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第12話 クリスマス。

 十二月二十五日。クリスマス当日。家族や恋人と愛情を分け与えながら時を過ごす人も多いこの日。

 僕は苛々としながら煙草を吸っていた。駅前のライトアップされたクリスマスツリーの前。聖夜で愛を語らう恋人が浮き立つ広場に、僕は夏木のことを待っていた。

 ——なんでクリスマスまであいつと過ごさないといけないんだ。

 そんな怒りともおぼつかない感情が、胸にひしめいて離れない。

 確かに、夏木とは恋人だ。だがそれは偽りでしかなく。夏木が僕のことを好きでも、僕は嫌いだ。それをわかっていながら、クリスマスデートを持ちかけてきた。どれだけ性格が悪いんだよ。


「ごめん、お待たせ」

 夏木の声。その方を見ず、僕は「別に……」と言って歩き出そうとする。それを夏木は引き留めた。


「何か言うことないの」

 僕は夏木を睨み付ける。これ以上苛々させるなよ。夏木は苦笑して、


「服装や髪形を褒めるとか」

 と、やけに乙女っぽいことを口に出した。そんなことを言えるほど、お前の心は清廉潔白ではないだろ。だが、夏木の髪はいつもより内巻きにカールし、右耳の十字架のピアスが煌めいていて、化粧もどこか大人っぽい。服装も綺麗なトレンチコートで、いつもより全体を気遣っているのがわかった。


「ああ、はいはい。似合ってるよ」

 もう行こうぜ、と今度こそ歩き出す。夏木は全く、と呆れ交じりの声を漏らし僕の隣に続いた。

 夜の街頭が刹那に光る。その照らされる道を歩いていた。目的地は、夏木しか知らない。どこに向かっているのだろうと疑問に思っていると、夏木がある高級フレンチ店で足を止めた。


「今日はここで夕食を食べるから」

「えっ、はあ⁉ 僕こんな店で払えるほどの大金、持ってきてないぞ」

「大丈夫。ここ『多田組』がケツ持ちしてる店だから。組でツケるように言うわ」


 それならまあ安心か。と思い、人生初の高級店へ入店した。

 凛々しい店員が席へと案内する。大人な雰囲気の店に、まだ未成年の僕たちは目立っていた。周囲の視線も、自ずと敏感に感じる。

 席に着いた僕たち。夏木は慣れた様子でワインとコース料理を注文した。僕はメニューを見てもさっぱりなので夏木と同じものを頼んだ。

 ワインを待っている間、夏木が僕の左手の生々しい傷に今更のように気付き、「その傷どうしたの?」と訊いてきた。


「仕事で失敗してさ。お前もよく知ってるだろ。落とし前だよ」

 落とし前。ヤクザの世界では常識で。その酷く偏った常識に今も惑わされ続けている。実のところ大友は僕に、出来もしない仕事を与え、当然のように失敗すると嬉々として落とし前を突き付けてくる。それがヤクザでは新人の洗礼だと言われている。兄貴にしごかれることが。

 そのことを夏木も理解していて、これ以上深くは訊いてこなかった。

 前菜と白ワインが運ばれてきた。そのワインを口に含む夏木。普通なら年齢確認は求められるが、暴力団傘下の店なら犯罪者御用達であるので咎められない。闇のベールに包まれた店なのだ。僕もならって飲んだ。高級ワインなど味なんてわかるわけがなく、深みがあるななんて誰でも思いそうな感想を浮かべた自分。それに少し夏木との身分の違いを感じて、恥じた。夏木は祖父がヤクザの総長だからきっと裕福な家庭だろう。高級品を幼少期からたしなんでいたはずだし、だからこそ僕よりも素養ある言葉が脳裏に浮かんでいるかもしれない。


「夏木、最近学校はどうなんだ? また誰かをいじめてんのか」

 いじめている、という言葉にかすかに眉根を寄せた夏木。事実だろうにそんな過敏に反応しなくても、と思ってしまうような様子で、その時は彼女から潔癖さが見えたような気がした。

