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第15話 企みが崩壊。

 翌日。事務所で佐倉に酒を注がれていた。


「今回の成功、嬉しく思うよ。大友から今回のこと聞かされた時には難しいんじゃないかなと思ったんだが。やってくれるとは」


 嬉しさを態度で露わにしながら内心、やはり大友が絡んでいたかと毒づいた。その大友は、壁に沿って立ち仏頂面を湛えている。一瞬、目が合ったような気がしたが、すぐにそらされた。


「そうだ、お前まだ刺青入れてないだろ」

「え」


 佐倉は立ち上がり、ダブルコートを羽織った。大友の横にいた構成員に目を配る。


「こいつに運転任せるから。小野、店に行くぞ」


 佐倉の有無を言わさない迫力に、少々気圧された。刺青なんて入れたくなかったが、若頭に言われては仕方がない。僕は立ち上がった。

 三十代ぐらいの構成員と佐倉が事務所を出る。僕もそれに続こうとすると、大友に呼び止められた。


「おい健二。てめぇ、若頭に気に入られているからって調子に乗んなよ」


 憤りを覚えたが何も言い返せない。ただ、「すいません」と頭を下げた。

 まだ言い足りていない大友に無言で別れを告げて、今度こそ事務所を出る。それからパーキングエリアで組の車の助手席に乗り込む。

 車が刺青を入れる店へと向かう。


「小野はどんな刺青を入れたいのか、考えているのか」

「いえ、急なご提案でしたのでまだ……」

「竜とか虎とかはやめた方がいいぞ。あれは年取ると後悔するってよく言うからな」

「そうなんですね」

「話は変わるが昔の任侠映画とかは見るのか」

「いや……あんまり。そういう暴力描写とかは苦手なので」


 そんなヤクザがいんのかよ、と佐倉は大笑いした。いや、てめえが強引に入組させたのだろうが。

 三十分ほどで五階建ての雑居ビルに着いた。車から降りて、佐倉と共に階段を上り二階にある部屋に入る。

 店構えは閑散としていた。ソファが三つほど入り口付近に並べられ、個室が二つほどあるだけの、質素な空間。

 すると不格好な五十代ぐらいの男が、わずらわしそうに頭を掻いて個室から現れた。


「久しぶりだな佐倉。二年ぶりか?」

「ああ、友三さん。今日の依頼はこいつに掘ってほしいんだわ」


 友三と呼ばれた男が僕の顔をじろじろと見てきて、

「こんな女の子みたいな奴の体に入れるなんて、少し興奮するな」

「友三さん、自身の性癖披露しないでくださいよ」


 友三はふん、と鼻を鳴らして不愛想に「冗談に決まってるだろ」と言った。

 僕は個室に案内されて、椅子に座らされる。どこに入れたいかと訊かれて僕は腕だと答えた。


「これでお願いします」

「なんだこれ、花?」


 僕は携帯の待ち受け画面を見せて伝えた。表示されている画像は、オオアマナという純白の花だった。

 オオアマナの花言葉は「純粋ヴァーチャス」で、ベツレヘムの星という名を持っている。ベツレヘムの星とは、ベツレヘムの街でイエスが生まれた時に輝いた星。

 祝福の街の星の名を持つ花と僕は相容れない。これから先暴力の世界で生きることになる自分にとって純粋さなどとうに消滅するだろうから。だからこそ、一生残る傷として、形にしておきたいのだ。


「女々しい奴だな」


 そう友三は言った。たしかに、そうなのかもしれないなと僕は苦笑した。


◇◇


 二〇一三年一月一日。元日のこの日は、ヤクザの仕事はなく、家でのんびりとしていた。

 インターホンが鳴った。どうせ夏木だろうと思って無視していると繰り返し鳴る。うるせぇなと思って、玄関に出る。そこには大きな袋を持った夏木と、少し疲労感をにじませた北川が立っていた。


「まず一人ずつ要件を聞こう。北川はどうした」

「実は族と『滝川会』でごたごたがあってな。そのことでちょっと相談がしたくて」

 だから北川は疲れているのか。面倒事を抱え込んでいるから。

「で、お前は」

 夏木を見やると「家で正月行事なんて堅苦しくて嫌だからこの家に避難してきたのよ」と言った。

 なんだそれは、とツッコみそうになるが、まあ考えてみるとヤクザの総長の家の正月なんてきっと組関係の人間が集まる仰々しいものなのだろう。嫌な気持ちはわからんでもない。


 と、いうわけで二人とも家に上げる。

 夏木はスーパーで買ったというおせちをテーブルに広げた。三人で食べられるか、と疑問に思うような品数で、きっと数万はしただろう。

 夏木が人数分の皿と箸を取りに行っている間、僕は北川に訊ねた。


「ごたごたってなんだ」

「うちの連中の一部が、『滝川会』傘下の半グレに薬を買ってな。それを知ってそいつらを破門にしたんだが、そいつらがその半グレとつるんでうちに抗争を仕掛けたんだ」


「それで」

「もちろん抗争には勝ったさ。しかしそのことが『滝川会』に知れてうちはつぶされようとしているんだ」

 状況が呑み込めた。『赤城』は半グレではないので薬や詐欺などの犯罪は禁止にしている。それが、相原が総長になったそのあとからより厳罰化され、行ったものは問答無用で破門だ。


