「それでは、お休みなさいませ」
僕の隣で、青手木が目をつぶる。
数秒後、青手木は静かな寝息をたて始めた。
寝やがったぞ。あっさりと。
いつも無表情の青手木は、眠っても無表情だった。
いや、当たり前だが。
っいうか、やっぱり美人だな、こいつ。
……ヤバイ。
相当、テンパってるぞ、僕。
寝返りをうち、青手木に背を向ける。
なんで、こんなことになったんだ?
高鳴る心臓の音に邪魔されながらも、僕は必死で考える。
今の、この状況。
夜。
僕の部屋。
電気は消えていて真っ暗。
ベッドの中。
隣に青手木が寝ている。
お互いパジャマ姿で、完全に寝る体勢。
というか、既に青手木は寝ているわけなのだが。
どういう神経してるんだ、こいつは。
なんなんだ、これは。
落ち着け。
順を追って考えていこう。
まず、公園で青手木にバイオリンを聞かせていただろ。
「もう一曲、聞かせていただけませんか?」って言われて、気分を良くした僕は、調子に乗って五曲くらい弾いたのだ。
気づいたら、辺りは暗くなってきてたから、当然、僕は青手木を家まで送っていくと言ったんだ。
そしたら、あいつは……。
「お願いがあるんですが」
「なんだよ。今日は、妙にお願い事が多いな」
「……」
「いいぜ。言ってみろよ。今の僕は機嫌が良いんだ。高確率で、お願いをきいてやるぜ」
「では……」
青手木は信じられないことを言った。
「今日は、イノリさんの家に泊めていただけないでしょうか?」
「……は?」
もちろん、最初は断ったぞ。
だって、僕たちは高校生だ。
そして、僕は男で、青手木は女だ。
さらに僕は一人暮らしなわけで。
青手木が僕の家に泊まるとなれば当然、二人だけになるってことだ。
……危険だろ。
あ、いや、僕は手を出す気はないぞ。月見里さん一筋なんだからな。
けど、僕の家に青手木が泊まるという状況がダメだ。
そんなことを知られてみろ。もう、完全に終わりだ。
だから、僕はダメだと言おうとしたんだ。
そしたら……。
「今日は、母が家にいるので……」
「……」
何も言えなくなった。
よそよそしい家族ほど、一緒にいるときの気まずさは半端ない。
僕も経験がある。というか、一年くらい嫌ってほど味わった。
だから、なんか、断りづらくなって……。
OKを出しちまった。
ほら、ドラマとかでよくあるシュチュエーションだろ。
青手木をベッドに寝かせて、僕は居間で寝ればいい。
寝返りをうてば、僕は血だらけになるけどな。
とにかく、それで乗り切れると思ったんだよ。
今、冷静になって考えれば、なにも僕の家じゃなくても良かったんだ。
ビジネスホテルとか旅館とか、漫画喫茶とか、色々あったんだよな。
まあ、今となっては後の祭りだけど。
で、なんで、今、並んで寝てるかと言うと……。
「夫婦は一緒に寝るのが当たり前です」
いや、抵抗したよ。
それは、もう。
だって、まだ結婚してねーんだから。
……結婚する気ねーんだから。
「イノリさんの家には、布団がひと組しかありませんが」
「……あ」
「私と寝るのが嫌なんですか?」
「……嫌とか、そういうわけじゃなくてだな」
「それなら、私が居間で寝ます。イノリさんに寒い思いはさせられません」
「……」
青手木がこう言い出せば、なんと言って説得しても無駄だということは、嫌というほど思い知らされている。
かと言って、居間に青手木を寝かすわけにはいかない。
凍死とまではいかないにしても、絶対に風邪ひく。
というか、男として……いや、人間としてダメだろ。
女の子にそんな仕打ちしたら。
ということで、こういう状況になってしまったのだ。
とにかく寝よう。それが一番だ。
うん。
何事もなければいいんだよ。
手を出したりしなきゃいいんだ。
……なんか、さっきと言ってることが違う気がするが。
そこを気にしたら負けだ。
青手木の方を向かなければ大丈夫。一人で寝てるのと、何も変わらないじゃないか。
そうだよ。
青手木なんていない。
僕は一人で寝てる。
いつも通りだ。
よし、寝よう。
早速、僕は目をつぶる。
そのとき、僕の背中に誰かが寄り添ってくる。
一気に心臓の鼓動が大きくなる。
ゆ、幽霊だ。
そうに違いない。
その幽霊は、僕の背中に顔を埋める。
とり憑くのは止めていただけないでしょうか。
僕、悪いことしてませんよ。
勘弁してください。マジで。
「イノリさん……」
「あ、青手木? ……離れてくれねーか。ね、寝づらい」
「もう……一人は嫌です」
「……」
振り向くと、すぐ近くに青手木の顔があった。
目が開いていて、僕をジッと見ている。
「お前、起きてたのか」
「結婚したら、いつもこうして二人で寝るんですよね」
「……」
「一人で寝なくて、済むんですよね?」
「……ああ。そうだな」
「イノリさん……私と結婚してくれますか?」
「……」
答えることができなかった。
嘘をつくのは簡単だ。
でも、それはダメだと思った。
僕は孤独の辛さを知っている。
だから、青手木の不安な気持ちも、なんとなくわかる。
だからこそ、本気の青手木に対して、いい加減な答えを言うことができなかった。
「青手木……」
僕は青手木を抱きしめた。
確かに僕は、青手木と結婚する気はない。
でも、今だけは、一緒にいる間だけは一人という寂しさから開放してやりたかったんだ。
青手木は目をつぶると僕の胸に顔を埋めてきた。
頭をそっと撫でてやると、青手木の体から力が抜けていくのがわかる。
そして、寝息をたて始める。
今度こそ、本当に眠ったようだった。
青手木の閉じた瞳から一筋の涙が流れて、枕に吸い取られていく。
「……」
青手木の涙を指で拭い、僕は目をつぶったのだった。