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第14話

 偶然に道端で再会したけれど、ミケは千尋に付いてこようとはせず、そのままフイと正反対の方へ歩いて行ってしまった。方角的には島田家のある向きだったから、散歩も終わって帰るところに出会ったのかもしれない。

 一緒に家まで来てくれるのかと密かに期待していたから、千尋はかなりの寂しさを感じてしまう。れっきとした他所の家の飼い猫であるミケとは、帰る場所が違う。ミケが家の猫だったら良かったのにと、これまでも何度も思った。


 白色の長い尻尾をピンと立てて、トトトと軽い足取りで歩いていく三毛猫が、角を曲がって完全に見えなくなったのを確認してから、千尋も自宅へと向かって歩き始める。歩きながら、さっき猫の首輪から外したばかりの海斗からの手紙を見返していた。


 ――ミケ、入院してたからずっと来なかったんだ……でも、入院ってどういうことなんだろ? どこか怪我した? それとも、病気?


 もし怪我だとしたら、入院するほどならよっぽどだ。今日みたいに外を出歩いていたせいで交通事故にでもあったのかもと、急に心配になってしまい、来た道を振り返る。勿論、すでに猫の姿は全く見えない。


 それとも病気だとしたら、以前と同じように出歩いていても平気なんだろうか? 家で大人しくしていなくても大丈夫なんだろうか?


 頭の中が猫の入院のことでいっぱいになる。海斗からの手紙は情報量が少なすぎる。千尋が余計な心配をしないようにと「今は元気です」と付け足して書いてくれたのかもしれないが、入院したという理由が分からないままだから、気にするなというのは無理だ。


 だから、翌日の学校では朝のホームルームが終わったと同時に教室を飛び出して、隣のクラスへと覗きに行ってしまった。2組にはそこまで仲の良い友達はいないから、普段はほとんど顔を出すことはなかったはずなのに。


「あれー、高山さんだ。どうしたの、忘れ物? 私ので良ければ貸すよ、何が要るの?」


 塾でも一緒の田中真咲が、教室の後ろの扉にいた千尋に気付き、声を掛けてくる。塾の時はポニーテールにしている髪は今は完全に下ろしているから、制服との相乗効果で少し落ち着いた風に見える。朝一で他所のクラスに来るということは、教科書か何かを借りに来たと思われて当然だ。心配そうに千尋の顔を覗いてくる。


「あ、ううん……」


 どうしたのと聞かれても、即答することができず、千尋は曖昧な表情を浮かべながら真咲には首を横へ振って見せる。「じゃあ、誰か探してるの? 呼んで来てあげようか?」と真咲が再び聞いてくる。丁度いい、真咲へ海斗を呼んで来て貰うようお願いしようかという考えが浮かび、千尋は口を開きかける。が、


「……ごめん、やっぱ何でもない」


 途中まで出かかった言葉を、ぐっと飲み込む。まだ一時間目も始まっていない内から来た他所のクラスの生徒の姿に、教室にいた半数の視線が集まってることに気付いたのだ。


 2組は一時間目からいきなり理科室への移動があるらしく、前と後ろの両方の扉から次々と生徒が出始める。千尋に声を掛けてきた真咲も、クラスメイトが動き出したのに気付いたのか慌てて自分の机へと戻り、教科書類とペンケースを取りに行った。


 その忙しそうな隣のクラスの様子を遠巻きに見ていて、千尋はハッとする。


 ――他所のクラスまで来て、何やってるんだろ、私……。


 昨日の手紙のことが気になったから、思わず海斗のクラスまで来てしまったけれど……。もし海斗を呼び出したとして、何て言うつもり? 「ミケはどうして入院してたの?」って、いきなり聞く?

 猫を介した文通相手が千尋だってことは、ちゃんと向こうも分かってる。だって、以前に千尋に向かって猫の名前を呼んで来たくらいだし。だからって、これまではまともに話したことが無いのに、唐突に声を掛けられたら海斗だって困るはずだ。しかも、学校には関係のない飼い猫の話をだ。


 大好きな猫のことで、少し平静でいられなくなって暴走しかけた。これじゃ、ただの不審者だ。落ち着いて考えてみると、この場にいることがどんどん恥ずかしくなってくる。千尋は慌てて2組の入口扉から離れ、誤魔化すように女子トイレへと向かう。

 トイレに行くついでにちょっと隣の教室の中を覗いてみただけ。どう考えてもそんな風には見えなかったかもしれないけれど、とにかく今日のところはそういうことにして自分自身を納得させる。


 1組の教室へと戻ると、いつの間にか居なくなっていた千尋のことを探していたらしく、有希が聞いてくる。古文のノートを手に持っているということは、宿題を写すつもりだったみたいだ。千尋の姿が見えないから、代わりに別の子に見せて貰ったっぽい。


「どっか行ってたの?」

「うん、トイレに行ってた」


 千尋の答えに、有希は「ふーん」と興味なさげに相槌を返してくる。普段なら一緒に行きたがる有希も、さすがに朝一からだとどうでも良いらしい。

 廊下に古文の教師が歩いて来るのが見えて、二人は急いで自分の席へと戻る。


 窓際の後ろから二番目の席は、窓からの隙間風と冷えた壁のせいで、足下がとてつもなく冷える。天井に設置された空調で頭はポカポカなのに、スカートから出た脚だけが異様に寒い。80デニールのぶ厚いタイツでないとやってられない。前の席の子なんて、タイツの上からモコモコ靴下まで重ねて履いているくらいだ。


 有希の席は千尋とは真逆の廊下側。前から三番目だから教室を斜めに見ればギリギリ視界に入ってくる。


 ――もし海斗に話し掛けたとして、有希には何て説明するつもりだったんだろ、私……。


 あまりに考え無しだった自分の行動に、呆れ果ててしまう。

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