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第3話 音楽

 私はベッドの上で音楽を聴いていた。同じ曲をリピート再生しているので、同じメロディ、同じフレーズが脳にこびりついていた。

 午前三時。深夜独特の静けさ。その静けさが嫌いだった。自分が孤独なのだと再認識してしまうから。だから音楽の力で常に鼓膜に音を震わせる。


「なんで私、生きてるんだろう」


 かろうじて聞き取れた自分の声。健二から言われた、『生き続けるために目標を持つのはどうだろう』という言葉。目標ってなんだろう。今まで夢とか目標とかとは無縁に、空虚に生きてきた。差別される私に叶うものなんてないと思っていたから。だから今更何かを掲げて生きるなんて到底無理だと思えた。


「どうすればいいんだろう」


 疑問を問いかけても当然誰も答えない。これは自分で答えを見つけ出すしかないのか。


「そんなの……出来るわけないし」


 今聴いている曲は、夢をなくした少年がもう一度夢を追い求めるというもので、歌詞には何度も夢の意義について語られている。舌打ちして、音楽を止めた。無音の去来。好きな曲だけど今の自分には夢の意義なんてわずらわしさしかない。


 なぜか頬を、感情を主張する雫が垂れた。それが涙だと自覚する頃には号泣していた。

 泣き疲れて、いつしか眠っていた。すると夢を見た。それは過去の記憶の復元で、ありありと情景が浮かんだ。

 私がガードレールの淵に座り、曇天を眺めている。服装は中学の頃のセーラー服。そういえばこの頃は嫌なことがあったら空を見てそれを忘れるのが習慣だった。

 暗く雲が垂れさがっている空はとうとう雨が降ってきて、制服を濡らし始めた。それでも構わず見続けた。

 バイクのエンジン音。きっと改造車だろう。マフラーから出される排気音が耳につんざくような轟音で嫌悪感を抱く。そのバイクが私の前で止まる。乗っていたのは学ランを着た少年で私を見て手招きした。


「濡れてるぞ。乗れよ、近くまで送ってやる」

 親切なのはありがたいが、同年代の無免許野郎のバイクなんか、怖くて乗りたくない。やんわりと断るが少年はしつこく食い下がる。それに根負けして後ろに跨った。バイクが猛スピードで駆け出す。肌に強く当たる風と雨粒が、心地よかった。

 これで夢は終わった。私はその夢が名残惜しくて、もう二度とは見れないであろう夢を何度も思い起こした。それでも足りなくて、私は土曜日の今日にそのガードレールがあった場所に行ってみようと思った。多分それは夢のバイクの少年が、健二に似ていたからだろう。


 リビングで朝食を取り、それから服を着替えて家を出る。ここから歩いて四十分の場所にあのガードレールはある。

 その道路は坂道になっていて、斜面の上に年季が入った錆びついているガードレールが伸びていた。触れてみると砂で指の表面が汚れた。劣化しているガードレールが、どこか私の心のようだと思った。時と共に汚れていく。

 懐かしいな、なんて感じていると声をかけられた。


「あれ、江美ちゃん。どうしてこんなところに?」


 振り返ると二人の少年が立っていた。一人は健二だ。スーツとネクタイを締めている。なんでそんな律儀な格好をしているのだろうと疑問に思っていると、


「あれ、お前——一ノ宮か?」


 もう一人の少年、こちらもスーツで金色の短髪に、頬に色濃く残る傷。高い背丈に鍛えられていて少し盛りあがっているのが服の上からでもわかる腕の筋肉。そして相原からも感じた“暴力”の匂いが漂っている。


