昨日の夜、千尋は寝る前に机の引き出しからメモの束を取り出した。お菓子の缶へ大事にしまい込んでいた手紙。これまでミケが届けてくれた、海斗とのやり取りはもうすぐ30通を越えようとしていた。
何度読み返してみても、急に誰かに見られても全く困らないような内容ばかり。それでも千尋にとっては一枚一枚に思い出があって、そのメモに対して自分がどう返事したのかまで鮮明に覚えている。
――もし、有希がこれを見せてと言ったら、見せてあげる……?
誰かに見られても平気。でも、わざわざ見せたくはない。このまま秘密の状態にしていたい。それは彼のことがずっと好きな有希には、きっと意地悪になる。好きな人のことなら何でも知りたいのが分かっているのに、それを隠しているなんて絶対に怒るはずだ。「私が海斗のことを好きなの知ってるくせに」と。
それでも、これだけは嫌だ。特に有希にだけは見せたくないと思うのは、もしかしたら友達失格な考えかもしれない。
有希がクラスメイトに昨日のことを話しているのを横で聞いている時、有希が海斗から何の返事も貰ってないと言っていたのに、少しだけホッとした。
きっと有希のことだ、返事があれば速攻で千尋に報告してくるはずだけれど、もしかしてと不安になっていた。
ジワジワと湧き上がってくる黒い感情。親友の恋を応援してあげられない、意地悪な自分が嫌になる。なんでこんな風になっちゃうんだろう、そう考えていると、一つの答えにたどり着いてしまった。
窓の外からは、体育で準備体操している声が聞こえてくる。統一感の無い掛け声はあまりやる気がなさそうだ。
――ああ、私も海斗のことが気になってるんだ……。
どうして有希には内緒にしたいと思うのか。それは千尋自身も、海斗のことが気になり始めているから以外にない。嫉妬心が芽生えてしまうから、親友である有希のことを心から応援してあげられないんだ。
――そっか。でも、だからって、有希に言える訳がないよ……。
有希は小学生の頃から想い続けている。ずっと有希のコイバナを聞かされて来た千尋が今になって、「実は私も……」なんて、これはある種の裏切り行為。今までと同じ仲良しな友達ではいられない。
もっと幼い頃のことなら「一緒に頑張ろうね」なんて言い合えたかもしれないが、もうお互いに中学生。恋心はもっと先の段階へと繋がっていて、一緒に頑張れるようなことは何もない。
普段と変わらないように見えた有希も、今日は鞄からスマホを取り出す回数がやたらと多い。海斗から手紙の返事がメッセージで来ていないかと気になっているみたいだ。
チラチラとスマホの画面を覗いている有希のことを、千尋はわざと気付かないふりする。何かあれば必ず聞いて欲しがる有希のことだから、こちらからはあえて何も言わない。というか、こういう場合は何て言えばいいのか分からない。
ハァと露骨に溜め息をつく有希は、カラーペンを片手に持ったまま図書室の机に肘をついている。新しい展示で使うポップを手書きしているところなんだけれど、良い文章が思い浮かばないでいるらしい。
「この本、千尋も読んでたでしょう? どうだった?」
「えー、あんまり覚えてないけど……幼馴染がやたらいい奴だったかな。最初から最後まで振られっぱなしなんだけど」
「あー、噛ませ馬ってやつか」
「それを言うなら、当て馬。噛ませるのは犬だよ、噛ませ犬」
「ねえ、それって、どう違うんだっけ?」
「……似たようなものだと思うよ、多分」
曖昧な語彙力に、二人揃って不安になってくる。スマホで検索してみると、どちらも負けキャラクターに使う似たような言葉だということだ。まあ、そんなことはどーでもいい。
有希は少し首を捻って考えてから、ポップ用のカードへ『幼馴染がやたらいい奴過ぎて泣けてくる』とオレンジ色のペンを使って書いていく。読書へのおススメとして、メインでないキャラを推すのもどうかと思ったが、本を読んだ後の感想なんて人それぞれ。正解なんてきっと無い。
そして、黒のペンを持ち直してから、その下へと書き足していく。『想いは言葉に。伝えなければ意味がない』
昨日、海斗へ告白の手紙を渡したばかりの有希が書くと、妙に説得力がある文面だ。
書き上がったポップを本と一緒に展示スペースへ並べ終え、有希は窓の方へ駆け寄って真下のグラウンドを眺める。小雨が降り始めていたせいか、運動部はどこも室内練習へと切り替えたらしく、校庭には誰一人いない。
「あ、置き傘はロッカーに置きっぱなしだ」
「私も」
教室を出た時はまだ降ってなかったから、折り畳み傘はそのまま置いてきてしまった。慌てて2年1組の教室へと戻ると、同じクラスの長谷川裕也がリュックを背負ったまま自分の机の中をゴソゴソと漁っていた。
横を通り過ぎる時にちらっと覗き見すると、プリント類がごちゃ混ぜに突っ込まれた机から英語のワークを引っ張り出しているところ。今日出た課題で必要なのを思い出して取りに戻ったっぽい。
「あれ、陸上部はもう終わり?」
「うん、雨降ってるから、今日はミーティングだけ」
長谷川と席の近い有希が、親し気に声を掛ける。千尋とは2年になって初めて一緒になったが、有希は1年の時も同じクラスだったらしい。彼が陸上部で海斗と一番仲が良いのも、有希はちゃんと知っているみたいだ。
もう大半の部員が下校したと聞いて、有希はまたちらりと鞄の中のスマホへ視線を向ける。早く帰ったのなら、海斗が昨日の返事をくれるかもと期待したのだろう。でも、何のメッセージが無いことに、しょんぼりと肩を落としていた。