学校の昇降口。
外靴から上靴に履き替え、廊下を歩く。
結局、朝の青手木はいつも通りだった。
朝ご飯を用意し、僕を起こし、食べさせてくれ、お弁当を渡して見送ってくれた。
毒気が抜けるくらい、普通だった。
男女が一晩、一緒の布団で寝るという、かなり刺激的なことの後だったというのにだ。
……まあ、何も無かったんだから、当たり前と言えば当たり前か。
文字通り、男女が一晩、一緒の布団で寝ただけだ。
僕が気にしすぎなだけなのか?
そこに、ダダダと誰かが走ってくる音が聞こえてくる。
「イノリくーん。待ってー」
……あっ。
僕は足を止め、呆然とした。
「今日は微妙に早いんだね。おかげで話す時間が短くなっちった」
月見里さんが僕の隣で足を止め、笑いかけてくる。
うわっ。何を考えてるんだ、僕は。
何よりも優先していた、朝の安らぎの時間を忘れるなんて……。
「イノリくん?」
「あ、いや。……おはよう」
頭が真っ白になって、こんな言葉しか出てこなかった。
「おやおや? 今日はなんか、余所余所しいぞ。……もしかして、まだ体調悪いの?」
「ん? ……ああ、いやいや。風邪は治ったよ。大丈夫」
そうだった。昨日は風邪ということで学校を休んだんだった。
「イノリくんが学校休むなんて、初めてじゃない? 私、ビックリしちゃったよ」
ああ、そうだった。
地味に皆勤賞も消えたことにショックを受ける。
「さ、行こ。チャイム鳴っちゃうよ」
月見里さんが歩き出したので、僕も慌てて隣を歩く。
「昨日はさー。お見舞いにでも行こうかなって思ったわけよ」
「え? ぼ、僕の?」
「学校を休むくらいなんだから、相当やられてるんじゃないかって思ったし、イノリくん、一人暮らしだから、大変かなって」
うう。月見里さん、優しい。泣けてくる。
でも、そういう手があったのか。
『学校を休んで、お見舞いに来てもらう』
脳内にしっかりとメモる。
……かなり、消極的な作戦だが。
お見舞いに来てくれなかったら、ただ、学校をサボるだけになっちまう。
「でもさー。それはマズイと思ったわけよ」
月見里さんが口を尖らせる。
え? なに? 来てくれないの?
この作戦、ダメなの?
「だって、イノリくんには青手木さんがいるじゃない。逆にお邪魔虫になっちゃうでしょ。目の前でイチャついてるのを見るのは、さすがに独り身としては、辛いわけですわ」
ボトっとカバンを落とす僕。
「ん? どうしたの? 急に立ち止まって」
何考えてるんだよ、僕は。
僕は月見里さんが好きだ。
これが全てだったはずだろ。
それなのに僕は、青手木を受け入れつつある。
青手木を家に泊まらせ、一緒に寝て、一緒にご飯を食べ、お見送りをしてもらう。
……完全に青手木のペースだ。まるで夫婦じゃねーかよ。
さらに馬鹿なことに、僕はその状況に対して、ちょっと悪くないかなと思っていることだ。
青手木のことばかり考えていて、一番重要な『昇降口で月見里さんを待つ』という日課させ忘れる始末だ。
状況に流されるのは、ある程度仕方ない。
……いや、仕方なくないけど。
でも、気持ちだけは絶対にブレちゃダメだ。
しっかりしろ! 千金良イノリ!
僕は思い切り、両手で挟み込むように自分の頬を叩く。
「ど、どしたの? イノリくん、急に」
ドン引きされてしまった。
が、今は、そんなことを気にしている場合ではない。
「月見里さん!」
僕は月見里さんの両肩をガッと掴む。
「おおう! い、イノリくん、こ、ここは学校だぜ」
顔を真っ赤にして、アタフタしている月見里さん。
……可愛い。
いや、だから、違うって。
「今日の昼休みに、話したいことがあるんだ。屋上に来てくれないか?」
「屋上って入れないよ。鍵かかってるもん」
……そうだった。
告白というと屋上って感じがしたから、つい。
「じゃ、じゃあ。体育館裏で」
「人、いっぱいいるけど大丈夫? 逆に話しづらいよ?」
「……ああ。えっと、じゃあ……」
「第二理科室は? あそこなら、誰もいないよ。鍵もかかってないし」
「う、うん。じゃあ、そこで」
「お弁当食べてからでいい?」
「あ、そうだね。それでいいよ」
「じゃあ、昼休み、第二理科室でね」
月見里さんは僕の手をスルリと抜け出して、教室まで走っていった。
後ろ姿を見送った後、僕は愕然とする。
いわゆる、Orzの体勢ってやつだ。
一世一代の告白をしようって時なのに、なんてグダグダなんだ。
後半、完全に月見里さんペースだったじゃねえかよ。
なんてダメ人間ぷりだ。
チャイムが鳴る。
が、心に負ったダメージが抜けない。
まあ、いいや。皆勤賞が無くなった今、遅刻ぐらい。
僕はチャイムが鳴り終わった後も、しばらく起き上がれなかったのだった。