「どうして私の名前を——」


 こんな少年は知らない。疑問に思って首を傾げると少年はわずかに傷ついた顔をし

 健二から話を聞くと、少年の名前は北川というらしい

 かつて健二がいた暴走族『赤城』の総長で年齢は一個上の十七歳

 彼が語っている間にも北川は煙草を取り出し未成年喫煙よろしく吸い始めていた。副流煙が風に流れる。煙が苦手なのでこちらに来ないことを願うばかりだ。

『赤城』は聞いたことがある。たしか日本最大の暴走族にして、だけど半グレには成り上がらない今の時代稀有な存在。構成員は全国で八千人を超えている。そんな暴走族の総長が十七歳だなんて信じられなかった。それに健二とは仲がとても良く、朝方まで酒と煙草を持って語り合うことも多かったそうだ。


 今日はなぜスーツなのかも教えてくれた。元『赤城』の先輩に会いに行っていたそうだ。先輩に会うには服装を正さないと怒られるんだよ、と健二は笑った。

 健二が喋り終わったのを見計らって、北川が口を開いた。


「相原さんがこの前集会に顔出してな。お前のこと心配してたぞ。戻ってくる気はないのか」

「ああ。もう暴力の世界はこりごりだ」

「そっか……あの関東最強のお前がな……」

 えっ、どういうこと。関東最強って健二が? それってすごく喧嘩が強いってことだよね。

「その異名で呼ぶのはよしてくれ。嫌いなんだよ」

「ワリィ、そうだったな」

 しばらく歩いているとバス停に着いた。北川は短くなった煙草を捨てて踏みつぶした。

「——一ノ宮とはどういう関係なんだ?」


 健二は北川の質問に答えずにただ俯いた。それが私はもどかしかった。彼にとって私のことは言葉に出すほどではないのか。

 北川は溜息をついて、

「一ノ宮は夢ちゃんに似てるよな……お前にその気があるんだったら、自分の立場を考えろ。また大切な人を失うぞ」

 感情を殺したような声で健二は「わかってる」と呟いた。

 バスがのろのろと到着した。それに北川は乗ろうとしたが健二の方を見て、


「お前は乗らないのか」

 健二は頷いてから「江美ちゃんと少し話をしてから家に帰るよ」と言った。

「そうか。じゃあまたな」

 バスが発車する。その背中を眺めながら健二は、「江美ちゃんには色々と話さないとね」と決意するように呟いた。

 私は健二の関東最強という異名のことと、あと北川が意味深に私は夢という人に似ていると言ったことが気になる。


「健二君は喧嘩が強かったんですか?」

 そう訊ねると健二は目を丸くした。「江美ちゃんはその手の話は嫌いかと思っていたよ」

「あんまり好きじゃないですけど、健二君のことなら知りたいです」

 健二は笑って、


「そっか。実はね、僕が関東最強なんて言われるようになったのは喧嘩で負けたことがないからで、あと元々関東最強って呼ばれていた奴とタイマンを張って勝ったからなんだ。それから不良界隈で僕のことがそういう異名で知れ渡った」

「それってかなりすごいことじゃないですか」

 健二は全然すごくないよと首を振った。


「ただ人より喧嘩が強いだけ。しかもそれは人を傷つける手段だ。自慢なんて出来ないよ」

 たしかに健二の言う通りだ。何を私は彼のことだからって勘違いしているのだろう。恥ずかしい。

 気持ちを切り替えるように話題を変えた。


「あと、さっき北川さんが言ってましたけど、私と夢っていう人が似ているってどういうことなんです?」


 健二はまた顔を俯かせた。それは悲痛な面持ちを隠すようで、夢という名前に過敏に反応しているように思えた。


「実は……夢は僕の妹なんだ」

「そうなんですか。妹さん、いたんですね」

 健二が今度は天を仰ぎ見る。まるでここにはもういない“何か”を見つけるために。

「夢は、もう死んだんだ。去年にね。僕が暴走族なんかやっていたから」

「それって——」

「妹はある暴走族に殺されたんだ。僕の妹だからっていう理由だけでね」

 風が吹いた。それから彼が語り始めた話は、どこかのヤンキー漫画よりも強い執念と恨みを抱えた健二の過去だった——。


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