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第26話 激昂するイノリ

 狂ってる。

 なんで、こんなイカれたことを平然と笑いながら言えるんだ。

 ……それとも、おかしいのは、僕の方なのか?


「私もな、世間体があるから、できればシオと結婚は避けたかったがな。まあ、こいつがゴネるからしょうがなくな」

「あらあら、そんなこと言って。若い子を抱けるから嬉しいんじゃないの?」

「馬鹿にするな。あんな子供、異性として見れるか」

「そんなの、おかしいだろ! なんだよ、それ! 結婚って、そんなことでするもんじゃないだろ!」

「子供には理解できないだろうな。まあ、君も大人になれば、わかる」


 ポンポンと僕の肩を叩く、雄一。

 僕はその手を払いのける。


「納得できねえよ! こんな結婚」

「君が納得できなくても、これは決まったことなんだよ。シオも、了承している」

「……青手木が?」


 確かにあいつは言っていた。

 結婚してくれるなら、誰でも良いって。

 でも……そうじゃねえだろ。

 お前、何のために結婚すんだよ!


 脳裏に、一緒にベッドで寝たときのことが浮かぶ。

 一人は嫌だと言っていた青手木。

 あいつは、家族が欲しかっただけだ。

 こんなデカイ家にポツンと一人でいて、唯一の家族である母親は滅多に家に帰ってこない。


 学校でも、友達がいなくて……。

 あいつは、ずっと一人だった。

 だから、あいつは……自分の居場所が欲しい。

 ただ、それだけだったはずだ。


 青手木……。

 お前、わかってねえよ。それじゃ、そんなんじゃ、また繰り返すことになるだけだ。

 お前、この先も、ずっと一人だぞ。それで、いいのかよ?


「気が済んだだろ。さ、帰りたまえ。私たちは忙しいんだ」

「一つ、聞きたい」

「ん?」

「お前、青手木のこと、幸せにできるのかよ」


 雄一は……あいつは大げさに肩を上げ、こう言った。


「馬鹿か、お前。話を聞いてなかったのか? 私が必要なのは、青手木家の金であって、シオじゃない。まあ、どうしてもと言うなら、一回くらいは抱いてやってもいいがな」


 血が逆流するっていうのは、こういうことなんだろうな。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 僕は……。


 僕は!


「ふざけんなぁ!」


 憎かった。ただ、こいつは許せないって思った。

 気づいたら、僕は殴りかかっていた。

 僕の拳があいつの顔に当たる寸前だった。

 急に目の前が真っ暗になる。


「これだから、ガキは。痛い目見ないとわからんみたいだな」


 目の前の景色がグルグルと回る。

 草しか見えない。僕は倒れてるのか?


「もう、雄一さん、やりすぎよ」

「いいんだよ。これくらい。どうせ、甘やかせて育ったんだろ。親の代わりに教育してやったんだ」


 意識は朦朧とするのに、声だけはハッキリ、聞こえる。


 ふざけんな。

 テメェらが、親を語るんじゃねえ。


 立ち上がったはいいが、足がガクガクと震えて、まともに立っていられない。


「完璧に顎に入れたと思ったんだけどな。立ち上がられると、ちょっとショックだ」

「やっぱり、若いっていいわね。私、千金良くんに本気になっちゃうかも」

「おいおい」


 くそっ。止まれ、膝。

 震えすぎだ。

 一発でいい。

 あいつに一発入れるんだ。

 少しは協力しろよ、僕の体。


「お前は絶対許さん」


 回る視界の中、必死にあいつの姿を追う。

 そして、そこに向かって拳を振り回す。


「めんど臭いな」


 不意に視界が揺れる。


 ……鼻が痛え。

 息が苦しい。

 けど、まだあいつに一発、入れてない。


 倒れてたまるか!


「ぐっ」


 今度は腹に衝撃が走る。

 どうやら、腹を殴られたみたいだ。


 ふん。

 なんだよ、そのくらい。

 青手木の料理の方が、インパクトあったぜ。


 ……けど、完全にあいつの姿を見失った。


 あー、もう! うざいな!


 僕はとにかく、腕をブンブンと回す。

 きっと傍から見たら、馬鹿みたいなんだろうな。

 なんて、考えてるってことは、結構、落ち着いてるのか、僕は?


