一コマ目の英語が終わり、次の数学の授業が始まるまでの休憩時間。千尋はまた後ろの席から肩をつつかれた。
「ね、高山さんって、何か部活入ってる?」
塾とは全く関係のない質問に、千尋はきょとん顔で「読書部に」と短く答える。斜め後ろの席を見ると、相川の隣の子はすでに教室の外へ出て行ってしまったみたいだ。だから余計に、その通路を挟んだ向こうからのキツイ視線が突き刺さってくる。
「へー、東中の読書部ってことは、長澤と一緒なんだね。あいつが部長なんでしょ?」
「そう、よく知ってるね」
「うん、大翔とは同じ保育園だったから、まあまあ仲いいし」
眼鏡の奥で何を考えているのかが分かりにくい長澤と、この裏表の無さそうなコミュニケーションの塊のような相川君が幼馴染だと知らされても、二人が並んでいるところはなかなか想像しにくい。
幼い頃の長澤の話も聞いてみたいという興味が湧いてくるが、そんな余計な会話は許さないとでも言いたげな眼光が、斜め後ろで存在感を出していた。間に挟まれている澤井茜が逃げ出したくなるのも無理はない。まさに今、相川の話が途切れた瞬間を狙って、真咲達のところへ移動するタイミングを見計らっているくらいだ。
ふと視線をさらに奥の席へ向けると、困惑している千尋のことをまるで面白い物でも見ているかのように、長澤がニヤけた表情でこちらのことを見ていた。千尋と目が合っても逸らさず、長澤はさらに口の端をにっと緩めて笑い始める。何だか嫌な感じだ。
翌日の放課後、図書室での活動へ久しぶりに参加した千尋は、まだ過去問を貰ったお礼を言ってなかったことを思い出し、部長である長澤へと声を掛ける。単行本を片手に静かに読書中だったが、長澤は眼鏡のフレームを人差し指でくいっと押しながら顔を上げた。
「どう対策していいか分かってなかったから、すごく助かったよ。ありがとう」
「いや、予想以上の結果を出して貰えて、こちらこそ感謝だ。まさか、あいつの真ん前の席に移動してくるとは思わなかった」
「え、相川君のこと?」
「うん、高山さんなら後ろ2列目には来てくれるだろうとは思っていたけどね」
持っていた本を閉じた後、何かを思い出したのか長澤が小さく噴き出す。
「上手くいってもせいぜい、2列目の取り巻きどもを拡散させてくれる程度かと思ってたんだけどね。まさか、真ん前まで来るとは……」
我慢できず肩を震わせて笑い始めた長澤は、カウンターの中の図書委員から「静かに」と注意を受けていた。
普段は表情が乏しいと思っていた同級生が、笑いを堪えた顔で説明していくのを、千尋は呆気に取られながら聞いていた。
「な、あのクラスの雰囲気は異常だろ?」
「そうだね。何か一部の女子が怖いっていうか……」
「でも、あの席順はなかなか変わらなかったんだよなー。あの女子達の席が離れたら収まるって分かってたけど、後ろの順番はいっつも同じでさ。だから、高山さんが入って来たとき、これだって思った」
これまで前3列は激しい席順争いをしていたけど、後ろの2列はほとんど移動無しが続いていたのだという。確か、真咲も同じようなことを言っていた気がする。
「え、私?」と聞き返す千尋へ、長澤が大きく頷く。
「高山さんは冬期講習が終わってから来てないから知らないと思うけど、講習最後に受けたテスト、結構上だったからな」
「え、そうなの? 点数は聞いてたけど、順位までは教えて貰ってない。あれも貼りだされてたんだね」
「だから、模試の問題形式に慣れさえすれば、そこそこまでは来るんじゃないかと――」
つまり、あの雰囲気の悪い女子集団のど真ん中に千尋が割り込んでくれることを期待して、長澤は模試の過去問を差し出して来たのだ。ああいった連中は単独行動は苦手だから、すぐ大人しくなるだろうと。策士長澤的に、千尋は伏兵扱いだ。
けど実際は、女子集団をすっ飛ばして相川の前まで移動してきたのは、想定外だった。
「え、それは何か、ごめん……」
「いや、いい。というか、さらに面白い状況になったから、十分」
眼鏡の奥の眼が、ニヤニヤしている。有能な働きを見せた伏兵に対して、満足しているとでも言いたげだ。
「へ?」
「相川、めちゃくちゃ話しかけてくるだろ?」
「うん。肩をすごいつついてくる」
「高山さん、あいつの好みのタイプだから。入って来た時、同じ中学なんだろって、いろいろ聞かれたし」
「ええーっ?!」と大きな声で叫びたくなるのを、千尋はぐっと堪える。ここはみんなが静かに本を読む為の図書室だ。さらに声を潜めながら、長澤へと聞き返す。
「待って、嘘でしょ?! 私、結城さんから消されたりしない?」
「……それは何とも」
模試の結果表を見せ合いっこしただけで、結城は澤井茜のことを退塾させようとしているのだ。長澤の話が本当だったら、間違いなく今度は千尋が邪魔者に認定されてしまう。こないだ入ったばかりなのに、嫌がらせを受けて追い出されるなんて最悪だ。
「え、私、どうしたらいい?」
「まあ、次の模試でまた席は動くかもしれないけど……相川が二か月も大人しくしてるかなぁ?」
「ちょ、それって、どういう――」
「静かにしてください」という図書カウンターの中からの声に、千尋は慌てて口を塞いだ。