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「——話は佐倉から聞いてるぞ。俺と話がしたいんだってな」
『多田組』池袋事務所。東京で構えられている三つの事務所のうちの一つだ。ちなみに本部上野事務所、僕が所属する渋谷事務所、そしてここだ。その他にも総長の邸宅にも組員が集められることがある。
僕の目の前にいる男――池袋事務所の組長である泉谷の特徴は簡潔に言って狼だ。動物のような鋭い目付きと野性的な雰囲気。そして相手を脅すことに何の躊躇もしないヤクザの鏡のような男。噂では堅気を恫喝したあと、警察の目など気にせずそいつをソープへ売り飛ばしたこともあるそうだ。
そんな噂を持つ相手に今から発破をかけようとしている僕は、我に返り馬鹿なのかと思う。だがやらないといけないことだ。
佐倉にお願いし泉谷と会った。次にすることは噂の真相を探りながら確かめ、それに乗っかることだ。それが出来れば疑問の真相に近づける。
「はい。実は泉谷組長が滝川会長の暗殺任務を総長直々から任され、それを遂行するためのチームを創設すると聞きまして」
他事務所との交流のときに、「噂だが……」と組員から聞き出した情報。『滝川会』会長滝川元の暗殺任務。それを完遂するために極秘チーム作られるというもの。だがこの情報はまだオープンにはされておらず、正式に号令がかかったわけではないものだ。ゆえん不確かな情報。こいつの信憑性を確実なものへとするため、泉谷に発破をかけるのだ。
泉谷の目が鋭くなる。「どっからそれを聞いた?」
「身内から聞きました」
と決して他の暴力団から得た情報ではないと暗に主張する意味合いと明確な人物像を知られないようにするための言葉。
もし、泉谷の機嫌を損ね、情報元に危害が及ぶことがあったら大問題だからだ。
頭の回転が早いのか、泉谷は誰から聞いた、と言い直した。しても言い方は変えない。仲間内の親しい組員から聞きましたという言葉に変えるだけだ。
沈黙が落ちる。僕は緊張して今にも震え上がりそうだった。
「わかった。それでお前はこれを知って何がしたい」
納得してくれて質問を変えてきた。そこでようやく本題だ。僕は用意してきた言葉を答える。
「その遂行チームに、僕を入れてくれませんか」
「ほう、覚悟はあるのか。俺に玉預けられる覚悟は」
「……」
「何、黙ってんだよ。チームで仕事するうえでそのリーダーの命令に従うっていうのは当たり前だろ。それが命を懸けるものでも。鉄砲玉でも」
玉、とはヤクザ用語で心臓のこと。泉谷は僕に「俺に心臓を差し出せんのか?」と問いているのだ。その言葉に僕は恐怖心で逃げてしまいそうになる。それでもこうして今、立っていられるのは根性だ。
「もちろんです」
「ならこのテッポウで自分の左目貫けよ」
そう言って泉谷はジャケットから拳銃を取り出し、こちらに投げて地面によこした。
僕は呆然として、言葉が呑み込めないでいた。左目を貫くってなんだ。
「なにぼうっとしてんだよ。早くしろよ」
僕は震える手を意識しながら拳銃を拾う。それを自分の左目に向けて引き金に手を付ける。銃口の黒い先端が、視界に定まる。
どうすればいいんだ、これ。
何も出来ないでいると泉谷が恫喝した。「早く撃てや‼」
僕は引き金を引いた——。左目が真っ赤に染まり、そして一瞬で闇に包まれ激しい痛みが訪れる——はずだったが。カス、という音だけで、痛みや閃光が現れなかった。
「すごい勇気だ。その銃は弾が空っぽだったんだよ。これはうちの事務所の度胸試しみたいなもんだ。悪いな」
泉谷は全く悪びれる様子もなく、そう言った。
「お前の話、聞いてやる。今から寿司屋にでも行くか? ちょうど夕飯時だしな。おごってやるよ」
素直に礼を言ったが、内心この野郎がと思っていた。人を試すような人間はろくでもないんだ。その手段も最低だ。だが取り入るためには媚を売るしかない。怒りを呑み込んだ。
車を回すほどの距離じゃねーから、ということで歩いて寿司屋へ向かう。ものの十分で着いた。寿司屋の店構えは豪奢で、人を選ぶような雰囲気があった。暖簾の達筆な文字が、僕を睨むようだ。
