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第13話

 壁面の棚に並べられたトリュフチョコのサンプルBOXを手に取り、有希はマジマジと成分表示などをチェックしている。店の奥のキッチンでケーキと一緒に作られているという商品は、コンビニやスーパーで売っているものほど賞味期限は長くないらしく、今買ったとしてバレンタインデーの翌日までしかもたないらしい。かなりギリギリだ。


「こういうのって、前日に買うのが一番なんだろうけど――」

「売り切れてそうだよね」

「うーん、でもなぁ……」


 サイズ違いが毎日5箱ずつしか販売されないらしく、今もすでに一番小さなサイズが2箱しか残っていない。一番小さいと言っても価格は税込みで1200円。スーパーなら結構大きなのが買えそうだし、中学生のお小遣いではそこそこ勇気のいる値段だ。

 有希は値段と大きさにかなり悩んでいるようだったが、意を決したのか大きく頷いてからラッピング済みの商品を手に取ってレジへと向かっていく。


 去年のように「やっぱり自分で食べちゃった」と笑って誤魔化すつもりは本当にないみたいだ。もしかしたら、一緒に渡す手紙ももう書き終わっているのかもしれない。

 千尋は胸の奥にチクンと針を刺したみたいな痛みを感じた。


 好きな人に想いを伝えること。それは結果がどうであれ、すごく勇気のいる行為で、すごいことだ。有希が自分よりもずっと前を歩いていて、一人だけ取り残されてしまったような寂しさすら感じる。

 いつまでも同じ目線でいると思っていた親友は、千尋の一歩先の世界を見ている。誰かへの想いを認めることはパワーが要る。そして、その気持ちを相手へと打ち明けようとしている有希は、とても眩しくて、とても強い。


 一生懸命な親友のことは、応援してあげたいと思っている。それはすごく当然のことだ。今までだって、ずっとそうしてきたのだから。


 さっき、気になる人とかいないの? と聞かれて、千尋はいないと答えた。でも、頭の中には当たり前のように浮かび上がる存在がいた。それを自分自身で素直に認めることができなかった。好きかどうかまでは分からない。だけど、どうしてあの時、島田海斗の顔を思い浮かべてしまったのだろう。本当に不思議だ。


「ごめんね、お待たせー」


 会計が済み、有希が購入したばかりのチョコが入った紙袋を大事そうに抱えて戻ってくる。深みのある赤色にシルバーの筆記体で描かれた店名入りのショップバッグ。それは今の千尋には全く手の届かないアイテムのように思えた。


 今日は有希が夕方から家の用事があると言っていたから、まだ明るい内に駅前で別れた。なんでも昨日がおばさんの誕生日だったらしく、今夜は家族で焼肉を食べに行くらしい。


「お母さんの誕生日なのにさ、お兄ちゃんが焼肉がいいって言うから……外食って言っても、どうせ食べ放題のとこだよ」


 味よりも量のバカ食い男のせいで近頃は外食がワンパターンだ、とうんざり顔をしていた。千尋には身近に男子高校生がいないからよく分からないが、とにかく高2の兄の食欲が底なしなんだと呆れている。でも、なんだかんだ言ってても、有希の家族はいつも仲が良さそうで羨ましい。


 じゃあねと互いに手を振り合い、それぞれ真逆の方角へと歩き出す。有希は駅前の駐輪場に自転車を預けているらしく、そちらへと向かった。千尋はそのまま自宅へ帰るつもりで、駅前ロータリーをぐるりと回って大通り沿いに歩いていく。


 途中、金木犀の生垣がある家の横を通り過ぎようとした時、足下からカサカサと木が揺れる音が耳に届く。何気なく視線を下げてみると、見知った三色の毛色が目に飛び込んできて、千尋はハッとする。


「え、ミケ?!」

「ナァー」


 生垣下をくぐり抜けて出て来たのは、ずっと会いたかった三毛猫だった。名前を呼ばれたミケは、いつもと同じ甘えた泣き声で、千尋の足へと擦り寄ってくる。


「えー、こんなところで何してたの? 散歩中?」

「ナァー」


 生垣の横でしゃがみ込んだ千尋に、ミケは尻尾と首を伸ばして擦り寄りながら、全身でめいっぱい甘えてきた。久しぶりに触れたミケの柔らかい毛を、千尋は家でするのと同じように優しく撫でる。外で出会っても、ミケはちゃんと自分のことを認識してくれている。それが堪らなく嬉しかった。


 普段の癖で、ミケのことを撫でながら、千尋は猫の首元を探った。赤色の首輪は以前に見た時より少しだけ色褪せたような気がするが、猫の首へ負担にならないよう余裕をもって留められているのは変わらない。この首輪はミケがどこかで引っ掛けたりした場合、簡単に外れるようにできているのだと、以前に海斗の手紙にも書いてあった。

 その首輪の金具のところに、細長く折り畳まれたメモ用紙が括りつけられているのを千尋は見つける。


 ミケと会うこと自体が久しぶりだから、このメモ用紙を見るのはもっと久しぶりだ。首輪を引っ張らないよう気をつけながら、そっとその手紙を外してみる。


『ミケはしばらく入院してました。今は元気です』


「えっ?!」


 海斗からの手紙の一文に、千尋は驚きの声を上げる。しばらく会わなかった間に、ミケに何が起きていたんだろうか? 目の前でご機嫌に喉を鳴らしながら甘えてくる猫は、以前とは何も変わっていないようには見えるのだけれど……。

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