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第2話 やっぱり猫だった


「もう少し大きくなるまでは外に出るんじゃないぞ」


 シモベ氏に降ろされたふわふわな布の上で、「ニャ」と返事をした。

 外は恐ろしい。

 だから出ないようにしようと心に決めるまでもなく、ここのお屋敷が広そうなので外までたどり着ける気がしない。

 だって抱えられて外からこの部屋に来るまで、なかなか時間がかかった気がするんだよね。


 だんな様と呼ばれているシモベ氏は、この広そうな建物の主なのだろう。もしかしたら結構偉い人なのかもしれない。

 けれども今は、もうちょっと撫でてから行こうかしらん。みたいな顔をしてこちらを見下ろしている。

 わたしは視線をさえぎるように素早く布の中に潜り込んだ。


「もそもそ入っていくの、かわいいなぁ〜〜〜〜」


 しまりのない声が聞こえる。

 もそもそって失礼な。素早くさっと入りましたけど!

 助けてもらっておいてなんだけど、シモベ氏はちゃんと仕事した方がいいと思うよ。



 ◇



 人の気配がなくなったところで、顔を出す。


 ————さて、どうしようか。


 外は怖いし猫じゃなんにもできない。

 なんで猫なのか、何がどうなっているのかと未だにさっぱりわからなくて、戸惑っているんだけれども。


 ただ、わかっていることもある。

 それは、ここが我が祖国キンザーヌ大帝国ではないということだ。

 きっとヴェルニア王国のどこか。

 ちょっと音が違ったりわからない単語もあるけど、使われていたのがヴェルニア語だったから。


 皇帝陛下をお護りする者として、他国の言語もできないとならない。

 刺客がよその国の者であることなんて珍しくもないからね。

 我ながら、ただの食堂の娘がよくがんばったものだよ。


 わたしたちが住むアーシュト大陸。

 その東方側にキンザーヌ大帝国がある。

 西方にはヴェルニア王国があり、北側には高い山がそびえ立つ白き土地、南には小国が集まるヌーン諸国が位置していた。

 だからここがヴェルニア王国だとすれば、ずっと東へ行くとキンザーヌ大帝国に着くはずだ。


 遥かなる祖国。

 わたしが護りたかった国。わたしを殺した国。

 慕わしさと諦めの気持ちがよみがえる。

 恨みは、死ぬころにはもう失くしていたよねぇ。

 自分の生を諦めれば、頭に浮かぶのは大事な尊きお方のことだった。

 あれは願いでも祈りでもなかったと思う。

 わたしが見たかっただけだ。

 無意識が、記憶を探っては脳裏にその姿を映し、穏やかな声を再生した。

 ずっと、さらさらと、さらさらと。

 意識が薄れて消えていくまで。


 そんな前世は終わり、今、ここにいる。

 生を持つもの全て、スーベル神により何かしらの役割を背負わされているのだ。

 わたしにもまた託されたものがあるのだろう。

 猫だけど。


 植物の蔓で編まれたカゴの中から見上げた。

 大きなカゴの四方は高いけれども、上部は開いている。

 出られないことはなさそうだった。

 前世は終わったとはいえ、祖国が気にならないわけじゃないもの。

 どうなっているのかくらいは知りたい。

 情報を得るには、まずここを出なくては。


 飛んだり跳ねたりカゴに爪をひっかけたりして登ろうとしてみるけど、体が上手く動かなかった。どうにも落ちちゃう。

 魔法が使えればなぁ。

 こう、空間魔法をちょっと使えば、ピョンと出られ————た!

 上部の開いた口から飛び出て、ふかふかの絨毯に落ちた。


 前世で使っていた結界の魔法は空間魔法。だから空間魔法には慣れている。

 でもまさか、猫でも使えるとは思わなかった。

 ぐるりと周りを見回す。

 広い空間の床には毛足の長い絨毯が敷きつめられており、すぐ近くには大きなベッドが置いてあった。これはシモベ氏のベッドだな。

 わたしが入っていたカゴのすぐ近く。こんなに近かったら、それはすぐ見に来るよ。


 明るい薄黄色の壁が軽やかな雰囲気の部屋は、なぜかがらんとしていた。

 とてもだんな様と呼ばれる人の部屋には見えない。

 ベッドと猫用のカゴ、そして粗末な小さいチェストがひとつあるだけだった。

 部屋自体は広いし立派なのに、内装が釣り合っていない。

 これほど広い私室ならば、いくつものチェストや机なんかが置いてあるのが普通だと思うんだけど。


 ただ、壁にひとつだけ飾られていた風景画だけは、部屋に合っている気がした。

 美しい街並みとともに描かれているのは多分、海。空よりも濃く青い。

 帝都の近くに海はなかったけれども、わたしの生まれた北の町には小さい漁港があった。

 海は暗く灰色のことが多かったような記憶がある。

 こんな明るい青い海も果実のような色が並ぶ街も、見たことがない。

 キンザーヌの白や灰や黒色が多い街並みとはあまりに違って、しばらく見惚れてしまった。


 この部屋には扉が二つあったが、どちらも開け放たれていた。

 窓に近い扉の向こうは洗面所だった。猫用の砂もここに置いてある。だから開け放してあるのか。

 そのさらに奥の扉はトイレと浴室と繋がっているようだ。

 壁には姿見が取り付けられており、毛が長めの灰色の子猫が映っていた。そのふわふわとした毛に囲まれた金色の丸い目が、こちらを見返している。


 これが、わたし。


 実はわたしは猫が苦手だったりする。正確には猫のしっぽが。

“へ”の付く長いにょろにょろしたあの生き物に似ていると思うの……。あそこだけ意思を持った生き物みたいに動くから怖いんだよ……。

 でも、鏡に映るわたしのしっぽは、ふわっとしていた。そうじに使うほこり落としみたい。これなら怖くない————っていうか、わたしのしっぽって!! わたしの、しっぽ! そんなありえない言葉ある?!

 うわぁ、信じられないと思いながら覗く鏡の向こうで、しっぽが楽しそうに揺れては毛がゆらゆらと動いていた。



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