「別に……今はそんなことしてないわよ。——というか、あんたは私より彼女のことが知りたいんじゃないの?」

 どこか見透かしているような口調に、少し腹が立ったが素直に、まぁなと肯定した。


「でも聞くと会いたくなるんだよ。記憶からわざと消してる存在に、すがりたくなってしまうんだ」

「純愛ね。その気持ちを私にも傾けてくれると嬉しいんだけど」

 それは無理だ、とか言うのがもう阿呆らしい。僕が、夏木自身に対して嫌悪感しか抱いていないことをわかっていてそう挑発しているのだ。僕はその意図がときどきわからなくなる。彼女はどうして僕を誘惑するのか。そもそもどうして交際を持ちかけたのか。だけどそれを彼女に聞くのは、はばかられる。彼女の踏み入れてはいけない心の闇に、触れてしまいそうだから。


 そして食事を終えて、席を立つ。会計の時に夏木は自分の名を出し料金を払わず二人で店を出た。

 夏木の足取りは大人の愛の園、ラブホテルへと向かっている。僕は無感情にそのあとに続いていく。

 僕たちはそうして夜の泡沫に消えた。


  4


 今日は雪が降った。一つ一つが純白の意思を持っているのに、どこか物憂げで儚さを湛え、そしていつか跡形もなく消えてしまう存在。雨粒の変容形と称するには、不自然さが僕には感じられた。


『赤城』の集会場。代々木公園の一角で、僕と北川は語り合っていた。それはどこか懐かしさを感じるもので、暴走族の頃を思い出していた。


「ほんと、ごめん。僕のせいで相原先輩を見殺しにしてしまったんだ」


 あれからもう一か月は経つ。相原は飢えに苦しみながらもうあの世に行ってしまっただろう。あの廃屋は人知れない場所で遺体が見つからないはずだ。だから警察に見つかって死亡事件としてニュースにもならない。もしかしたら死亡していない可能性も十分にあるが、それを確認しに行く勇気は自分には無い。相原の遺体など、直視出来ないからだ。


「そうか……」

 とただ一言、北川は呟いた。その一言が様々な感情を彩っているように思えて。悲しみ、憤慨、そして後悔。その感情が今北川をぐちゃぐちゃに支配しているのだろう。

 相原と北川の関係は、端的に言って師弟関係のようだった。最初、北川は相原のことを嫌っていた。しかしある抗争をきっかけにして彼は相原を慕うようになった。

「お前は悪くない。全部『多田組』が悪いんだ。だからあまり自分を責めすぎるな。今、酷い顔してるぞ」

 そう言われて自分の顔を触る。その行動を見て北川は笑った。それから煙草の箱を取り出してそれを僕に向けた。「一本吸うか?」

 ありがとうと言って煙草を貰い、口にくわえて火を点ける。煙をはき出すと緊張が和らぐ。


「初めて一ノ宮と出会った時、お前のような絶望の顔をしていた。それが胸に引っかかって、あいつを家まで送ったんだ。そうしないと、あいつは死んでしまいそうなほど脆く見えてな」

 絶望、と僕は繰り返す。江美はこれまで辛い人生を送ってきた。他人から差別を受け、そのせいで常に苦痛が側にいた。死を切望し、その機会をうかがう人生。希望なんてどこにもなくて彼女はあの日、踏切で死のうとした。


「でも、お前と出会ってあいつは変わった。明るくなったよ」

 陰鬱だった江美が、僕との交際をきっかけにして変わった。少しは生きる意味を持てるようになったはずだ。

「北川、あの嘘まだばれてないよな」

 僕の問いに北川は一瞬表情が消えた。なんのことかわからなかったからだろう。しかしその後ああ、と理解して、

「大丈夫だ。最初は不審がる様子だったけど、納得してくれたよ」

「その嘘は、あの子を守るうえで重要なものだから。くれぐれも気を付けて目を配ってくれないか」


「やれやれ、わかったよ」

 やはり、どうも乗り気ではない北川。それもそうだろう。今話している嘘とは、江美の人生を大きく変化させるもので、しかしだからこそついてはいけない嘘だった。たとえ彼女を守るためだったとしても。


