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第10話 闇金、落とし前。

「お願いします。客から回収出来ていなくて。少し待ってくれないでしょうか」

 竹村という小汚い中年は、地面に頭をこすらせ佐倉に詫びていた。

 僕はこの中年を少し憐れんだ。一回りも年が違う青年に土下座なんて屈辱だろう。ヤクザの世界はどれほど有能に働いたかで序列が決まるいわれがある。佐倉は相当の切れ者で、汚い仕事を頭使ってしのいできた。ゆえの二十九歳という若さでの幹部という位。

 佐倉は苦笑して、「何をたわけたことを言うんだ? 殺すぞ」と威圧した

 殺すという言葉に反応して竹村は肩を震わせる。佐倉なら本気でやりかねない。そう思ったのだろう。佐倉は僕に目配せした。その意図を汲んで、内心嘆息した。胸ポケットにしまわれた拳銃を取り出し、同時にそれへ小音機を取り付ける。竹村は凶器に怯えだす。消音機が付けられているので、脅しではないと理解したのだろう。僕は竹村の右肩に照準を合わせ発砲した。竹村が絶叫する。痛みに喘ぎ、喘ぎ、ふざけるなと恫喝した。それを聞き捨てならないなと言った佐倉は、僕にもう一度撃てと指示を出す。今度は左肩に撃った。また痛みに震えた声が室内に轟く。


 嫌な仕事だ。拳銃の扱いに慣れてしまったことに自分はもう堅気じゃないんだな、と実感してしまう。普通の人生なら触ることのない物。扱う度に自分の心が蝕まれてしまう感覚がぬぐえない。その高い殺傷能力で、いつか人を殺してしまう日が来るのではないかと予感する。

 竹村が肩をかばいながらもう一度地面に屈して佐倉に頭を下げた。


「必ず……来月には上乗せしてお返ししますので」

 苦悶混じりに言われた言葉に、今だ納得していない佐倉は舌打ちして、「次、払えなかった今度こそ殺すからな」と血がしたたり落ちる竹村を睨みつけた。

 上納金を回収出来なかったら、佐倉の責任問題だ。だからか佐倉には焦りが見えた。

 血生臭い暴力の匂い。竹村から溢れる血液の、微かな鉄分の香り。まだ僕の手に握られている発砲したてでぬくもりがある拳銃の感触。部屋中に霧散された硝煙。竹村の従業員の戦慄した顔。それらどれもが現実離れしすぎていて、僕はやはり嫌いだった。


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 その日の夜。水が豪快に垂れる音が洗面所で響く。水に手を触れると冷たさと爽快感を感じ、内面の汚さまでそれで洗い流されるようだった。息をつきながら丁寧に洗っていく。

 深夜十二時。ようやく解放されて帰宅すると、手の不快感を真っ先にぬぐいたくてこうして濡らしている。ヤクザとして仕事をしてから、手の気持ち悪さを感じるようになった。悪行をしたとき、それを表す手を汚すという言葉があるが、まさしくその通りなのだろう。手という触手全てで詐欺をやったり、覚せい剤を売ったり、人を傷つけたりするのだから。

 するとインターホンが鳴った。こんな深夜になんだと思って、急いで手を拭いて玄関へ向かう。扉を開けると両手にコンビニ袋を掲げた愛想の良い男が立っていた。北川だっ

「悪いな、こんな時間に」

 いいよ別に、と言って部屋に上げる。北川は床に胡坐をかいてテーブルに二本缶を並べる。僕はその一つに手を取って、プルタブを開ける。炭酸がはじけて、まるで圧縮されていた世界からの解放を喜ぶような、そんな音が響いた。


「こうしてると『赤城』の頃を思い出すよな」


 どこか投げやりに言ってしまった僕に、北川はただそうだよなとビールを飲んだ。

 僕にとって暴走族の頃の記憶は、良いものだった。妹が殺されるまでは、その環境に甘えて毎日バイクに乗って、車道を蛇行したり、仲間と煙草をつまみに酒を飲んでいた。そのかつての日常を懐古に思いつつ、酒を口に含んだ。


「でも、どうしたんだ。こんな時間に?」

 北川は含みを持たせるような目線を遠くへ投げつつ、「お前のことが心配で来たんだよ」と嘘か本当かわからない言葉を出した。


 何だよそれ、と笑うと、北川もつられて頬を緩ませる。そうだ、この時間が好きなんだ。北川とは『赤城』で出会い、それから喧嘩や言い争いも繰り返したが、衝突した分だけ仲良くなり、今では親友と言える。

 他愛のない話をしながら三本目の缶を開ける。互いにほろ酔い気分だったからか、僕は口が滑ってこんなことを話していた。


「江美ちゃんは大丈夫なのか?」


 北川の表情が険しくなって、ああ大丈夫だよとぶっきらぼうに言った。なぜ急にぞんざいになったのか、僕は遅れて理解した。僕は江美を捨てた。たとえ、それが江美自身を暴力団から守るためだとしても、彼女を傷つけたことに変わりない。それに北川は表にはあまり出さないが、内面では憤っているのだろう。僕は北川に、心が脆い彼女の支えを頼んだ。僕の代わりに彼女が人生を殺さないように、見守ってほしいと。北川はその役目に違和感を覚えているのだ。口には決して出さないが。


 インターホンがまた鳴った。直観的に、あいつかと思って玄関へ向かう。

 扉を開けると見えたのは夏木が手をさすっている姿だった。部屋に上がれと言う。夏木は制服姿で、こんな時間に女子高生を部屋につれ込むなんて、いかがわしいなと思った。


「誰か来てるの?」


 玄関で乱雑に脱がれたニューバランスを見て夏木は言った。それには答えず、リビングへと戻る。

 北川と夏木の目線が交差する。二人は初めて会ったが、互いがどんな人物かは把握している。北川は侮蔑交じりの舌打ちをし、夏木は鼻を鳴らし嘲笑の溜息を漏らす。

「健二、こいつが『赤城』の総長——北川よね。ほんと、醜い顔ね」

 いきなり馬鹿にし始めた夏木に、北川は口角を歪ませた。腹が立っていて、今にも殴りかかりそうな雰囲気を漂わせている。僕は面倒なことになる前に二人を別れさせた方がいいなと思った。この部屋は壁が薄い。喧嘩なんてなったら、翌日騒音で苦情が来るだろう。


「お前が織田夏木、だっけ。親が暴力団の総長で、健二をたぶらかしたんだって? よくやるよな泥棒猫」

「あんた、誰に向かって言ってんの? ただの暴走族の総長ごときが私に嫌味なんて言う資格ないわよ」

「ふざけんな!」

 北川は夏木の胸倉を掴み地面に押し倒した。その勢いで拳を振り上げる。僕は咄嗟にその腕を掴んで、力を込めた。「北川、それ以上はやるな。気持ちはわからんでもないが」

 夏木は襟元を正しながら、「汚らわしい手で私に触れないで」と火に油を注ぐようなことを言った。それを僕は咎める。

「いい加減にしろ。お前らもう帰れ。僕は明日も仕事なんだよ。もう休みたい」

 ストレスが頂点に達していた。今にも倒れてしまいそうなほどの疲労感もある。明日も早い出勤だ。帰ってほしい。


 北川は、「悪い、迷惑かけた」と素直に謝った。こいつは根は謙虚な奴なんだよな。夏木は何も言わず立ち上がり玄関へと消えていった。僕は嘆息し、机に散らばった缶を片付け始める。

 もう深夜一時を過ぎていた。



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