進路指導室へ呼び出されていた有希は、少し遅れてやって来た。進路志望表に漏れがあったらしく、担任から遠巻きに注意されたと少しばかり疲れている。
そして、図書室内で長澤と千尋が話している光景にまるで珍しい物でも見てしまったかのような顔をする。二人が会話していること自体が貴重なんだけれど、そもそも長澤が肩を振るわせて笑いを堪えている姿なんて、今世紀初だ。眼鏡の奥はいつもは冷静沈着で、何を考えているのか分からないのに。
「な、何?! 長澤君が爆笑するなんてよっぽどだよ。千尋、何したの?」
野次馬根性丸出しで、有希が二人の元へと駆け寄って来る。カウンターの中の図書委員が、その足音の主を確認するよう、ちらりと顔を上げていた。
「別に何も……塾の席順について話してただけだよ」
「ふぅん?」
有希には席替えがあったことはすでに話していたから、千尋の言う説明に納得したようなしていないような微妙な表情をしている。
結城花音が澤井茜に嫌がらせしているという噂は話したことがあっても、長澤から今聞いたばかりの話は、さすがに自分の口から言える訳がない。有希に対して、誤魔化すように笑う。まだ昨日の今日だし、今の段階では何とも説明し辛い。別に今のところはまだ、相川とは挨拶程度のやり取りしかしていないのだから。
不信な表情を見せつつも、有希は長澤の二つ隣の席に座ると、横に置いた鞄から一冊の単行本を取り出す。そして、栞を挟んだページを開き、静かに読み始める。前回の部活でここで借りた本は今日の放課後に読み切ってから、また別のを借りるつもりだと休み時間に話していた。
表紙を覗き見てみると、来シーズンにドラマ化決定が発表されたばかりの恋愛小説だ。有希はメディア化された物を中心に読み漁ることが多い。
「先に読んでおくと、ドラマが2倍楽しめるんだよ。原作との違い探ししたりとか。再現度が高いと、めちゃくちゃ感動するし。イメージとキャスティングが違ってても、またそれはそれで面白いんだよねー。で、後で読む場合はね、あのシーンは実はこういう心情だったんだぁって、さらに物語の深みを理解できるっていう良さがあるんだよ」
以前、選書基準がミーハーだと揶揄った時に、めちゃくちゃ熱く反論されたことを思い出す。あまりにも熱く語るから、千尋も以前見た映画の原作本を試しに有希から借りてみたら、まんまと原作沼に嵌められてしまった覚えがある。その後、続刊までを週末に一気読みしてしまった。
――そう言えば、その時に海斗の家でミケを見つけたんだっけ。
本の続きを有希の家へ借りに行く途中で、島田家の二階の窓に三毛猫の姿を見つけて、ミケの飼い主が海斗だったと知ったのだ。
数ページを読み進めた後、有希は隣の椅子に置いていた鞄を膝の上に乗せて、こっそりとスマホを眺め始める。メッセージや着信を確認する為じゃなく、カバー裏に取り付けたスマホチャームに口元が完全に緩んでいる。
3月14日の放課後。下校しようと教室を出かけた有希は、廊下で待っていた海斗から呼び止められた。そして、手の平サイズのギフト袋を渡されていた。ライトブルーの袋にシルバーのラメ入りリボンが結ばれていた。
「これ、こないだのお返し。妹に選ばせたから、どうか分かんないけど……」
照れたようにハニかみながら有希へとプレゼントを渡した後、すぐに走って廊下を去っていった海斗。その後ろ姿を目で追いつつ、有希は首まで真っ赤にしたまま、教室の扉の横でしばらく茫然としていた。チョコの感想を最後に一切のメッセージも来なかったから、お返しを貰えるなんて期待してなかった。「海斗はそういうタイプじゃないよね……」と半ば諦めているようだったから、あまりの嬉しさに発狂することすらできないほど、完全にフリーズしてしまっていた。
中に入っていたのは、スマホカバーに貼り付けるタイプのチェーンチャーム。シルバーのチェーンに赤いリボンモチーフが付いていて、シンプルだけれど可愛いアクセサリーだった。海斗の妹は確かまだ小学生だったはずだけれど、年齢よりは少し大人びた子なのかもしれない。
その海斗から貰ったチャームを速攻で自分のカバーに取り付けた有希は、以来、ことあるごとにスマホを眺めてニヤついている。学校へのスマホ持ち込みは許可制だけれど、必要以上に触るのは禁止だ。授業が始まるギリギリまで眺めている時があるから、遠目に見ていてハラハラする時がある。
勿論、有希が幸せそうにしているのは千尋だって嬉しい。ずっと想い続けてるのを知っているから、なおさらだ。
でも、有希が海斗からホワイトデーのお返しを受け取っているのを傍で見ていて、胸がキュッと締め付けられる感覚がした。有希のスマホが目に入る度、とても切なくなるのはなぜだろう。この感情は有希の親友として失格なんじゃないかと、自分自身を責めたくなる。
有希の隣の席に荷物を置いて、千尋は図書室の本棚を見上げていた。換気の為に少し開けられた窓から冷たい風が吹き込んできて、ぶるっと身震いする。
目星を付けていた本を文庫棚の中に見つけ、それを手に戻ってみると、有希だけじゃなく長澤までもが自分のスマホを見ていた。なんだか難しい表情をしているなとは思ったけれど、気にせず椅子に座りかけた時、眼鏡の分厚いレンズがこちらの方を向く。
「相川から、高山さんの連絡先を教えろって来てるんだけど?」