2月14日は朝のホームルームが終わっても有希は自分の席から離れようとしなかった。いつもなら「宿題写させて」とか「トイレに行かない?」とか、なんだかんだ理由を付けて、窓際の席まで喋りに来るのに……。
教室の中を斜めに視線を送り、廊下側の前から三番目の席を見る。ものすごくスローペースで机の中から現国の教科書やノートを出している有希の姿。見るからに、心ここにあらずだ。
――有希、今日のこと、緊張してるのかなぁ?
放課後に海斗を公園へ呼び出して、チョコを渡してから告白する。そう決めたのは有希自身だ。海斗とは去年同じクラスだったから、その時に作ったSNSのグループ経由で連絡するつもりらしい。クラスの半分は参加していたメンバー一覧の中から海斗の名前を探し出し、友達登録はとっくに済ませてあるみたいで、あとは直接メッセージを送るだけ。
「う、うぅ……緊張するよぉ……」
放課後になるのを待って、いつも千尋とバイバイするT字路にある児童公園で、有希はスマホを片手に顔を強張らせる。朝からずっと考えていたという呼び出し用のメッセージの文面を、恐る恐るといった風に一文字ずつ入力していく。
『いきなりごめんね、渡したい物があるので、東町の児童公園に来て貰えないかな?』
「ねえ、変じゃない? ちゃんと意味通じるかな?」
渡す物が何かはあえて書かなくても、今日が何の日かは海斗だって分かってるはずだ。不安そうな表情をする有希へ向かって、意味はちゃんと通じると思うよと黙って頷き返す。その千尋の反応を確認した後、有希は少し震えているように見える指先で送信ボタンをタップする。
千尋達よりも先に学校を出たはずの海斗はとっくに自宅に着いている時刻。有希が送ったメッセージにはすぐに既読のマークがついた。
そして、
『今?』
返って来たのは、たった二文字。海斗が使っているゲームのキャラか何かのアイコンと共に、メッセージ画面に表示される。
横で見ていた千尋からすれば、素っ気なさ過ぎだと思ったけれど、有希はその二文字だけのメッセージにも「きゃーっ、返事がきたよー」と嬉しそうに悲鳴をあげていた。そして、『うん、今』と海斗へ向けて返信した後、慌ててポケットからミラーを取り出し、自分の髪を整え始める。
「ど、どうしよぉ……緊張してきたぁ」
何度も繰り返して前髪をいじった後、こないだケーキ屋さんで買ったトリュフチョコの入った紙袋を両手で大事そうに抱え直す。
赤色の袋の中に、ピンクの封筒が入っているのがチラリと見えた。有希が海斗へ宛てて書いたラブレターだ。きっと、その中には小学生の頃からの彼への想いが綴られているんだろう。
海斗の家からこの公園まで、徒歩でも10分もかからない。有希はソワソワと落ち着かず、公園の入口付近に視線を送っては、ハァと大きな深呼吸を繰り返している。
「私はあっちにいるからね。有希、がんばって!」
「う、うん……」
遊具の影になる場所のベンチを見つけ、千尋はそこから親友のことを見守ることにした。さすがに手渡す時まで一緒にいたら、ややこしくなるだろうし。
急に離れようとした千尋のことを、有希は不安全開の瞳で見ていたが、もうここまで来たら引き下がれないと、意を決したように大きく頷き返してくる。
ほどなくして海斗は自転車に乗って現れた。黒色のママチャリに、黒のパンツに黒のダウンジャケットで全身真っ黒な出で立ちの海斗は、少し困ったような顔で公園の中を覗き込んでいた。そのまま入口で自転車に跨ったままの海斗へと、すぐに有希は顔を赤らめながら駆け寄っていく。そして、持っていた紙袋を受け取ったと同時に、海斗は一度も自転車を降りることなくUターンして自宅の方向へと走り去っていった。
自転車を降りることなく、ドライブスルーならぬ、サイクルスルーだ。
傍から見れば、ほんの短いやり取り。でも、千尋の元へとやって来た有希は、頬を赤らめながらも嬉しそうに照れ笑いを浮かべていた。
「無事に渡せたよー、ありがとうって言って貰えたー」
「あれっ、告白は?」
「それは、手紙読んでって言った。さすがに直接は無理だよ……」
チョコを渡すのだって3年越しなのだ、同時に告白する余裕なんて無理だと首を横に振る。海斗と久しぶりに会話できた嬉しさからか、有希は普段よりもテンション高めだ。
「絶対に本人を前にしては言えないって分かってたから、手紙にちゃんと書いたよ。えー、でも、返事貰えなかったら、どうしよ……」
上がったテンションが急に下がり始める。
「急に呼び出してごめんねって言ったら、『別に』だって。他にも誰かからチョコ貰ったりしたのかなぁ? もしそうだったら、ヤだなぁ……」
いつにも増して、有希の表情がコロコロと変わる。好きな人へ好きだという気持ちを伝えられた達成感と、今後への期待と不安。いろんな感情が次々にあふれ出しているのが、千尋からもよく分かった。
そんな有希の様子はとても眩しくて、なぜだか無性に羨ましいと思ってしまう。