2月に入り、空から降る雪がチラついている夕方。駅前にあるビルを見上げながら、千尋は白い息を吐いていた。駅前ロータリーに隣接する5階建てビルの3階と4階にはKSKの集団塾の教室があり、最上階は同じ系列の個別教室が入っている。よく見ると1階と2階は塾とは全く関係のないテナントオフィスだけれど、屋上の大きな看板と垂れ幕のせいで、この建物全部が塾の物だと勘違いしそうになる。
新学年の講習が始まる今日は、受講に関するオリエンテーション的な授業と小テストが行われると聞かされている。各教科ごとのノートの使い方など、千尋のように学年が変わったタイミングで入ってくる子向けなのだろう。
階段を上がり、エントランスにあった受付で案内された教室へ向かうと、開け放たれたドアの横には席順が書いたA4用紙が掲示されていた。それを確認するとやっぱり千尋の席は一番前で、しかも二人掛けの机が3列並ぶ内のド真ん中。本来の順位だとワースト4位が座る場所。ぼんやりしていたらすぐに講師から見つかってしまう、油断ならない席だ。
「うわっ……最悪」
誰にも聞こえない声で小さく呟く。最前列は覚悟していたけれど、隅っこだと思っていた自分が甘かった。同じタイミングで入塾した子が他にもいることをすっかり忘れていた。多分、新入生は手続き順だろうから、千尋よりも後から入った子が3人もいるってことだ。
「あ、高山さんだー。名前あったからまさかと思ったけど、正式に入ったんだ」
「わー、同じ学校の子、これでちょうど10人になった! このクラス、結構固まってるよね」
教室へ入って速攻で、同じ中学の女子達に囲まれてしまう。みんな学校でのクラスは違うが、それなりに顔見知りではあるし、冬期講習に参加した時にも一緒だった。
中でも小学校も同じだった田中真咲は大歓迎だとばかりに、千尋の手を握ってブンブンと振ってくる。腕を振り回される度に、真咲のポニーテールが大きく揺れていた。
席順表では30人くらいの名前があったから少し緊張していたけれど、その3分の1が知り合いだと言われ、かなり気が楽になった。
「あれ? 冬期講習はもっと居た気がするんだけど……」
「あー、こないだは多かったよね。季節講習しか受けない子もいるし、宮本君とかはトップに入ったって聞いたよ」
「ここ、成績の張り出しあるから嫌がる人も多いよねー」
一番前のド真ん中の席に着いた千尋の周りで、森口柚葉と神代円香が口々に言ってくる。新しく入ったばかりの新入生に、いろいろ教えたくて仕方ないみたいだ。
「どの教科も毎回小テストがあるんだけど、その点数がああやって張り出されるんだよ。10問中7問以上が合格で、それ以下は授業の後に再テストを受けないといけないの」
ホワイトボードの隅に掲示されたA4コピー用紙の表を示しながら、真咲がうんざり顔をする。
冬期講習でも習った覚えのある国語講師は、自分にも中学生の子供がいると話していた。ぱっと見は優しそうなお父さんという感じの、少しお腹がぽっこりした講師は、見た目の印象とは打って変わっていきなりシビアなことを生徒に向かってぶつけてくる。
「カリキュラムの進度もあるから、中3の秋以降のクラス落ちは、もう二度と復活できないから覚悟しろよー」
成績で分けられた三つのクラスは使用するテキストがそれぞれ異なる。入試が近付いてくると受験校対策が中心になるから一度でも下のクラスへ落ちてしまうと、どんなに偏差値が基準を越えても上のクラスに移動することはできない。夏期講習後は落ちたら最後、だ。
教室中に「えーっ」という驚きに似た悲鳴が上がる。そんな中、クスクスと笑っているのは最後列に座っている生徒だろうか。クラスの半分が焦った反応をしているのを、まるで他人事のように眺めている。
「一番後ろの席はほとんど指定席みたいになってて、全然動かないんだよ。だからって、いっつも余裕ぶってて感じ悪い人が多いんだよねー」
「確かに、頭いいのは分かるんだけど……再テストもほとんど受けないし」
真咲達とお喋りしている時に入室してきた一番後ろの席の子達。最後列の6人の中で千尋も唯一知っているのは、同じ部の長澤大翔くらいだ。分厚いレンズの眼鏡が賢そうに見えるなと思ってはいたが、実際にも頭はめちゃくちゃ良かったらしい。ちょっとだけ見直したかもしれない。
長澤は教室へ入ってきた時に最前列に千尋がいるのに気付くと、にやりと意味深な笑みを浮かべていた。何を企んでいるのか、ちょっと不気味だ。
国語講師の忠告にあまり感じ良くない笑い声をあげていたのは、別の中学の子達。真咲達曰く、中でも要注意なのは3位の席を陣取っているロングヘアの女子――結城花音、なのだという。
「クラストップの相川君のこと狙ってるらしいんだよねぇ。小学校からずっと同じらしくて、間にいる2位の子の悪口ばかり言って塾を辞めさせようとしてる、性悪女だから」
「え、怖っ……」
後ろから2列目に彼女の仲良しメンバーが集結しているらしく、席を振り返ってはコソコソと内緒話をしているようだった。授業中はそうでもないが、休み時間にそれをやられると近くの席の子はかなり居心地良くないはずだ。現に邪魔者扱いを受けている2位の澤井茜は、休憩時間ごとに教室を出ていた。
「別に、どっちかと付き合ってるって訳じゃないんだよね?」
「全然。結城さんは小学校の頃から何回も告白して断られてるって聞いたよー。その点ではガッツあるよね」