日曜日。
午前九時四十五分。
遊園地『スリス』の入口前。
僕は物陰に隠れながら、その場所を見ていた。
「……やっぱり、もう来てたか」
高そうな白いコートを着た青手木が、一人ポツンと立っている。
一応、デートということを意識したのか、いつもとは違う感じの服を着ている。
……高そうな服だな。
まあ、似合ってるけど。
スリスの開園時間は十時。
そもそもほとんど客がいない遊園地だから、開園前から来ている人間は皆無だ。
だから、物凄く青手木が目立っている。
で、僕はここで何をやっているかというと、作戦一を実行しているのだ。
名づけて、『遅刻作戦』。
……まんまだな。
とにかく、待ち合わせ時間に遅れるという作戦だ。
しかも、五分や十分じゃなく、一時間単位で。
まあ、正確に言うと青手木が怒って帰るまでだ。
つまり、僕は青手木とデートをする気はない。
青手木が帰ったのを確認後、青手木の携帯に電話して(無理やり番号交換をさせられた)逆ギレするという作戦だ。
それまでは、青手木から、かかってくる電話は全て無視。
ここまですれば、さすがの青手木も僕のことを嫌いになるだろう。
もう一つ。なぜ、僕が待ち合わせの時間よりも早く来ているのか。
普通に考えれば、遅れてきても作戦に支障はない。
それどころか、青手木が帰るまで隠れて見ているなんて、時間の無駄だと思うだろ。
が、甘い。それは素人の考えだ。
作戦とは言え、僕が誘ったのに相手を待たせるんだぞ。
罪悪感があるじゃねーか!
少なくても、相手と同じ時間は待つ。
これで少しは僕の心も安定するというものだ。
それにしても、この日を迎えるまで、本当に長く感じた。
青手木とデートの約束をしてから、日曜日までの間、僕の家にこさせるわけにはいかないので、僕が青手木の家に行って、見送ってもらうという方法を取った。
わざわざ遠回りして。
いつもより早起きして。
帰りも青手木の家に寄って、お出迎えをしてもらってから、帰宅するという虚しい行為を続けた。
家に帰ると、前の日、どんなに綺麗にしていても、部屋の中が荒らされているのには、本当に凹んだ。
僕が学校に行っている間に、青手木が掃除をしに来ているのだろう。
幸い、授業中だから、他の生徒に見られるということはなかった。
……本当に長かった。
この一週間、元々短かった睡眠時間は、さらに半分になっていたし、朝、青手木の家に寄った時に渡される、手作り弁当を処理する(食べる)のが、本当に辛かった。
が、それも今日で開放される。
そう思うと、今までの疲れも吹っ飛ぶというものだ。
その時、冷たい風が吹く。
うおっ! 寒っ!
目の端に自動販売機が写ったが、頭を振って、青手木の監視に戻る。
……暖かいものが飲みてぇけどな。金がもったいない。
くそっ、家からお湯を持ってくれば良かった。
また、冷たい風が襲いかかってくる。
「……ち、ちくしょう」
僕は自動販売機まで走り、財布を開ける。
残金二百八十円。
……あぶねえ。
よくこれで月見里さんをデートに誘ったな、僕。
給料日まで、あと二日。
ここでなけなしの金を使ってもいいものだろうか。
そんな僕の悩みを吹き飛ばすように、風が吹く。
無理!
僕は素早く、二百四十円を入れる。
ホットココアと……青手木はコーヒーで良いかな。
ガコンと二回音がした時、僕はハッとする。
……青手木の分はいらなかっただろ。
ここでコーヒーを持って青手木のところに行けば、僕の計画が破綻するところだった。
今行ったら、十分の遅刻くらいになってしまう。
それじゃ、リアルの遅刻だよ。
二本の缶を持って、さっきの場所に戻る。
相変わらず入口には、青手木一人だけが立っていた。
十二時十分。
つまり、待ち合わせ時間から二時間以上が経過している。
その間、青手木は微動だにしないで、同じ姿勢で立ち続けていた。
……絶対、あいつロボットだろ。
きっと僕の人生を狂わせるために未来からやって来たに違いない。
待っている二時間、青手木は僕に電話をかけることはなかった。
いや、それくらいはしろよ。
青手木くらい美人だったら、誰かに声をかけられるんじゃないかって思ったけど、二時間が経って、入っていった客は二組のカップルだけだった。
入っていくとき、不思議そうな目で青手木を見ていったけど。
にしても、そろそろ帰ろよ。
見てて、痛々しいだろ。
せめて、動け。まさか、待っている間に石になったとかか?
