不意にフラッシュバックする感覚が、懐かしい。
向けられる視線も、穏やかなものだ。
でもさすがにこれは、少しばかし照れる。
「やめろってば。オレ、そんなに子供じゃないんだぞ」
「すいません、つい」
「つい」で甘やかされてちゃこっちの身が持たない。
本気で勘違いしたらどうするんだって感じだ。
「さて、少しスッキリと落ち着きましたか?」
「…あぁ」
「では、寝ましょう。明日も早いですよ」
そう言ってさっさと席を立ち、再びベッドに潜り込むグラディス。ラクシュリもそれに続いてベッドに潜り込んだ。
「グラディス」
「なんですか?」
「その呪い、絶対に解ける。俺は最後まで付き合うから、あんま心配すんなよ」
グラディスは驚きに目を丸くする。そして、背を向けたままのラクシュリを見た。
誰も傍にはいなかった。
誰かを求めた事もなかった。
だからか、最近とても発見が多い。
誰かと食べる食事はどんなに質素でも美味しいとか、誰かの温もりを感じて眠るのは温かいとか、会話が楽しいとか、笑顔は人を優しくするとか。
それを気付かせてくれたのは、小さな彼だった。
「では、私も誓います。私は貴方を、守りますよ」
先に寝息を立てる少年には、この言葉は聞こえていない。聞いているのはグラディスだけ。
そして、その言葉を刻んだのも、彼だけだった。
◇◆◇
リブロス遺跡は、渓谷を行くその先に突然現れる。
威圧的な正面は、馬に乗った軍神が守るように来たものを睨み付けている。
ラクシュリ達は門を潜り、奥へと入る。ここには女王の部下はいない。
グラディスの話しでは、女王もまた神々には敵わないらしく、その加護が強い遺跡や古代の神殿などには入れないのだとか。
だから、ラスの遺跡の中に逃げろとグラディスは言ったらしい。
「それにしても、物々しい作りよね」
中に入ったジュリアの一言だ。
だがそれに相違ない建築物なのだ。
祭壇へと続く廊下。
その廊下の両サイドに等間隔にある柱には、それぞれ神が掘り込まれている。
壁にはレリーフ。壮麗で荘厳。重苦しく張り詰めた空気を感じてしまう。
「ラスの遺跡よりもでかいよな」
「ここは軍神が守る神殿でした。主神がおわす場所だからこそ、これほどの遺跡なんです」
「主神って、なんだ?」
こちらの神話なんてまったく知らないラクシュリが、ポンポンと軽やかなステップを踏みながら問う。
その後ろをゆったりとついていくグラディスは、静かに話を始めた。
「この世界の主神は、雷神です。ベルーン神と言って、厳格な神であったと言われていますが、実際はそうでもないようです。人と飲み比べをしたり、旅人に悪戯したり」
「基本的に自由なのよ、ここの神様。人と競ったり遊んだりは当然だもの」
「ほぇ」
同じ多神教であったラクシュリの故郷だったが、彼の所の神様はそんなに気さくではなかった。
何か、新鮮な驚きがあるものだ。
そうして三人は安全だと言われている祭壇の場所までくる。
ここから先へ通じる道は記されていない。祭壇には燭台が一つあるのみだ。
「私に依頼した人は、この燭台に炎を灯せって言ってたわね。選ばれた人なら緑色の炎が灯り後に紫になるって」
「やって見てください」
グラディスに促され、ジュリアは火打石で蝋燭に火を灯す。
不思議な蝋燭で、赤い炎が灯ってもまったく減ったりはしない。
その炎はゆっくりと赤から緑に変わり、やがて紫に変じた。
ゴーンッという重たい音がして、祭壇の後ろの壁が横に開いていく。
先は明かりのないジメジメした感じの通路だ。
「ここ、行けって?」
「招かれたのは確かですね。慎重に行きましょう」
ゆっくりと歩き出したグラディスの後ろを、ラクシュリとジュリアが続く。
壁には松明があり、それに随時明りを灯せば通路は明るくなっていく。
狭く、二人が並んで歩けるかどうかの廊下は、とても静かで気味が悪かった。
「ねずみの一匹もいないなんてね」
「動物は賢い。危険なもの、近づいてはいけないものには決して近づかない。人間だけがそういう本能をなくしてしまっているのですよ」
三つの足音だけが響く。
そうして進むと視界が僅かに開けてきた。
何か罠でもあるのかと慎重に行く。
そして、グラディスの魔法でその部屋の全体を照らすと、そこは何かしらの呪術に使われた痕跡があった。
二重の円。その中にいくつかの小さな円と、その円を結ぶ線がある。
小さな円の中には何かを象徴したような絵や文字。
線は全て細かな呪文で繋がっている。
「随分と大掛かりな呪術のようですね」
「何かしら」
近づいて、でも触れたりしないように、グラディスが魔法陣へと近づく。
おそらく外円は魔法の効果が外に出ないようにする結界。
陣自体は、何かを呼ぶためのもののように思えた。
「何かを呼ぼうとしていたようですね。大きなものです」
「なぁ、それってさ……」
不意に声がして、ジュリアとグラディスがそちらを見る。
そこではラクシュリが、青い顔をして半笑いを浮かべつつ、暗闇の先を指差していた。
「こんな、変な臭いとか音とかするものじゃないよな?」
目を凝らし、耳を澄ませば闇の中に何かを感じる事ができる。
それはまるで大型の獣を思わせる。
荒い息遣い、赤い瞳、鎖のようなものが擦れる金属音。
そして、ガチャンという音を立てて、何かが外れて急速に突進してくる音を聞いた。
「二人とも避けろ!」
ジュリアの警告に、ラクシュリとグラディスも反応して壁際に飛びのける。
そこへ、黒い風が吹きぬけるような風を感じた。
視界を黒いものが横切り、壁際で鋭い爪を床に突き立てて止まった。
「なんだよ、この馬鹿でかいの」
真っ黒い毛に、赤い瞳。
鋭い牙は人間なんて簡単に噛殺すことができるだろう。
爪は鋭く石の地面を簡単に傷つける。
身の丈は二メートル以上になる。
「おそらくこの魔法陣で呼びつけたのでしょう。祭壇の封印が解けて、トラップも効力を発揮したんだと思います」
「そんなの後! 来るわよ」
三人の標的を見つけ、黒い獣は前足をかく。
そして、三人へ向かって突進しはじめる。
鋭い爪を上から振りかざし、叩きつける。
その度に地面は砕けて粉塵が舞う。
それを後ろに飛びのくようにして逃げるが、逃げるだけではまったく意味がない。
見回したところ、ここに外へと逃げる扉はない。