狂ってる。
なんで、こんなイカれたことを平然と笑いながら言えるんだ。
……それとも、おかしいのは、僕の方なのか?
「私もな、世間体があるから、できればシオと結婚は避けたかったがな。まあ、こいつがゴネるからしょうがなくな」
「あらあら、そんなこと言って。若い子を抱けるから嬉しいんじゃないの?」
「馬鹿にするな。あんな子供、異性として見れるか」
「そんなの、おかしいだろ! なんだよ、それ! 結婚って、そんなことでするもんじゃないだろ!」
「子供には理解できないだろうな。まあ、君も大人になれば、わかる」
ポンポンと僕の肩を叩く、雄一。
僕はその手を払いのける。
「納得できねえよ! こんな結婚」
「君が納得できなくても、これは決まったことなんだよ。シオも、了承している」
「……青手木が?」
確かにあいつは言っていた。
結婚してくれるなら、誰でも良いって。
でも……そうじゃねえだろ。
お前、何のために結婚すんだよ!
脳裏に、一緒にベッドで寝たときのことが浮かぶ。
一人は嫌だと言っていた青手木。
あいつは、家族が欲しかっただけだ。
こんなデカイ家にポツンと一人でいて、唯一の家族である母親は滅多に家に帰ってこない。
学校でも、友達がいなくて……。
あいつは、ずっと一人だった。
だから、あいつは……自分の居場所が欲しい。
ただ、それだけだったはずだ。
青手木……。
お前、わかってねえよ。それじゃ、そんなんじゃ、また繰り返すことになるだけだ。
お前、この先も、ずっと一人だぞ。それで、いいのかよ?
「気が済んだだろ。さ、帰りたまえ。私たちは忙しいんだ」
「一つ、聞きたい」
「ん?」
「お前、青手木のこと、幸せにできるのかよ」
雄一は……あいつは大げさに肩を上げ、こう言った。
「馬鹿か、お前。話を聞いてなかったのか? 私が必要なのは、青手木家の金であって、シオじゃない。まあ、どうしてもと言うなら、一回くらいは抱いてやってもいいがな」
血が逆流するっていうのは、こういうことなんだろうな。
いや、そんなことはどうでもいい。
僕は……。
僕は!
「ふざけんなぁ!」
憎かった。ただ、こいつは許せないって思った。
気づいたら、僕は殴りかかっていた。
僕の拳があいつの顔に当たる寸前だった。
急に目の前が真っ暗になる。
「これだから、ガキは。痛い目見ないとわからんみたいだな」
目の前の景色がグルグルと回る。
草しか見えない。僕は倒れてるのか?
「もう、雄一さん、やりすぎよ」
「いいんだよ。これくらい。どうせ、甘やかせて育ったんだろ。親の代わりに教育してやったんだ」
意識は朦朧とするのに、声だけはハッキリ、聞こえる。
ふざけんな。
テメェらが、親を語るんじゃねえ。
立ち上がったはいいが、足がガクガクと震えて、まともに立っていられない。
「完璧に顎に入れたと思ったんだけどな。立ち上がられると、ちょっとショックだ」
「やっぱり、若いっていいわね。私、千金良くんに本気になっちゃうかも」
「おいおい」
くそっ。止まれ、膝。
震えすぎだ。
一発でいい。
あいつに一発入れるんだ。
少しは協力しろよ、僕の体。
「お前は絶対許さん」
回る視界の中、必死にあいつの姿を追う。
そして、そこに向かって拳を振り回す。
「めんど臭いな」
不意に視界が揺れる。
……鼻が痛え。
息が苦しい。
けど、まだあいつに一発、入れてない。
倒れてたまるか!
「ぐっ」
今度は腹に衝撃が走る。
どうやら、腹を殴られたみたいだ。
ふん。
なんだよ、そのくらい。
青手木の料理の方が、インパクトあったぜ。
……けど、完全にあいつの姿を見失った。
あー、もう! うざいな!
僕はとにかく、腕をブンブンと回す。
きっと傍から見たら、馬鹿みたいなんだろうな。
なんて、考えてるってことは、結構、落ち着いてるのか、僕は?
