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第17話 青手木とのひと時

「お帰りなさいませ」


 玄関で、青手木が三つ指ついて頭を下げる。

 この光景にも慣れてきた。というより、なんか安心する。

 家に戻った時、誰かがいてくれるというのは、こんなにも心地よいものなんだと気づく。


 両親が死んで、叔父さんの家で暮らすようになってからは、僕が帰って来ても「お帰りなさい」と言ってくれることはほとんどなかった。


 ……ああ、そっか。

 僕はあの家にいても、叔父さんと叔母さんとは同じ空間にいたのに、ほとんど話しをしなかった。

 青手木と、青手木のお母さんのような関係。


 ……辛かっただろうな。


「ただいま」


 靴を脱いで、部屋へと歩く。

 僕の後ろを青手木がついてくる。

 居間へのドアを開くと、案の定、惨劇が広がっていた。


 おかしい。


 ここ何週間の間で、僕の家の物はほとんど無くなったはずだ。

 茶碗や皿はもちろん、本や服なんかも、青手木にダメにされて捨てている。

 だから、こんなに散らかる程、物が無いはずなんだ。


 ま、いいか。


 僕はため息をついて、取り敢えず目の前のガラスの欠片を拾う。

 相変わらず怖いものが平然と落ちている。


 青手木に、スリッパを履くように言っておいたのは正解だったな。

 自分の家の床に血痕が転々と落ちている光景は、結構、くるものがある。

 犯罪の証拠を消している感覚に陥るのだ。

 それにしても、僕の家にガラス製品なんてあったけな?


