それでもそんな彼女が好きで、アシュレーは結局苦笑する。
「夜になれば見張りが減る。交代の時間を狙って、人気の少ない裏門から出よう」
「いいわ、それで。言っとくけど、阻む奴は切るわよ」
勇ましい言葉に苦笑し、勇気付けられ、アシュレーは笑う。
こんな日々が、もっと長い時間続くのだと疑いもせず信じていた。
夜になり、二人は見張りをかいくぐって裏門へと回った。
数ヶ月ここにいて、城の内部もくまなく見回っていたのだからそう難しい話ではない。
裏手へ回り、門を前にして、二人は逃げられると信じていた。
その声が、かかるまでは。
「二人とも、仲良くどこへお出かけですの?」
背を氷が伝うように、冷たいものが撫でた。
二人は勢いよく立ち止まり、同時に剣を抜いて身構えた。
「女王……」
夜気の冷たい中に不似合いな、青と白の薄いドレス。
武器などは一切持っていない。
長く優雅な金の髪を靡かせた綺麗な女性は、その青い瞳に深く冷たいものを浮かべていた。
「困りますわ二人とも、勝手に出て行かれては。よもや、裏切りではないわね?」
冷たい笑みに見られると背筋が凍って動けなくなる。
それでもジュリアはどうにか剣を構えて、逆らう姿勢を見せた。
「ジュリア、先に行って」
「え?」
思いがけない言葉に、ジュリアは驚いて隣のアシュレーを見た。
表情に浮かぶ覚悟の色。伝う汗。
どうみても、勝てるものとは思っていないようだった。
「馬鹿言え、殺される」
「先に行って、門を開けてくれ。そうじゃないと逃げられない。大丈夫、少し時間を稼げばいいんだ」
その少しが問題だ。
門まではまだある。守りの兵を倒して開けるにも時間がかかる。
ほんの少しに思える時間が、この相手では命取りになるのだ。
それでもアシュレーは譲る気配がなかった。
そしてジュリアにも、これ以上最良の選択肢は思いつかなかった。
二人で挑めば、二人とも死ぬのは見えている。
「必ず、二人で出よう」
その約束を胸に、ジュリアは走った。
城門までは数十メートル。アシュレーも城門へと走る。ジュリアの援護だ。
ジュリアは鬼神の如き勢いで多くの兵を切った。
だが、女王の兵は不死身。死なぬ兵士をどう退けるかなんてまったく分からない。
「無駄な事をするのね。諦めて戻ってきてはいかがかしら? 今ならまだ、許してさしあげてよ」
アシュレーは構える。余裕の女王がこれ以上近づいてこないように。
女王は、優雅に嘲笑する。
そこには余裕があった。
だからこそ、自分は手を出さずに少し下がった。
代わりに闇夜から現れたのは長身の男だった。
長い黒髪、夜を固めた鋭い黒い瞳。黒い衣服を纏う彼は白銀の長剣をスラリと抜いた。
「……国王直属の四将軍であった貴方が、今では女王の言いなりとは。なんと嘆かわしい事か、ウェイン将軍」
静かなその言葉に、ウェインは一瞬表情を歪める。
だが、戦う意志は消えてはいないようだった。
「最強と言われる傭兵アシュレー。相手にとって不足なし。尋常に、参る」
黒い風が吹きぬけるように、俊敏な白刃がぶつかり合う。
響く金属の高い音、気合の声。それぞれが夜を賑わせた。
ウェインの攻撃をアシュレーはかわし、時に受け、一撃を加える。
だが、ウェインもそれをよく見ている。
二人は対等ではない。アシュレーが僅かに劣っている。
「アシュレー!」
「ジュリア、逃げろ!」
倒れぬ兵に強敵。その強敵を倒したところでその背後にはそれ以上の相手がいる。
アシュレーは考えていた。この場を逃げるいい手段を。
体力も気力も削られる。それでもどうにかしようとするのは、たった一つ大切な者を守りたいという一心だった。
「何をしている、隙だらけだ」
「っ!」
激しい一撃が、高い音と共にアシュレーの剣を弾き飛ばす。
武器を失ったそこへ追い討ちをかけるように、ウェインの剣がアシュレーの腕を貫く。