その時だった。
不意に、右の拳になにか、感触のようなものを感じだ。
……当たったのか?
「この、クソガキがーーーー!」
僕が覚えてるのは、そこまでだ。
そのあと、何発殴られたかはわからない。
でも、一発入れれたみたいだから、まあ、良しとするか。
目が覚めると同時に、激痛が襲ってくる。
「痛っ!」
「大丈夫ですか?」
目を開けると、僕の目の前にメイド長さんがいた。
「あれ? ここは?」
「あ、まだ起き上がらない方が……」
上半身だけ起きて、辺りを見渡す。
どうやら、青手木の家のリビングらしい。
僕はそこのソファーに寝かせられていた。
「救急車を呼ぼうと思ったのですが、奥様と雄一様が、面倒を起こすなということで……。すみませんでした」
メイド長さんが、深々と頭を下げる。
「いえ。別にいいですよ」
どうせ、治療費ないし。
逆に助かった。
「あの、これ、治療費ってことで」
そういって、ポケットから札束を出す、メイド長さん。
確か、その束って……百万円だっけ?
「いりませんよ」
欲しくないと言えば、嘘になるけど、貰っちゃったら、なんか負けた気がする。
特に、あいつから金を貰うなんて、屈辱以外、なにものでもない。
「帰ります。ご迷惑をおかけしました」
ペコリと頭を下げて、玄関へと向かう。
……おっとっと。
やっぱり、まだフラフラするな。
「あ、車でお送りしますよ」
メイド長さんがついて来る。
「いえいえ、お構いなく」
とにかく、僕は早くこの家から出て行きたかった。あいつの顔を見たくなかったから。
それに――。
玄関のドアを開こうとした時だった。
不意に、ドアが開いた。
そして、玄関に入ってきたのは――青手木だった。
「……青手木」
青手木は、一瞬、僕の顔を見たが、特に表情を変えることなく、僕を避けて、家の中へと入って行く。
「青手木!」
ピタリと動きを止める、青手木。
でも、振り向いてはくれない。
「お前、それでいいのか?」
「それでって?」
「あいつとの結婚。本当に、それがお前の望んだ結婚なのか?」
「……言ったはず。私はずっと、結婚したかった。結婚してくれるなら、誰でも良いって」
「あいつは……。雄一はお前のこと、好きでも、なんでもないんだぞ」
「結婚に、お互いの感情は必要ない」
「青手木。……お前、それで満足か? 幸せになれるのか?」
「やっと結婚できる。私は、今、とっても幸せ」
「……そっか」
再び、青手木が歩き出す。
後ろ姿が見えなくなってから、僕はドアを開けて外へと出た。
石畳の上を歩き、門から出ようとした時だった。
「イノリ様!」
メイド長さんが駆けてくる。
「これ……。受け取ってください」
そう言って、差し出して来たのは二枚の紙。
一枚はどうやら地図のようだった。
真ん中の建物に赤い丸が書いてある。
そして、もう一枚は……。
「招待状?」
「日曜日の……シオ様の結婚式のです」
「せっかくですけど、いりません。行く気、ありませんから」
「シオ様は、毎日、嬉しそうに婚姻届を眺めていました。イノリ様の名前が書かれた、婚姻届を」
「だから、なんです?」
その、嬉しそうに眺めていた紙を、青手木はあっさりと破り捨てた。
「イノリ様との婚約を結んでからのシオ様は、本当に幸せそうでした。あんなシオ様を見るのは初めてでした」
「……」
「でも、今のシオ様は、前のシオ様に戻ってしまわれました。一人でいた頃の……。感情のない人形のようなシオ様に」
「そんなことを僕に言って、何を期待してるんですか?」
「さあ、なんでしょうね」
にこりと微笑む、メイド長さん。
「とにかく、僕は行く気、ありませんから」
そう言って、僕は歩き出す。地図も招待状も受け取らずに。
もう二度と、ここには来ることはないんだろうな、なんて思いながら。
「シオ様を宜しくお願いします」
後ろから、そんな声が聞こえたが、聞こえないふりをして、僕は歩き続けたのだった。