 すると携帯の着信が鳴った。今は深夜一時。こんな時間に誰だと不思議に思って電話に出る。

「もしもし」

『俺だ、大友だ。今から歌舞伎町の『RED』という店に来い』

 ぷつんと通話が切れた。要件だけ言って有無を言わさないやり口は、ヤクザだなと感心する。ヤクザは言葉の詰め方が巧みだ。警察のマル暴相手へ口車に乗せて警察内部の捜査情報を聞き出そうとする。その話の上手さにまんまとやられた刑事も多い。口を割ったが最後、その刑事は情報漏洩で懲戒処分だ。

 まだ長い煙草を捨てて、それを地面に踏みつぶした。

「兄貴から呼び出されたから行くよ。今日はありがとな」

「こんな時間に呼び出されんのか? ヤクザって無茶苦茶だな」

「日常茶飯事だよ。これくらい」

 そう言って北川と別れる。公園の入り口に止めてあったバイクに跨って、エンジンをふかした。


 店内は騒然としていた。

 殴られた痛みから苦悶の表情を浮かべる若いホスト。額に汗をかき、焦った様子で室内を駆けずり回るボーイ。床に散らばったドンペリの破片とその液体。その全てが異様だった。


「兄貴、これはどういうことです?」

 険しい表情の大友に声をかけると、目すらこちらに向けず言った。

「襲撃だよ。どこかの組がうちのケツ持ちの店で暴れたんだ。考えられるにそいつは『滝川会』だな」

『滝川会』の構成員が襲撃。いったいなぜだ。なんでそんな目立ったことをしたんだ。つのる疑問を大友にぶつける。

「奴らは例のバイ野郎を殺したことに感付きやがったんだろうな。それで報復だ。手始めにまずぬるいことやって、牽制だよ」

 例のバイ野郎――相原を殺したことに気付いただって。警察にも知られていないことにどうして連中がわかるんだ。それを訊ねると、


「いつまでも姿を見せないバイ野郎のことを疑問に思って、自宅を調べた。けれどそこにもいないこと。そして命じていたうちのシマでのバイに関連付けて、俺らが殺したと悟りやがった、というのが相場だろうな」

 的確な予想だった。それなら頷ける。ヤクザはなんでも筋を通し、やられたら必ずやり返し、相手の出方をうかがう。ただでは引き下がらない連中だ。


 この店のオーナーか、五十歳ぐらいの中年が血相変えてこちらに来た。

「すみません。店がこんなことになってしまい……しばらくの間、上納金を収められるかわかりません」


「大丈夫です。我々のような存在が上納金を貰っているのは店を守るためです。店を守れなかった我々には、また金を受け取る資格はありません。そのことは若頭に伝えておきます」

 不気味なほどの丁寧な口調の大友の言葉にオーナーは安堵し、頭を下げた。

 僕と大友は近くのソファに座る。大友は面倒なことになった、と嘆息交じりに言って、


「若頭に相談するが、きっと俺たちも奴らに報復する。その報復の指揮をお前に任せたい」

「どういうことです?」

「どんなやり方で連中にやり返すか、その立案から実行までやってくれ。期待してるぞ」

「そんな、僕には無理ですよ」

 あ、と大友が半眼で睨んでくる。「俺の指示に盾突く気か?」僕は慌てて否定した。

 報復の連鎖。重ね重ね互いに攻撃し合い、どちらかが折れるまでそれは終わらない。


 そんなものの指揮官をやらされるなんてたまったもんじゃない。ヤクザを指揮するなんて、それが出来るほど僕の玉は座っていない。でも兄貴から言われたならやるしかないのだ。

 大友からもう帰れ、と言われたので店を出た。それからバイクを走らせてしばらくしてアパートに着いた。腕時計で時間を確認する。深夜四時半。また出勤するまで三時間程度。仮眠程度ならとれるか。


