『ラカント。それは白き神の名。正であり、善である存在。そして、黒き神の対である』
(楽園の伝承より)
翌日、朝日が昇るまで二人は木の上にいた。
外套をしっかりと引き寄せて仮眠を取ったラクシュリは道中あくびが止まらない。
それを見ているグラディスは、微笑ましい光景に笑みが絶えなかった。
「なんだよ」
「いいえ」
柔らかくラクシュリの睨みをかわすグラディス。そんな彼にそっぽを向きつつも、ラクシュリはどこか嬉しかった。
現在この国はとてもそんな穏やかな情勢ではないのだが、ラクシュリは久々に穏やかで優しい雰囲気が気に入っている。
まるで故郷に残した大事な家族を思い出させるから。
「あと少し行けば遺跡の入り口です。入ってしまえばモンスターもいないので、ゆっくり休めますよ」
「休んでちゃ見つけらんないだろ、その樹」
「休息も必要なんですよ。さっきからあくびばかりしていますし」
「俺のことはいいんだよ! アンタの目的達成しないと」
その遺跡にあるユグドラという樹がグラディスの目的。
その目的達成の為にラクシュリは同行している。
どっちかと言えば、無理矢理ついてきたのだが。
でも、人を見る目は確かだとラクシュリは自信を持って言えた。
このグラディスの持つ柔らかく穏やかな空気は、とても親しみが持てるものだ。
懐かしく温かな日だまりのような場所。
しばらくこうしたものに寄り添うことがなかったから、とても心地いい。
いっそこのまま、こいつにくっついて行こうか。
そんな事を考えていたラクシュリは、立ち止まったグラディスに気づかずに背にぶつかった。
決して高くはない鼻をぶつけたラクシュリは鼻の頭を擦りながら前を見上げた。
「ここが入り口ですよ」
「ほぇ……」
見上げた先にあるのは切り立った崖のような場所。そこに少しの亀裂がある。
グラディスはその亀裂を指さして言う。
確かに人が一人どうにか通れそうなもので、獣なんかは入れそうにはない。
だが明らかに、そんな凄い物が眠っている遺跡の入り口には見えなかった。
「ここで本当に合ってるのか? 俺にはただの亀裂にしか見えないぞ」
「大丈夫、合っていますよ」
ゆっくりと歩み出すグラディスの後を追うラクシュリ。
狭い隙間を平べったくなってすり足で進む。ゴツゴツした岩肌が少し痛い。
だが確かに、その先に明かりが見えてきた。
開けた視界に飛び込んできたのは、あの入り口からは想像がつかない厳かな神殿だった。
見事な石柱の上には翼のある美しい女性が微笑み、白い床は仄かに光っている。
石柱に囲まれた真っ直ぐな道を行くと、優しく凛とした女性のレリーフを施した石の扉がある。
「綺麗……」
「ここはロスラー神の神殿です。運命を司る女神です。このレリーフの女性がそうですよ」
片手には書を、片手には羅針盤を。女性はその指し示す先を見ているようだ。
グラディスに続いてラクシュリも神殿の奥へと入っていく。扉はまるで重さのないもののように開いた。
真っ直ぐに伸びた廊下を行けば祭壇がある。そこで行き止まりだ。
「おい、行き止まりじゃないか。どこにその樹があるんだ?」
「ここから奥へ行けるはずなんですけれど。私も実際に来たのは初めてなので」
「なに!」
我が物顔で案内なんてするものだから、てっきり何度かきた事があるのかと思っていたラクシュリは自分がどんなに行き先不明な冒険をしていたかを知って驚愕する。
もしかしたら、到着できないかもしれない。
「大丈夫ですよ、ちゃんと調べてはきましたから」
「調べって……。実際とは違う事だって多いんだぞ」
それでも焦ることなく、グラディスはやんわりと笑って「大丈夫」なんて言っている。
暢気というか、楽観的というか。
軽く頭痛を覚えたラクシュリは頭を抱え、重く息をついた。
「んで、こっから奥に行く道はどうしたら出てくるんだよ」
「確か書物では、この祭壇にある女神を動かすとありましたが」
グラディスの言うとおり、祭壇の上には扉のレリーフにあったロスラー神の像がある。
羅針盤と本を持つ女神。
けれどレリーフとはどことなく違って見えた。
もっと、羅針盤を持つ手が高く上がっていたような……
「首を少し左に傾けて……」
「え! 首ぃ!」
グラディスの言葉にラクシュリは大いに焦った。
なにせ既に、ラクシュリは気になって仕方がなかった羅針盤を持つ腕を持ち上げて動かしてしまった後だったからだ。
ズドンッと床が抜ける。
突然のハプニングに悲鳴を上げたラクシュリとグラディスは真っ逆さまに暗闇の中。
ドンと落ちたその床に強かに体を打ち付けた二人は、腰やら尻やらをさすった。
「あぃたたたぁ……」
「何をしたんですか、ラクシュリ」
腰を摩りながらグラディスはラクシュリに問いかける。
それに、ラクシュリは申し訳なさそうに返した。
「レリーフと比べて腕がちょっと下がってたから、元に戻そうとしたんだよ。そしたらさ」
「罠……でしょうか」
「罠ぁ!」
とりあえず持っていたランプに魔法で火を移すグラディスが先を照らす。
埃っぽい場所で、じめっとして気が滅入りそうだ。
見上げれば落ちてきた場所がかなり高い位置にある。
登るには壁がツルツルしていて足をかける場所がなかった。
「奥へと道が続いています。とりあえず行ってみましょうか」
「だな」
ランプをかざしたその先に、細いながらも道がある。人が一人通れる程度の狭さだ。