入るとそこはカウンターだけの高級寿司で、泉谷が言うにはここの店主は『多田組』の関係者で、どれだけ内部情報を喋っても大丈夫らしい。席に着いて互いに上のコースを頼んだ。
「実は元々、お前を暗殺チームに入れるつもりだったんだ。なぜかって言うとお前が『滝川会』をつぶす上での重要なキーパーソンだからな」
「どういうことです」
「『滝川会』を消すことを画策した半年以上前、四月のことだ。滝川が表舞台から見えなくなって、亜東佳という二年前の八月に『滝川会』に入組した若造がその中心で指揮を取り始めたという情報を入手した。どうも滝川が消えたことと佳の抜擢が関連付いているようで匂う。そこでだ、詳しい情報を得るために、二〇一一年に亜東兄弟と接触し、その兄清から関東最強を奪い取った男を使えないかと佐倉が考え、上層部に伝えた。それが通りお前を強引に勧誘した」
「それで身内を殺すと脅しまで付けて……」
僕は今ここで溜息を漏らしてしまいたかった。そんな裏の話があるのかと悪態を付きたくなる。命張ってここまでやってきて、実はただ他の暴力団をつぶすために用意された駒であると言われて、無性に腹が立った。
「一つ聞いてもいいですか」
「なんだ?」
「どうしてそこまでして『滝川会』に執着するんです」
寿司が机に置かれた。大トロや赤身などが鮮やかに光っている。
「こんなこと、ただの組員には話さないことなんだが……。実は連中が中国のでかいマフィアにパイプを作ろうと模索しているみたいでな。それが叶ったら、うちは非常にヤバイ。中国と日本じゃ裏世界の規模が違う。武器輸入もしやすくなるし、海外を市場にした犯罪マーケットも手広く利用できる。うちもマフィアと一定の関係は持っているが、奴らが持とうとしてるマフィアはその倍以上のでかさなんだよ。うちは劣勢に追い込まれて、時間をかけて収縮していく。日本の経済成長が低迷してる現状、この国でシノギをけずれねぇんだわ。奴ら政治家は散々うちらを利用してきて、でその恩を仇で返すように暴対法なんか作りやがって。結局裏世界の奴らには誰も優しくなんてない。もう廃れていくだけだ」
長い話に、ただ相槌を打つしかなかった。泉谷はヤクザ社会の未来の展望を予想して、悲観に暮れている。だがそれも所詮、犯罪者のたわごとだ。犯罪者は事実や規律を自分の都合のいいように捻じ曲げて解釈する。自分が見ている世界が全てだと妄信しているのだ。それは、認めたくないが自分も例外ではない。相原を見殺しにした時、ああするしかなかったと思い込んだのだ。
赤身に醤油を垂らしてそれを口に運ぶ泉谷。
「小野って今、先輩からしごかれてるか?」
「毎日何かにつけてやられてますよ」
泉谷は笑った。わかるわかる俺もそうだった、と。
「俺は生意気な不良上りでさ。俺のことが気に食わない親父や兄貴に袋叩きにされる毎日だったよ。だからさ、そのしんどさは俺も理解できる」
お茶を飲んで、泉谷は息をつく。
「親父に気に入られようと躍起になって、今の地位になるまで五年かかったよ。幹部職は給料もいいし、それなりに仕事のやりがいもある。夢のある仕事だよ」
——夢のある仕事。それは違うなと思った。犯罪なら筋が通ればなんでもやる暴力団に就いてあらためてこんな最悪な仕事はないと思った。初めて任された仕事が、麻薬の密売だった。指定された場所に行って、目を充血させた主婦と思(おぼ)しき女性や、中学生の少年に万札と引き換えに薬を売った。するとそいつらは喜んで去っていく。その時、僕は人の人生を壊すことはなんて最悪だろうと感じた。初めて汚した手を見つめて、夢も希望もない仕事だなと思った。
泉谷は麻痺してしまったのだろう。他人の人生を壊してしまうことに。それはこの世界で生きていくために持たないといけない処世術だ。正常な心の持ち主ならこの仕事はすぐに心を病んでしまう。
「——お前を暗殺チームに入れてやる。喜べ」
話題を変えて、泉谷はどこか誇らしげに言った。僕はそれに頷いて、「がんばります」とだけ答えた。