 玄関を開けて部屋に入るなり、ジャケットだけ脱いでそのままベッドに寝転がった。ワイシャツの皴など、気にしてられないほど疲労していた。

 目をつむる。すると瞼の裏にぼんやりと江美の姿が浮かんだような気がした。江美のことを思い出して、もどかしくなる。彼女の存在の片鱗だけでも感じたくて、以前購入した音楽プレイヤーで江美がずっと聴いていた曲を流す。イヤホンを耳に差すとドクンと心臓が波打った。歌手の艶美な歌声と、今でも明利に思い出せる様々な彼女との記憶がシンクロして、その情景をさらに美しいものへと変容させた。


 江美のことを想うと夢を思い出す。夢を思い出すと涙がこぼれそうになる。けれど涙はとうに枯れて今ではその感覚だけしか感じられない。

 いつの間にか朝を迎えていた。重い瞼をこすりジャケットを羽織って家を出た。いつも通り車に乗り込む。

 それからしばらく車を走らせて、事務所近くのパーキングに停める。そこからしばし歩く。事務所のビルが見えると、その前に立つ異様なダッフルコートの男が立っているのがわかった。そいつは同業者だと本能が訴えていた。危険な存在だと。

「あなたは『多田組』の方ですね」

「……誰ですかあなたは」

「『多田組』のあなたに一つ、この事務所の若頭に言伝を頼みたい」

「だから、あなたは?」

「あなたと同じ仕事をする、ただの男ですよ。それよりも……。実は『多田組』が『滝川会』をつぶそうとしているという情報を得ましてね。ここからが本題ですが、『滝川会』の会長には御贔屓にしてもらっているんですよ。毎年何千万も寄付してもらってましてね。ですから『滝川会』を消されてしまうと非常に困るんですよね。うちはただの田舎の暴力団で金銭余裕もないですから。そこでですね、もしこのまま『多田組』が行動を移されるのなら、『滝川会』程度の寄付をしてもらってもいいですか」


 僕の質問には答えずぺらぺらと喋る男。ヤクザ独特の詰め方だ。

「若頭に伝えようにも、誰に言われたのかわからないと信用してもらえないので、あなたがどこの組の人なのかだけでも教えてもらえませんか」


 男はしばし黙考して、それから、

「中部地方を締めている『鬼頭会』に所属している者です」

 それから男はでは、と告げて去っていった。僕は男の話を頭の中で反芻しながら事務所へと入った。佐倉と大友が会話をしていた。そこにすみませんと言って割って入る。男が話したことを端的に伝えると、佐倉はテーブルを叩き怒った。

「あの田舎者連中が。たわけたことぬかしやがって」

 怒り心頭の佐倉に、恐る恐る疑問に思っていたことを訊ねる。


「『鬼頭会』って何なんですか?」

「うちはもちろん中部にも事務所を構えていてな、それで古い付き合いの組だよ。事務所を作るときにやれ上納金だ、やれ寄付だの言って金をゆすってきた連中で、うちはそいつらに毎年一千万円ほど金を収めていたんだ。事を荒立てたくないし、組同士の付き合いも大切だからな。それを奴らは勘違いしたのか調子に乗ったようなことを言いやがって……」


 大友が総長に報告しますか、と言うと佐倉が、「そうしてくれ」と頼んだ。

 それから二十分ほどすると、十人のいかにも図体が大きい男たちが部屋に入ってきた。

 その中の一人を、知っていた。黒髪短髪で厳しい顔つき。凍てつくような瞳。気崩したスーツ。その名は上原。かつて『赤城』と一戦を交えた暴走族『日光』の総長だった男。まさか『多田組』に入組しているとは思いもしなかった。

 上原は僕に気付き、「おう」と声をかけてくる。それに応えはしたが、相原のことがあって気まずかった。

 作戦会議が始まる。僕は考えていた案を提示した。

「奴らのケツ持ちしてる店を襲撃しましょう。目には目を歯には歯をってやつ」


 店を襲撃されたら、こちらも同じことをしてやればいい。それで相手がどう出るか、見てやるのだ。

「いいけど、奴らもそんな報復、とっくに予想済みだろうな。店に護衛のヤクザを配置してるだろ。それを把握しなかったら返り討ちにあって失敗に終わるぞ」

「それですけど……」

 一瞬、佐倉の表情をうかがってから、ある人物の名前を口に出した。



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