 ただ、何か裏で策士めいたことがあったのではないか、と予想する。『滝川会』傘下の半グレが『赤城』に近づいたのではないかと。もしかしたら奴らが『赤城』を邪魔に思っている可能性があるのではないか。日本最大の暴走族だから多方面で様々な暴力団のツテを持っている。暴走族という特性上族上りが地元の暴力団に入るからだ。ゆえに『赤城』は暴力団ではないけれど、その界隈では大きな影響力を持っているというわけだ。OBが暴力団の組長や会長という話も、少なくはない。だからか、今だ現状、全国には勢力拡大が出来ていない『滝川会』が『赤城』を喰ってその巨大組織をつぶし、空いた穴を埋めるように傘下の組織を日本中に置くのかもしれないな。


 しかし、思案したあとでそれの矛盾に気付く。わざわざ組織を作るよりも、『赤城』に取り入って傘下に入れて支配した方が都合がいいのではないか、と。


 わからないな。連中の考えていることが。……そもそも前提が間違っているのか。

 つまりは——情報が足りない。

 机に皿を置いたあとで不愛想に黒豆をつまんでいる夏木に問う。


「お前はこのことで何か知ってることはないのか」

「さあ、おじいちゃんと話なんかしないし……。でも、『滝川会』のことなら一つだけ、おじいちゃんと組員が話していたすごい話があるわよ」

「なんだ」

 夏木は試すような目でこちらを見てきた。それは本当に聞くのか、聞いたら後戻りは出来ないぞという意味合いの。僕は頷き、


「話してくれ」と促した

「『滝川会』の池袋事務所のかしらが、たった入組半年の若造が務めることになったということが暴力団のネットワークで騒然となったのよ」

「どういうことだ」

「その若造というのが、亜東佳。かつての『亜東一家』の副総長だった男」

 暴力団同士では、独自の情報網を構築している。それはマル暴対策であったり、抗争の時に一触即発の状況下で互いの降りどころ、引き際を見極めるために情報を共有しているのだ。


 だから他事務所の情報も当然、組員なら知れるのだが、まさかあの亜東佳が『滝川会』に入って、しかも若頭になっているなんて。驚愕した。

 普通、若頭になるには数年汚れ仕事をこなし、求められる以上の実績を積まないといけない。それには聡明さや、忍耐強さが必要だ。たとえそれが佳に備わっていたとしても、たった半年で若頭になるなんて不可能に近い。よほどのきっかけがあったのだろうと予想がつく。だがそれがなんなのか、わからない


「そういえば聞いたことがある」と北川が口をはさむ。「『亜東一家』の頭が変わって、今は名を変えて『刹那群衆』として活動してるって」

 ということなら、佳の兄、清はどうしているのだろう。頭が変わったなら清も暴走族をやめているということか。佳と同じく組員になったか、半グレに成り代わったかのどちらかだ。あいつが普通の生活を送っていることは、考えにくかった。清は性根から暴力が好きで、それにたまらない快楽を感じていたから。人は快楽には逆らえない。快楽の前では人は理性を失い、それにむさぼるように依存する。


「清はどうしてるんだ?」

「それがね……わからないのよ」

「消息不明らしい」


 夏木と北川が答える。何か裏がある。だがやはりそれを推測し確実なものへと変化させるには、やはり情報が足りない。


「なあ、うちの組が『滝川会』をつぶそうとしている理由ってなんだ?」

 あのホスト店襲撃のあと、佐倉が語っていたことがある。『多田組』は全力で『滝川会』をつぶす、だからお前もこの調子でがんばれ、と鼓舞してきた。その違和感がずっとぬぐえなかった。ここで降りて、互いに利害を一致させたうえで関係を修復させるのが一番だ。報復を繰り返すには、互いにデメリットが多い気がする。二つの組は規模が大きく、二次系の団体も多い。本部が抗争なんてなったら、その二次団体も緊張が走る。すれば自然と円滑に利益が上がらなくなる。そんな状態はもちろん歓迎出来るものではない。


 僕の印象としては、互いに“固着”しているように見える。何に対して“固着”しているのかわからないが。


「それもわからない。そうすることで組にとって何かしらのメリットがあるのはたしかだけど」

 溜息をつく。暴力の世界は理解出来ないことだらけだ。

「北川、もし組と暴力沙汰にでもなればただじゃ済まないぞ。こっちは半端者の不良。向こうは暴力のプロだ。隙を衝かれて族が瓦解する」

 北川は沈鬱に「わかってる」と呟いた。


「夏木に頼みたいことがある。『滝川会』に密偵を頼めないか。あいつらは女の前だとぺらぺら内部情報を喋るからな。『赤城』を崩壊させたくないんだ」


 僕にとって『赤城』は居場所そのものだった。仲間と共に犯罪をしている傍ら、その瞬間に仲間と一体となっているような感覚。それに『赤城』で僕が安心できたのは、相原が作った喧嘩禁止令のおかげだった。僕が族に入った一年後、二〇一〇年に総長になった相原が積極的に喧嘩をしないという命令を施行した。それで僕は暴力から一時的に解放された。それまでは北川などの喧嘩野郎に誘われて他の暴走族に喧嘩を売りに行くことが日課だった。そんな状況をあまり良くは思わなかった相原。全国統一したのだからもう喧嘩はしなくてもいいと考えたのだ。施行されたことで喧嘩野郎は抗争を仕掛けることが出来なくなった。そのおかげで僕は暴力という名の自傷をしなくても済み、それから仲間と語らう方が心の安寧になったのだ。こうして僕を救ってくれた存在を、なくしたくない。


「わかった」

 夏木は一瞬の逡巡もなく答えた。それに内心都合がいい女だな、と思った。



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