目を擦こすってから、先ほどメイドが立っていた場所に目を凝らす。

　真っ暗な廊下を、月明かりだけが照らしている。

　そこに彼女の姿はなかった。

「いなく、なった……？」

「きっと、成仏したんだよ」

　ヘンリーが嬉しそうに目を細める。

「うん……そうだね。よかった」

　私は愛想笑いを浮かべながら、先ほどのことを思い出す。

　また映像を見た。

　光が強くなった瞬間、目を閉じた私の脳裏に走馬灯そうまとうのように映像が流れ込んできた。

　それはメイドが見ていたであろう、王子と姫の姿。

　二人が寄り添い、幸せそうに語り合う。

　後ろ姿しか見えなかったけれど、確かに私とヘンリーに似ていたような気がした。

　なんだか最近、そういう変な映像や夢をよく見る。

　いったいこれは、なんなんだろう。

「どうしたの？　流華、大丈夫？」

　ぼーっとしていた私に、ヘンリーが声をかけてくる。

「あ、うん、平気」

　私は笑顔を見せたが、なぜかヘンリーはじーっと見つめてくる。

「どうしたの？」

　なんだか恥ずかしくなってきて、私はヘンリーから距離を取るため後ずさった。

「また、キス、したいな……」

　物欲しげな眼差しで、ヘンリーが私の唇を見つめている。

「な、何言ってるの！？　そろそろ帰らないと、みんな変に思うでしょ？　帰るよっ」

　私はヘンリーを置いてさっさと歩き出す。

　すると、突然ヘンリーが後ろから抱きしめてきた。

　すぐ傍に彼の息遣いを感じる。

　耳に息がかかり、私の背筋がゾクッと震えた。

　これは世に言う、バックハグ！

　って言っている場合ではない。

　私が狼狽えていると、ヘンリーが私の顔を横に向けた。

　ヘンリーの顔がドアップになる。

　しまった、またキスされる！　そう思ったそのとき、

「お嬢っ！」

　遠くの暗闇から、龍が姿を現した。

　月明かりに映し出された龍は、いつもより少しだけ格好良く見えた。

　トクン、心臓が小さく鳴った。

　あれ？　なんだ、これ？

　急いで私の方へ駆け寄ってくる龍。

　私はヘンリーの腕から逃れ、何事もなかったかのように龍を出迎えた。

「ど、どうしたの？」

　乱れた衣服を整え微笑む私を、訝いぶかしげに見つめる龍。

「お嬢の帰りが遅いので……何かあったのかと、心配で迎えにきました」

　横目でヘンリーのことを睨みつけている龍の姿に、私は何だか嫌な予感がした。

「そっか。ごめん、心配かけて。大丈夫だから行こう」

　私が龍の方へ行こうとすると、ヘンリーが私の手を握った。

「うん、帰ろう」

　さも手を握るのは当たり前だというように、そのまま歩き出す。

　私たちが横を通り過ぎるとき、龍の鋭い眼差しが繋がれた手に注がれていることに気づいた。

「龍、駄目だよ」

　一応、私は釘を刺す。

「わかっております」

　龍は大人しく私たちの後ろから付いてきた。

　最近は龍もヘンリーの性格がわかってきたのか、前ほど無駄に怒ることはしなくなったような気がする。

　怒っても、ヘンリーはちっともへこたれないしね。

　ニコニコと上機嫌のヘンリーと、ムスッと不機嫌な龍。

　そして、いつ二人のバトルが発生するかと不安を隠せない私。

　この日は、そのまま三人で帰宅することとなった。

「はあー、いい気持ちっ」

　やっぱりお風呂の時間は最高。

　ゆったりとお湯に浸かりながら、天井を見つめる。

　一日の疲れが癒されていく瞬間。

　今日は人生で初めて幽霊を見てしまった。

　しかも幽霊と普通に会話をし、成仏までさせてしまうという非常事態。

　この恐がりの私に、よもやこんな日が訪れるとは夢にも思わなかった。

　でも……あのメイドの最後の笑顔を思い出すと、なんだか嬉しい気持ちになる。

　成仏できてよかった。

　それにしても、あのメイドって外国の人だったよね？

　なぜ、あの学校にいたんだろう？

　謎だ……。

　私は考え込み、顔半分を湯に浸した。

　息を吐くと、お湯がブクブクと音を立て、湯の表面に泡を起こす。

　ヘンリーには本当に驚かされてばかりだな……。

　よくもまあ、あれだけあっさり幽霊のことを受け入れられるものだ。

　あの何事も前向きに捉えられる性格は、ある意味羨ましい。

　それに、また私、ヘンリーとキスを……。

　思い出してしまった私は、湯舟の中でじたばたと暴れる。

　きゃー、私ったら、何思い出してんの！

　私が暴れたせいか、風呂の湯に泡が大きく目立ち始めた。

　あれ？

　私が動きを止めても、なぜか泡はボコボコと湯から湧き出てくる。

　この展開は見たことあるぞ……。

　私は嫌な考えにいきついてしまった。

　その瞬間、お湯から突然人の顔がゆっくりと浮上してきた。

　お湯の上にちょうど生首が浮かんでいるような感じ。

　綺麗な銀色の長い髪がお湯の表面でゆらゆらと揺れ、その人物は銀色に輝く瞳を大きく開き、私のことを見つめている。

「っひ……」

　私は声にならない声を出す。すると、その生首がしゃべり出した。

「……これはこれは。お嬢さん、どうもお邪魔します」

　中性的な顔だったが、声は低く男性を思わせた。

　その男性は、ニコリと爽やかに微笑んでくる。

「い、いやーーーーー！！！」

　私の叫びを聞きつけた龍とヘンリーが、ほぼ同時に風呂場に押し入って来た。

「お嬢！」

「流華！」

　私はちょうどその男性にストレートパンチをかましたところだった。

　男性は気を失い、床に倒れ目を回している。

　私は湯舟の中から二人を見つめた。

　龍が急いでバスタオルを持ってくると、私を湯舟から救出する。

　ヘンリーは気絶している男性の顔をまじまじと見つめ、叫んだ。

「アルバート！？」

「え？　知り合いなの？」

　タオルを体に巻き終え、私はヘンリーに尋ねる。

「うん。って流華、タオル姿の君もとっても魅力的だねっ」

　タオル姿の私を嬉しそうな表情で見つめたヘンリーが、私に抱きついてくる。

「貴様！　何をする！！」

　龍が即効、私からヘンリーを引き剥がした。

「なんだよ、君もそう思うだろ？」

　不機嫌そうなヘンリーが龍に問うと、龍は改めて私を見ながら赤面する。

「なっ、そんなハレンチなことを思うわけないだろうが！　お嬢をそういう目で見るな！　いかがわしいっ」

「なんでさ、男なら大好きな女性の裸を見たいと思うのは当然でしょ？」

　ヘンリーは当然だと言うように堂々と胸を張り、龍の顔は茹でダコのように赤くなっていた。

「な、貴様！　お嬢をそんな目で見ていたのか。やはりお前はお嬢に相応ふさわしくない、俺が成敗せいばいしてくれる！」

　龍がヘンリーを追いかけると、ヘンリーは一目散に逃げていってしまう。

　私とアルバートは、風呂場に取り残されてしまった。

「ちょっと……いったいどうしろっていうのよ」

　困り果てた私は、とりあえずアルバートをそのまま放置し、洗面所で素早く着替えることにした。