……。
なんで、そこまで待ってられる。
二時間だぞ。怒って帰れよ。
……。
相変わらずの無表情の青手木。
くそ。全く動こうとしない。
……。
ダメだな。
恐らく、一日待たせたところで帰らないだろう。
ヘタをすれば、明日になっても動かないかもしれない。
……作戦失敗だな。
僕はため息をついて、青手木の元へと走った。
「何で帰らないんだよ」
声をかけると、青手木は僕の顔を無表情で見上げる。
そして、いつも通り、淡々と答えた。
「帰る理由がありません」
「二時間も遅刻したんだぞ。理由としては十分だと思うけどな」
「私は、そうは思いません」
「……悪かった」
「何がですか?」
「遅れてきて。本当にごめん」
「気にしてません」
……いっそ、恨み言の一つでも言って欲しかった。
これじゃ、僕が悪者じゃないか。
まあ、今回は完全に僕が悪いんだけど。
……反省。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
僕が歩き出すと青手木は隣にやってくる。
並んで歩く、僕と青手木。
幸い、この遊園地は入園料がかからない。
入口の門をくぐる。
うーん。
本当に人がいないなぁ。
「デートというのは、何をするんですか?」
不意に青手木が聞いてくる。
「そりゃ……」
遊園地に来てるんだ。
乗り物に乗るに決まっている。
が、さすがに乗り物に乗るには金がかかる。
青手木に言えば、出してくれそうだが、それだけは絶対にダメだ。
格好悪すぎる。
……遅刻した上に奢ってもうらうって、男として最低だろ。
「一緒に歩くんだ」
「そうですか」
黙って歩き続ける青手木。
それで納得できるんだ。ある意味すげえよ。
お互い、沈黙したまま十五分ほど並んで歩く。
……なんだこれ?
全っ然楽しくねえ。
デートってこんななのか?
その時、僕たちの前をカップルが走って行った。
仲良く手を繋いで。
突然、青手木が立ち止まった。
「ん? どうした?」
「先ほどの二人……夫婦でしょうか?」
「いや、大学生くらいだったから付き合っているだけだろ」
「……それでは、まだ婚約の状態ということでしょうか」
「うーん」
どうやら、青手木の中では付き合うというのは結婚前提という認識らしい。
実に重たい。
「私たちと同じということですね」
「まあ、そう……なのかな?」
一瞬、違うと言おうかと思ったが、面倒なので止めた。
頑張って説明したところで、絶対に理解してもらえないだろうし。
「それでは……」
青手木がスっと手を出してくる。
「……なんだ? 何か欲しいのか?」
奢って欲しいなんて、無理だぞ。僕の財布には四十円しか入ってないんだからな。
「手をつなぎましょう」
「……は?」
「先ほどの人たちみたいに」
「……」
まあ、付き合ってるなら、手をつなぐくらい当たり前だろう。
かと言って、僕たちもそうするのは抵抗がある。
このままだと、完全に青手木のペースに引き込まれてしまう。
「……どうかしましたか?」
無表情で、ジッと僕の顔を見てくる。
「つないでいただけないんですか?」
なんだ、この重圧は?
やめろよ、真顔でプレッシャーかけるの。
あー、もう。わかったよ。
「ほらよ」
僕は青手木の手を握る。
これはサービスだ。
作戦とは言え、二時間も待たせたんだからな。
これくらいはしてやらないと。
なんだかんだ言って、僕って流されてばっかりだよな。
そんなことを考えながら歩く。
繋いだ青手木の手は冷え切っていた。
僕は罪悪感に苛まれながら、繋いだ手に力を込める。
僕の手で、少しでも青手木の手を温めてやりたかった。