 その時だった。


 不意に、右の拳になにか、感触のようなものを感じだ。


 ……当たったのか?


「この、クソガキがーーーー!」


 僕が覚えてるのは、そこまでだ。

 そのあと、何発殴られたかはわからない。

 でも、一発入れれたみたいだから、まあ、良しとするか。




 目が覚めると同時に、激痛が襲ってくる。


「痛っ!」

「大丈夫ですか?」


 目を開けると、僕の目の前にメイド長さんがいた。


「あれ? ここは?」

「あ、まだ起き上がらない方が……」


 上半身だけ起きて、辺りを見渡す。

 どうやら、青手木の家のリビングらしい。

 僕はそこのソファーに寝かせられていた。


「救急車を呼ぼうと思ったのですが、奥様と雄一様が、面倒を起こすなということで……。すみませんでした」


 メイド長さんが、深々と頭を下げる。


「いえ。別にいいですよ」


 どうせ、治療費ないし。

 逆に助かった。


「あの、これ、治療費ってことで」


 そういって、ポケットから札束を出す、メイド長さん。


 確か、その束って……百万円だっけ?


「いりませんよ」


 欲しくないと言えば、嘘になるけど、貰っちゃったら、なんか負けた気がする。

 特に、あいつから金を貰うなんて、屈辱以外、なにものでもない。


「帰ります。ご迷惑をおかけしました」


 ペコリと頭を下げて、玄関へと向かう。


 ……おっとっと。

 やっぱり、まだフラフラするな。


「あ、車でお送りしますよ」


 メイド長さんがついて来る。


「いえいえ、お構いなく」


 とにかく、僕は早くこの家から出て行きたかった。あいつの顔を見たくなかったから。

 それに――。


 玄関のドアを開こうとした時だった。

 不意に、ドアが開いた。

 そして、玄関に入ってきたのは――青手木だった。


「……青手木」


 青手木は、一瞬、僕の顔を見たが、特に表情を変えることなく、僕を避けて、家の中へと入って行く。


「青手木!」


 ピタリと動きを止める、青手木。

 でも、振り向いてはくれない。


「お前、それでいいのか?」

「それでって?」

「あいつとの結婚。本当に、それがお前の望んだ結婚なのか?」

「……言ったはず。私はずっと、結婚したかった。結婚してくれるなら、誰でも良いって」

「あいつは……。雄一はお前のこと、好きでも、なんでもないんだぞ」

「結婚に、お互いの感情は必要ない」

「青手木。……お前、それで満足か? 幸せになれるのか?」

「やっと結婚できる。私は、今、とっても幸せ」

「……そっか」


 再び、青手木が歩き出す。


 後ろ姿が見えなくなってから、僕はドアを開けて外へと出た。

 石畳の上を歩き、門から出ようとした時だった。


「イノリ様!」


 メイド長さんが駆けてくる。


「これ……。受け取ってください」


 そう言って、差し出して来たのは二枚の紙。

 一枚はどうやら地図のようだった。

 真ん中の建物に赤い丸が書いてある。

 そして、もう一枚は……。


「招待状?」

「日曜日の……シオ様の結婚式のです」

「せっかくですけど、いりません。行く気、ありませんから」

「シオ様は、毎日、嬉しそうに婚姻届を眺めていました。イノリ様の名前が書かれた、婚姻届を」

「だから、なんです?」


 その、嬉しそうに眺めていた紙を、青手木はあっさりと破り捨てた。


「イノリ様との婚約を結んでからのシオ様は、本当に幸せそうでした。あんなシオ様を見るのは初めてでした」

「……」

「でも、今のシオ様は、前のシオ様に戻ってしまわれました。一人でいた頃の……。感情のない人形のようなシオ様に」

「そんなことを僕に言って、何を期待してるんですか?」

「さあ、なんでしょうね」


 にこりと微笑む、メイド長さん。


「とにかく、僕は行く気、ありませんから」


 そう言って、僕は歩き出す。地図も招待状も受け取らずに。

 もう二度と、ここには来ることはないんだろうな、なんて思いながら。


「シオ様を宜しくお願いします」


 後ろから、そんな声が聞こえたが、聞こえないふりをして、僕は歩き続けたのだった。

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