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第20話

 給食を食べ終わった昼休み、千尋は渋々ながらも職員室へと向かう。一緒の日直の男子からは部活のミーティングがあると言ってあっさり逃げられてしまった。宿題プリントの量がどれだけあるか分からないから、若干の不安を感じながらも職員室の扉をノックして開く。


「失礼しまーす」


 入口近くの席の教師がちらりとこちらを振り返っただけで、誰も返事してくれない。そんなことは気にせず、2年生の担任の席が並んでいる中央へとズカズカ入っていく。あの感じ悪い国語教師は4組の担任だ。担任が毎日あんな調子だと、学校へ来るのも嫌になる。4組でなくて良かったとしみじみ思いながら、頭部が薄くなった丸い頭を探した。


「坂井先生、宿題プリントを取りにきました」

「あれっ、高山さん。もしかして、一人で来た? 何組だっけ?」

「1組です」


 「結構あるけど、女子一人で持てるかなぁ?」と独り言のように呟いている。まさかと思って教師の肩越しに机の上を覗くと、ホチキス留めされた分厚いプリントの束が高さ15センチほどの山を作っていた。


「……うわっ」


 なんで授業の時に先生が持って来なかったんだろうと不思議だったけれど、わざわざ職員室へ取りに来させられた理由がよく分かった。薄いプリントも枚数があればそれなりに重い。


「高山さんだけじゃ無理だよねぇ、誰か他に2年生は――」


 坂井が職員室の中をキョロキョロと見回す。そして、3年の担任が集まっている席に2学年の生徒を見つけると、名前を呼びながら手を振って呼び寄せる。


「おーい、そっちの話しが終わったらでいいから、プリントを運ぶの手伝ってあげてくれないかな」


 教師が呼び掛けた方角に千尋も視線を送る。奥の窓際の席で3年生の担任から何か指示されていたらしい、男子生徒が首を伸ばしてこちらを振り返っていた。少し驚き顔でこちらを見ているのは、島田海斗だ。陸上部の部長をしているから、部の顧問との打ち合わせ中だったんだろう。


 何やら二言三言、顧問教諭と話し終えた後、すぐに海斗は少し照れたように頭を掻きながら2学年の担任達の席のある中央へとやってきた。


「オレ、2組なんですけど――」

「それくらい手伝ってあげてよ。女子一人でこれは可哀そうだろうが」


 嫌がるようなことを言いながらも、海斗は手渡されたプリントの山を素直に抱える。持った瞬間に「重っ?!」と言うから見てみれば、千尋より倍の束を手に乗せられていた。坂井は意外と女子生徒には優しかったみたいだ。


「なんか、ごめん……」

「いや、別に」


 二人並んで職員室を出る際、申し訳ないと謝る。戻ってきたのは素っ気ない返事だったが、海斗とこうやって直接会話するのは初めてかもしれない。小学生の時だって、同じクラスになってもまともに話した記憶がない。


 職員室があるのは、コの字に建てられた校舎の二階の端。階段のある場所へ廊下を真っすぐ歩いてから、2年生の教室が並ぶ3階に向かう。昼休みだから校舎内のあちこちで生徒達が騒ぐ声が響いていて、隣を歩く海斗が何か言ったのを一度ではちゃんと聞き取れなかった。


「え?」


 振り向いて、海斗の顔を見て聞き返す。いつの間にこんなに身長差ができたんだろうか、千尋よりも頭一つ分は高い。冬なのに真っ黒に日焼けした横顔が、少し困ったように歪んでいた。


「こないだ、高山も公園にいたよな? 有希からチョコ渡された時」

「ああ、うん……」


 二人とは離れて隠れていたつもりだったけれど、自転車に乗っていた海斗からは丸見えだったらしい。千尋は少し気まずくなって、廊下の床へと視線を落とす。有希から頼まれて付き添っていただけで、野次馬とかそういうつもりは全く無かったのだけれど……。

 覗き見なんて悪趣味だと批難されるのかと、千尋は身構えた。でも、海斗は事情を知ってるなら丁度いいとばかりに千尋へ聞き返してくる。


「あれってさ、オレ、やっぱ何か返事した方がいいのかな?」


 重みで落ちかけてきたプリントを持ち直しながら、海斗は弱った顔をしている。有希からの話ではチョコと一緒に渡した手紙はとても一方的な内容だったから、海斗もどう反応していいか悩んでいるみたいだ。


「有希は返事が来るの、めちゃくちゃ待ってるよ」

「……だよなぁ」


 やっぱそうかぁ、と天井を見上げながら呟いている。あれ以来、有希は返事が来るのをずっと待っている。そしてそれと同じ時間、海斗はどう返事すればいいのか、悩み続けていたみたいだ。


「せめて、チョコの感想とかでもいいから、送ってあげて」


 きっと、そんな他愛のない返信でも、有希ならすごく喜ぶはずだ。そう言ってあげると、海斗はどこかホッとしたような表情を見せた。


「あ、そんなことより!」


 千尋はハッと思い出したように海斗の方を振り返る。こんなチャンスは二度とないかもしれない。大事なことを聞くつもりだったのを思い出す。


「ミケが入院したって、なんで? 大丈夫なの? 最近全く見かけないんだけど、今はちゃんと元気なの?」


 廊下の端へ詰め寄りそうな勢いで問い出され、海斗はギョッと後ずさっていた。さっきまでの静かなやり取りは何だったのかと思うほど、千尋が急に早口で喋り出すから驚いているようだった。


「ああ、うん。今は元気。入院だって、別に大したことじゃなくて――」

「だから、何で入院してたの? 怪我? 病気?」

「検査入院ってやつかな? 腎臓の数値が微妙だったらしいけど、今は専用のフードに変えたから安定してる」

「……腎不全?」

「ま、ミケも若くないしね。猫にはよくある症状らしいし」


 そうなんだ、と千尋は小さく呟く。安定してると聞いてホッとしたものの、腎不全だって命に係わる病気なのだ。今後は勝手にご飯はあげないようにしようと心に決める。


 話している内に教室の前に着いたので、運んで来たプリントを二人は教壇の上に積み重ねる。これを配るのはもう一人の日直に丸投げしようと室内を見回すと、後ろのロッカーの前で有希が目をぱちくりさせてこちらを見ているのに気付く。海斗が1組の教室に入って来たことに驚くと同時に、なぜ千尋と一緒にいるのかと動揺している。

 後で一から説明させられるんだろうなと、千尋は深い溜め息を吐きながら覚悟する。

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