 僕はあんまりガラス製品が好きじゃない。

 すぐ割れるイメージがあるし、割れた時に危険な感じがするからだ。だから、コップとか皿なんかは、陶器の物ばかり買ってくる。


「なあ、青手木。このガラスってどこから持ってきたんだ?」

「買って来ました。この前、コップを割ってしまったので」

「別に気にすることねえのに」

「本当は一緒に買いに行きたかったのですが、イノリさんは、忙しそうでしたので……。お揃いのを買ってきたのですが、使う前に、また割ってしまいました」


 僅かに肩を落とす青手木。

 どうやら落ち込んでいるらしい。

 相変わらずの無表情だが。


「すぐに片付けます」


 青手木がガラスの破片を拾い始める。


「……っ」


 ポロっと、破片を落とす青手木。

 ポタポタと血が床に落ちる。

 手を切ったようだ。


 うーん。

 今度は軍手も履くように言わないとな。


 救急箱から絆創膏を取り出し(すぐに使えるように、居間に置いてある)青手木の右の人差し指に巻く。


「私……迷惑かけてばかりです」


 ポツリとつぶやく青手木。


 ほう。どうやら、迷惑をかけているという感覚を、ようやく持ってくれたようだ。

 僕に迷惑をかけたくないなら簡単な方法がある。

 それは、僕の家に来ないことだ。


「青手木。腹、減らないか?」

「すぐ、用意します」


 青手木が台所へと歩き出す。


「あ、ちょい待て」


 青手木の手を握って、台所に行くのを止める。

 華奢で小さい、青手木の手。


「なんでしょう?」


 青手木が僕の顔をジッと見てくる。


「飯はあるんだ。ほら」


 僕はお土産にもらった紙袋を掲げる。

 メイド長さんは、気を利かせてくれたのか、お弁当を二つ入れてくれていた。


「一緒に食おうぜ」


 青手木の手を握ったまま、テーブルへと向かう。

 向かい合うように座り、青手木にお弁当と箸を渡す。


「いただきます」


 僕が手を合わせて、そう言うと、青手木も同じようにする。


「いただきます」


 食べている時は、特に会話はしなかった。

 ただ、ふと顔を上げると目の前には青手木がいる。


 なんだか、それが妙に嬉しかった。

 一人で食べるよりも、誰かと一緒に食べる方が美味しく感じると言うけど、なるほど確かに、と、不覚にも思ってしまう。

 僕は、母さんや父さんがまだ生きていた時、三人で一緒にご飯を食べていた時のことを思い出していた。




 弁当を食べ終わり、そろそろ青手木を送っていこうと考えていた時だった。

 青手木が僕の部屋へと入って行き、すぐに出てくる。

 手には、バイオリンを持っていた。


「イノリさん、バイオリンを弾くんですか?」

「ん? ああ、まあな」


 そういえば、最近は全然弾いてないことに気づく。

 その原因は目の前にいる青手木、お前のせいだけどな。

 それどころじゃなかったんだよ。色々、作戦とか練るのに忙しかったから。


「……聞かせていただくことはできませんか?」

「……え?」


 珍しいな。

 こいつが、夫婦の役割のこと以外で、お願いしてくるなんて。


「嫌なら、無理しなくていいです」

「いや、別にいいぜ。でも、期待すんなよ。そこまで上手いってわけじゃないからな」


 青手木と一緒に、家の近くにある公園へと移動する。

 実際に音を奏でるときには、いつもここに来るのだ。

 青手木をブランコに座らせる。


 この公園って、ベンチとか無いんだよなぁ。

 他に座れそうなところって言えば、シーソーか、滑り台くらいだし。まあ、ブランコが一番無難だろう。


 僕は青手木の前に立ち、バイオリンを構える。

 あご当ての部分が壊れているので、胸に当てての構えになるのが若干弾きづらい。

 弓を弦に当てる。


 ……そういえば、人前で演奏するのって久しぶりだな。

 おっと、ちょい緊張してきたぞ。


 僕は目をつぶり、深呼吸する。

 これが僕なりの緊張のほぐし方なのだ。


 目を開き、弓をゆっくりと引く。

 旋律が生まれる。


 そこからは夢中で弾いた。


 何も考えずに、ただただ音を奏でることに集中する。

 まるで僕の意識が曲に溶け込んで、広がっていく感覚。

 バイオリンを弾いているときだけが、僕の安らぎだった。

 寂しさを忘れることができた。曲が一緒にいてくれる。

 僕は一人じゃない。そう思えた。


 そして……月見里さん。


 僕のバイオリンを好きだと言ってくれた。

 こんな僕でも、誰かの役に立てるんじゃないかって思えて、嬉しかった。

 一人でいることが寂しいって嘆くんじゃなくて、僕はここにいるって主張するんじゃなくて……誰かの為に曲を奏でるもの。


 音楽って、そういうものだって教えてくれた月見里さん。

 だから、ずっと聞いていて欲しかった。


 聞かせたかった。

 一緒にいたかった。


 僕のバイオリンを聞いているとき、月見里さんは気持ちよさそうにしていた。

 そして、涙を流してた。

 聴き終わると、決まって、笑顔でこう言ってくれた。


「ありがとう。元気出たよ!」


 元気をもらったのは僕の方だった。

 その言葉で、どれだけ僕が救われていたか。

 月見里さんは、あの時のことを忘れているけど、それで良いと思う。

 僕が覚えてるから。君に元気をもらったことを覚えてるから。

 君が、あの場所に来なくなってから、僕は気づいた。


 君を好きになっていたことを。

 一曲弾き終わり、僕は大きく息を吐く。


 なんか色々思い出しちまったなぁ。

 目を開け、青手木を見る。

 青手木の目から一筋の涙が流れた。


「……青手木?」

「とっても優しい音色ですね」

「え?」

「ありがとうございます」


 ブランコに座ったまま、青手木は深々と頭を下げる。


「な、なにがだよ」

「元気をいただきました」


 無表情で、そう言う青手木。


 ……お前。

 辛かったんだな。

 何が、寂しいって思ったことないだよ。


「イノリさん? どうしたんですか?」


 青手木が立ち上がり、僕の顔を覗き込んでくる。

 左手で頬に触れてくる。


 暖かい。


 僕より頭一つ分、背が低い青手木。

 体だって、同年代の女の子より細い。

 こんな小さな体で、ずっと一人で頑張ってきたんだな。

 あんな広い家で、たった一人。


「辛いことがあるなら、言ってください。私がイノリさんを守りますから」

「バカ。逆だろ。奥さんを守るのは、旦那の役目だ」

「……そうですね。では、私はイノリさんを支えます。夫を支えるのは、妻の役目ですから」

「お前は、良いお嫁さんになれそうだな」

「嬉しいです」


 青手木の言葉に思わず笑ってしまう。


 嬉しいなら、少しは表情を変えろよ。

 わかり辛いだろ。


 ふと、青手木と結婚したときのことをシュミレーションしてみる。

 家の中はいつも惨劇状態になっていて、飯を食うたびに死にそうな目にあう。

 ほとんど会話が無くて、何を考えているか分からない。


 ……ダメじゃねーか。

 前言撤回だ。

 お前は良いお嫁さんにはなれねーよ。

 残念だけど。


「あの……」

「ん? どうした?」

「もう一曲、聞かせていただけませんか?」


 僕の顔を覗き込んでくる。

 青手木の頭を撫でながら言う。


「よし、じゃあ、座れ」


 コクンと頷き、ブランコに座る青手木。

 僕はバイオリンを構えて、曲を奏で始めた。

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