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第22話

 一番前の席にいると、わざわざ振り向かない限りは後ろのことはよく分からない。すぐ目の前のホワイトボードと講師しか目に入らないから、学ぶ環境としては申し分ない。

 だから、教室の最後部で飛び交う陰湿な視線もヒソヒソ話も、最前席の千尋のところまでは届いて来ない。


 強制的に前列に座らされる新入生が、この教室内でのゴタゴタに気付くのは入塾して初めての模試の結果が出た後になる。

 3月の第一日曜に行われた公開模試の結果は、二週間後の授業が終わった後に配布された。教科ごとと5教科総合の偏差値に一応目を通してみるが、初めて受けた模試だったから喜んでいいのかどうかすら分からない。クラス落ちの可能性はなさそうだったから、それに関してはホッと胸を撫で下ろす。


 他の子達はどうなんだろうと振り向いて教室内を見回してみると、嬉しそうにニヤケている子もいれば、少し青褪めている子もいる。神妙な顔で教科ごとの正答率を確認している子もいた。反応は人それぞれみたいだ。


「今回でリーチがかかった人は、間違った箇所をしっかり見直して復習しておくように。でないと、次でクラス落ち確定だ」


 クラス担当の英語講師が、千尋の左隣の生徒に向けて声を掛ける。新入生と一緒に最前列にいる彼はこのクラスでは偏差値順だと最下位で、どうやら今回は基準偏差値を下回ってしまったみたいだ。


 このSSクラスのクラス落ちの基準は総合偏差値で60。でも、それ以下でも全科目が55以上あって、尚且つ一科目でも64を越えていればセーフ。真ん中のSクラスだと総合偏差値の基準は40になるらしい。そして、それ以下はHクラス。


 講師の露骨過ぎる態度で、隣の彼以外の生徒にはクラス落ちの心配はないということだけは分かった。後ろの席から、馬鹿にするようなクスクス笑いが聞こえてくる。前にも思ったが、感じ悪いにも程がある。千尋は自分のことでもないのに、心の中でムッとした。


 その最新の偏差値を元に、翌日の授業前には新しい席順表が教室前へと張り出されていた。一列目の右端にはクラス落ちにリーチが掛かった男子の名前があり、その隣には千尋と同じ時期に入塾した他中学の女子の名前が記されている。


 模試の結果表を家に持って帰って母親に見せた時、「まあまあね。次は、もうちょっと頑張りなさい」という反応だったので、きっと真ん中くらいの席になるかなぁと気楽に考えていた。

 前から順番に名前を辿っていて、自分の名前がなかなか見つからないから「あれ、途中で見落としたかな?」ともう一度最初から見返していく。

 「そんな、まさか」と思いながら、3列目の席に名前を探してみても無く、前から4列目、後ろから2列目の一番左端に自分の苗字を見つけて絶句してしまう。


「へっ?!」


 クラス内順位で言えば、7位の席だ。確かに模試の手応えはめちゃくちゃあった。長澤から貰った過去問を一通り解いたくらいだけれど、類似問題も多かったから良く出来たとは思っていた。でも、だからって後ろの指定席軍団の次の席に自分が座ることになるとは想像してもみなかった。


「えー、高山さん、すごいじゃん」

「その内、一番後ろまでいっちゃうんじゃない?」


 席次表を前に固まっていると、同じ中学の田中真咲、森口柚葉、神代円香がやって来て千尋の快挙に驚いていた。「たまたま解いたことある問題が多かったから……」と謙遜してみせるが、女子達は大きく変わった新しい席順にキャーキャー騒いでいて、あまり聞いてない。


「あ、でも、この席ってあれだよね……」

「ほんとだ、相川君の真ん前じゃん……結城さんが黙ってないよね」


 今まで男子が座っていた席へ、新たに千尋が陣取ることになったのを、真っ先に円香が気付く。三人は「うわー」という同情とも嘆きともとれる顔を一斉に向けてくる。


「と、隣ほどじゃ、ないと思う……よ?」


 しどろもどろに柚葉がフォローを入れてくれるが、疑問形で終わったのが余計に気になってしまう。


「何かあったら、いつでも逃げて来たらいいからね。私達、同じ学校なんだし」

「う、うん……」


 一体、後ろの方の席では何が起こっているのかと不安になる反応ばかりだ。詳しく聞き返そうと口を開けるが、廊下の向こうにその噂の結城花音の姿が見えて、一同は慌てて教室の自分の新しい席へ移動していく。


 変な事に巻き込まれないよう、出来るだけ後ろの席を見ないようにしよう、千尋はそう心に誓う。花音の想い人である相川に関わらなければ、きっと何の問題もないはずだ。


 ――って思ってたのにぃぃ……。


 席について小テストの予習をしていると、後ろの席から肩をつつかれ、名前を呼ばれた。無意識に振り向いた千尋の目の前には、爽やかな笑顔を浮かべた相川の顔。間近に見ると、その整った顔立ちは確かにめちゃくちゃモテそうだ。有希のに負けないくらいサラサラの髪に、少し茶色がかった人懐っこそうな瞳。いわゆる、王子様キャラというやつだ。


「高山さんだっけ? よろしく」

「あ、よろしく……」


 本当に、ただの挨拶だった。それでも、斜め後ろからの冷たい視線を感じて、千尋はゾッと身震いする。ちらっと視界の端に、結城花音がこちらへ向けて睨みつけているのが見えた。

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