「仕事はそれなりにこなしてるか。ラクシュリ……ここらじゃ聞かない名前だ」
「アトラス大陸から今日来たんだよ」
「へぇ、そらご苦労なこった。こんな辺鄙なところに、わざわざ何しに来たんだか」
「辺鄙って……」
この世の楽園を捕まえて辺鄙とは、よく言ったものだ。
だが確かに、今のところマスターの言葉を否定しきれないのだが。
「数年前に冬の女王が王家を皆殺しにして政権を奪ってからは荒れる一方さ。果樹は枯れるし、魔物は多くなるしでな」
「冬の女王?」
首を傾げて問い返したラクシュリに、マスターは深刻そうに頷いて小さな声でそっと耳打ちをした。
「おっかねー女王様さ。魔女でな。数年前に王家を皆殺しにしてこの大陸を私物にしたのよ。傍若無人に振る舞って、気に入らない奴は殺す。私兵だってまるで死人みたいなのばっかでよ」
「へぇ……」
どこも似たようなものだ。ラクシュリの正直な感想はそんなものだ。
「でも、おかげでギルドの仕事も増えたんだがな。ここらじゃホワイトウルフが増えて困ってる」
「ホワイトウルフか」
腕を組んでラクシュリは考え込む。だがしばらくして、ポンと手を打った。
「何頭狩ればいいんだ?」
「十頭で五百ウォンだ。尻尾を証として持ってきな」
「よし、その依頼引き受けた」
五百ウォンもあれば一週間は宿屋に泊まれる。初日の仕事としては十分なもの。多少のリスクはあるだろうが、蹴るのは勿体ない。
「場所はここから北東に行った所にあるラスの森だ。無理すんなよ」
「おうよ、任せとけ!」
軽くスツールを降りたラクシュリはパタパタとギルドを出て行く。そして、北東にある森へと足早に向かっていった。
◇◆◇
ラスの森は鬱蒼とした暗い森で、あまり日の光が差し込まない。ちょっと気分まで鬱になりそうだ。
夜になると更に寒さが厳しくなり、焚き火をして外套に身を包んでも足先から震えがくる。
ホワイトウルフは夜行性で、群れで行動する。動きは俊敏、鋭い牙に要注意だ。体長は平均一メートル程度。
ラクシュリが知っているホワイトウルフに対する知識はこんなものだった。
焚き火に当たりながら干し肉のスープを飲み込んでいると、どこからともなく複数の遠吠えが聞こえ始める。おそらくホワイトウルフだ。
素早く火を消し、闇に紛れて息を殺し、ラクシュリは身軽に木の枝に掴まってヒョイヒョイと登り始める。
狼どもは共通して木登りが下手だ。こういったタイプは火や肉の臭いでおびき寄せ、上から矢で仕留めるのがマニュアル通りの方法だ。
しばらくすると爪の音とともに大型の獣が近づいてくるのが分かった。警戒して辺りを見回すと、闇に映える白い毛皮を持つ大型の狼が数頭近づいてくるのが見えた。
「これで半分。ひもじい思いをしなくてすむや」
弓を構えて矢をつがえる。ラクシュリは夜目が利く。よく狙えば難なく討ち取れる。
静寂を切り裂く風の音。それは間違いなくホワイトウルフの眼球へと突き立って倒れた。
「よっしゃ!」
小声でガッツポーズ。だが、そこからは状況が一変した。
突如した遠吠えは森のあちこちからし始める。まるで森全体が音を発しているような錯覚に陥った。一頭がやられた事で警戒でもされたのか、急に動きが変わった。
「なんのこれしき!」
矢を取って正確に狙いを定め、射る!
だが狼はその風を裂く音を聞き分けてでもいるのか、素早く左右へ逃げていく。
それどころか矢の飛んでくる方向へとジグザグに走って近づいてくる!
「おい、ちょっと待て!」
ゴンッ! という音と共に激しく揺れる木。ラクシュリは慌てて枝にしがみついた。
狼達は体当たりしては離れて、再び体当たりという事を繰り返している。
かわるがわるやられれば負荷のかかっている枝は脆く折れやすくなって当然だ。メキメキ音がし始める。
だからといってこの揺れの中で他の枝に移ろうとすれば足を滑らせて落ちそうだ。
なんにしても、落ちるのは確定なんだろうが。
バキッという音と共に折れた枝。
ラクシュリは予期して枝を蹴って体勢を整えて着地する。
そしてすぐさま弓を横に構えて矢をかけた。
どこまでやれるか分からないが、やらなきゃ食われる。
高鳴る心音を押さえつけて、頭の中はクリアに。
木に背を預けて真っ直ぐに前を見たラクシュリは、ジリジリと忍び寄るホワイトウルフを睨み付けた。
飛びかかる狼の目を狙って射かけ、直ぐにつがえてまた射るを繰り返す。
それでも三方からの攻撃をしのぐには限界がある。当然矢だって限界がある。
丁度十頭目のホワイトウルフを倒した所で矢が底をつき、素早くラクシュリは太股につけているホルダーから投げナイフを手に取る。
接近戦となれば体の小さなラクシュリは不利。力の面では絶対に負ける。
逃げる方法を考えているのだが、数が減らないのではどうしようもない。
少しでも隙を見せれば胃袋行き決定だ。
襲い来るホワイトウルフを狙いナイフを投げる。百発百中、得意のナイフだ。
けれどこれも十本程度しかない。ナイフも底が見えると、残るはダガーのみだ。
考えろ、考えろ! ない頭でも絞れば何か妙案が出るはずだ。
必死に自分を追い込むのだが、どう考えても無理なものは無理だ。
もし背を向けようものならその瞬間に食われる。
上手く木に登れたとしてもさっきと同じ事をされれば結果は同じ。
森を走るなんてもってのほかだ。こいつらの足には敵わない。
絶体絶命
そんな言葉が頭をよぎる。
焦りを感じ取ったホワイトウルフが高い跳躍から牙をむく。
どうにかダガーで凌いだが、腕が痺れてよろめいてしまう。
尻餅をつきそうになるそこへ、二方向から牙が迫った。
背は木にぴったりとつけている。逃げられない、避けられない、凌ぎきれない!
ラクシュリは腕で顔を庇い強く目を閉じて運命を呪った。