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第21話

「えーっ、私も付いていけば良かったぁ」


 海斗に手伝って貰うようになった経緯を有希に話すと、思っていた通りの反応だ。英語の課題ノートの提出日だということを忘れていたせいで、休み時間は千尋のノートを写すのに必死だったくせにと、千尋は呆れ笑いを浮かべる。


「そもそも、一緒に付いてきてたら、有希がプリント運ばされてただけだよ」

「ええーっ」


 わざわざクラスの違う海斗が無理やりに手伝わされることになったのは、他に誰もいなかったからだ。有希と二人でいたら、普通に半分ずつプリントを持たされただけ。職員室内で部活の顧問と話している海斗の存在にだって気付かなかった可能性すらある。

 いつも思っていたが、恋する乙女は自分勝手だ。


 でも、一人で行ったおかげで、千尋は海斗と話すことができた。ずっと気になっていたミケの入院の謎も解けたし、今日の日直で良かったとさえ思える。もう隣のクラスにストーカーのように覗きに行ったりしなくて済むし。


 ――海斗、ちゃんと有希に返事してあげてくれるかなぁ?


 何か一言だけでも返してあげてくれれば、有希の気持ちも落ち着くはずだ。ここ最近の情緒不安定な親友のことは、見ていられない。


 そう思っていた放課後。夕方から塾へ行く用意をしていると、千尋のスマホがメッセージの受信を通知する。自撮り画像を原型が分からないくらい加工しまくったアイコンは有希からだ。


『海斗からメッセージが来たよー。チョコ、美味しかったって!』


 ハートや花火、クラッカーの絵文字だらけのテンション高めのメッセージ。案の定、有希は海斗から返事が来たというだけで大喜びだ。ようやく有希が元気を取り戻してくれたと、千尋は心底ホッとする。



 2月に入って正式に通い始めた塾は、隔月で公開模試がある。これの結果によって教室内での席順が決められ、連続で基準偏差値を下回った場合は容赦なくクラス落ちさせられるから、生徒達は必死で対策する。次の模試は3月に入ってすぐだ。

 授業用の教材と一緒に前年の模試の過去問集は全員が購入させられているから、千尋も当日までにそれを解いてみようとは考えていた。今回は2年生の総まとめだから範囲はかなり広い。


 教室に入って、前列のど真ん中の席の横にリュックを引っ掛けてから席に着くと、読書部でも一緒の長澤大翔が近付いてくる。学校ではクラスも違うし、部活で会っても個人的に話すことはほとんどない。

 だから、どうしたんだろう? と千尋は不思議そうに同級生の顔を見上げた。


 長澤は銀縁眼鏡の奥の眼をわずかに細めてから、手に持っていた茶封筒を千尋へと差し出してくる。


「次の模試は過去問集とこれをやっておけば十分」


 手渡された封筒には結構な枚数のコピー用紙が入っている。「ここでは出すな」という長澤の注意を受けて、封筒の中を覗き込むようにして見てから、千尋は目をぱちくりさせながらもう一度長澤の顔を見上げて聞き返す。


「これって……?」

「一昨年とその前の年の模試のコピー。過去問集と合わせて3年分もやってれば、そこそこの点数は取れるはずだ」

「そうなんだ、ありがとう……って、なんで?!」


 他の生徒が前年の問題しか持っていない中、なぜ長澤がこれを手に入れているのか。それに、どうして千尋にこれを? いきなりのことで意味が分からない。


「うちの姉もKSKの出身だから」


 二つ違いの姉が使っていたやつだからと、長澤は悪びれずに言ってくる。別に講師に頼んだらさらに前の過去問もコピーさせて貰えるらしいぞ、と他の生徒は知らないだろう裏技まで教えてくれた。

 それを聞いて、「ああ、そうなんだ」と納得しかけた千尋だったが、やっぱりそれだけでは腑に落ちない。


「で、なんで私にくれるの?」


 別に同じ中学で同じ部活だけど、そんな親身にアドバイスして貰うほど仲が良かった訳じゃない。同中の子ならこのクラスには他に8人もいるのに、なぜ千尋だけに? 入塾したばかりの新入生だからと、ここまで親切にするものだろうか?


 不審がる千尋のことを、長澤は厚いレンズの下の眼を細めたまま、にやりと口の端を動かす。少し悪戯めいたその表情は、飯塚先輩を言い負かした後の顔とよく似ていた。


「このクラスに居る同じ学校の奴らは見込みがない。過去問を何年分渡したところで、前列組のままだからなぁ」


 まるで他の子達にも過去問の横流しをしたことがある風に言う。でも、あまり結果が出なかったらしく、ちょっと残念そうだ。


「高山さんには期待してるんだから、それくらいはこなしてよ」


 他の生徒の声が廊下から聞こえて来て、長澤はそれだけ言うと最後部の自分の指定席へと戻っていく。スクールバスを利用している集団が到着したらしく、一気に塾全体が賑やかになる。


 長澤から貰った茶封筒の中身をもう一度確認してから、千尋は疑問符が浮かび上がた顔のまま首を傾げる。彼の意図はさっぱり分からないが、とにかく次の模試は前列から少しでも遠い席になれるよう頑張ることだけは決意する。一番前は落ち着かないから、もうコリゴリだ。

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