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ラカントの短剣(2)

 ラクシュリが先頭を行き、その後ろにグラディスが続く。

 警戒しながら進むラクシュリ達は、不意に何かの歌を聞いた。


「なぁ、グラディス。声が聞こえるんだけど、なんだと思う?」

「私にも聞こえますが、こんな場所に他に誰かいるのでしょうか?」

「だよな。俺達の他にも誰か落っこちたとか」


 それにしては床は埃まみれ、蜘蛛の巣も張っている。誰かが通ったらしい痕跡がない。


「声の方に行ってみましょう。本当に誰かいれば、今頃困っていると思いますし」

「アンタ、本当にお人好しっていうかさ」


 そのおかげで助かったラクシュリがそれを言うのはどうかと思うが。


「それって、損とかしてないか?」

「損、ですか?」


 不思議そうな顔をするグラディスは真面目に考えだす。

 その姿勢そのものが生真面目というか。嫌いではないが、こういう人は気苦労が多いのも知っている。


「面倒とか、思わないのか? 俺の時もそうだ。わざわざ助けに来る義理はなかっただろ?」

「でも、放っておくのも気がかりでしょ? 行っても大した役には立たないでしょうけれど、何かの助けにはなるかもしれませんし」


 無視したってよかったはずだ。知らなければそれで済ませられる。

 そういう人間は多い。

 それをしないという判断は、逆に難しいと思う。


「まぁ、俺は助けられた側だから感謝してる。グラディス、アンタはちゃんと役に立ってるよ。もっと自分に自信持てって」


 ちょっと照れながら言うと、グラディスはキョトンとした顔をして、その後で嬉しそうに笑った。


 細い道をゆっくりと、ラクシュリは道なりに進んでいく。通路は他に枝道もない。

 進むにつれて歌声ははっきりとしてくるようだった。

 徐々に道幅が広くなっていく。

 そうして見えてくるのは、仄明るい、白い石造りの部屋だった。


 白い光に照らされた部屋は静まりかえっている。

 中央には彫刻を施した台座。その台座には一本の短剣が安置されている。


「なんだ、これ?」


 白い柄で、綺麗なアラベスクの模様がついている。

 片刃で身幅は広めで、盗賊が好んで使う物に似ている。

 柄には赤い宝石が埋まっていて、随分と高価な物のようにラクシュリには見えた。


「『ラカントの短剣』と、ありますね」

「どこに?」

「ほら、ここです」


 見れば確かに、この短剣が安置されている台座に不思議な文字らしきものが彫り込まれている。

 おそらくデトラント大陸の文字なんだろう。

 グラディスはそこに指を這わせて、一つずつ丁寧に読んでくれた。


「これは、ラカントがその因縁を断つ時に生まれた短剣だそうです。赤い宝石はラカントが流した涙だと」

「そのラカントってのは、随分登場回数多いけどさ。そんなに偉い神様なわけ?」


 疑問そうなラクシュリに、グラディスは困ったような顔をする。

 その目は少し遠くを、寂しそうに見つめている。


「白の神、善意、正義。ラカントが負うのはこのような意味です。稀に生まれ出て、混乱を鎮める役割を担う」


 白の神ラカントは世界の混乱時に生を受ける。

 半分は神、半分は人間。

 正義を施行し、善意を助けるとされている。

 だがその最も大切な目的は、贖罪だと言われている。

 人々が犯した罪が神の怒りに触れた時、世界は混沌へと飲み込まれる。

 その罪を悲しみ、購うのがラカントの意味。


 過去の伝承にも数回登場しているが、それは名前のみ。

 そこで一度世界は滅びたのだと言う者もいれば、あまりの悲劇に誰も詳細を書き残さないのだとも言われている。


「へぇ、いい奴なんだな」

「いえ。ラカントが生まれたということは同時に、レンカントという神も生まれる事を意味しています」

「レンカント?」


 更に知らない名を聞いて、ラクシュリは難しそうに腕を組む。

 あまりこういう難しい話しは得意じゃない。

 けれど無視するとここでは苦労しそうなので、聞いておく。

 どうも昔話みたいな神話が常識のようだから。


「黒の神、悪意、破壊者。ラカントの対であり、悪であり、世を混乱に陥れるとされています。人が報いを受ける時に現れ、世界を破壊する為にある者。その対である者を殺す為に、ラカントは希望としてある。言い伝えは、このようなものです」


 黒の神レンカントはそのまま神の怒りが具現化したものであり、白の神ラカントの対。

 人に犯した罪を突きつけ、償わせる為に存在する。

 破壊者、悪だと言われているが、それを作り出すのは人間の愚かさであったり、罪深さだったりする。


 古い伝承では、ラカントの数だけレンカントも登場する。

 その姿はおぞましく、行いは卑劣で容赦のないもので、事細かにその行いが残されている。

 それは伝える側の畏怖であり、憎しみからなのだろう。


 救い主であるラカントは破壊者レンカントの罪に胸を痛めてその行為を止めようとする。

 そしてレンカントは対であるラカントを殺さなければ自らの身の破滅を招く。

 この悲劇は混沌の数だけ繰り返されている。


 ラカントの短剣とは、ラカントがレンカントを止めるべくその命を奪った時に、彼が流した涙を使って作られた物であるとその台座には記録されていた。


「なんか、都合よく他人の贖罪押しつけられてる感じだな、それ。いいのかよ」

「それも、運命なのでしょうね」


 難しい顔をしたグラディスは短剣に手を伸ばす。

 だがその短剣は持ち主を選ぶかのようにグラディスの手を弾き返した。


「運命とは、残酷で勝手です。そして、抗いきれない力を持っている。人はそれに飲まれるばかりです」

「……違うね」


 弾かれて僅かに痛む手をもう片方の手で庇うグラディスに、ラクシュリは鋭く言い放つ。

 そして、台座にある短剣に手を伸ばした。

 見えない壁などなく、拒むものなどないように、ラクシュリの手はその短剣を掴む。そして引き抜き、高々と掲げた。


「運命は自分の手で掴むんだ。何であっても。運命だなんて諦めて後悔残して死ぬよりも、掴みたいものを掴みに行って死んだほうが気分がいいだろ。グラディス、アンタはそうじゃないのか?」


 キラキラと輝く女神のように、グラディスの目にはラクシュリが鮮やかに映る。

 歌が、祝福するように華やかに聞こえてくる。


 そして気づいて、悲しんだ。運命とはやはり勝手に回り出すものだと。

 避けて通り、逃げてきたはずなのに決まっていたように出会い、そしてたぐり寄せようとする。

 彼の預言書は何の間違いもなく、勿論外す事もなく、この子の手によって回り出そうとしている。

 ラカントに選ばれた人物は、ラカントを悲劇の舞台に引き上げようとしている。

 そしてそれを感じても逃げようと思わない事が、そもそも恐ろしい運命というものだ。

 そうなるように予め定まっている。


 それでも、グラディスは弱いながらも笑みを浮かべた。


「貴方は強いのですね、ラクシュリ」

「アンタが弱いんだよ、グラディス。そんなんじゃ冒険者なんて務まんないっての」


 カラカラと笑ったラクシュリに頼りなく笑い返したグラディスは、不意に手を差し伸べる。何事かという顔で見るラクシュリに、そっと微笑んで。

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