異変はすぐに感じることができた。
というのも、僕の家のドアに鍵がかかってなかったからだ。
いつも学校帰りにそのままバイト先に行くので、家に帰るのは十二時を過ぎる。
今は深夜の十二時十分。
なぜこの時間に鍵が空いているのか?
今日の朝、僕はドアに鍵をかけずに学校へ行った。
青手木が家にいたからだ。
……あいつ、まだいるのか?
一瞬、青手木が鍵をかけ忘れて帰ったのかと思ったが、人がいる気配がする。
泥棒という線も頭をよぎったが、取るものがないのに長居はしないだろう。
「……ただいま」
玄関でそうつぶやくと、奥から青手木が歩いて来る。
三つ指添えて頭を下げる青手木。
「お帰りなさいませ」
うーん。なんか、この光景も慣れてきたなぁ。
って、ダメだろ!
いつの間にか、受け入れている自分に喝を入れる。
「どうして、家にいる?」
「お出迎えするのは、妻として当然です」
「言うと思ったよ」
こんなやり取りにも、すっかりお馴染みになってしまった。
「僕が帰ってくるまで待ってたのか?」
「もちろんです」
「暇だったんじゃないか?」
「いえ、お掃除してましたから」
「……なに?」
急いで靴を脱ぎ、青手木の横を通り抜けてリビングまで走る。
確かに、キッチン(というほど立派ではないけど)までは入ることを許した(いや、許してはいないが)。
だけど、部屋まで荒らされたのではたまらない。
大体、僕の部屋は掃除するほど汚くない。というか、散らかるほど物がないのだ。
……しかし。
部屋は見事に荒らされていた。
そう、文字通り、荒らされていたのだ。
部屋の中は、物が散乱している。
泥棒だって、ここまではしないだろう。
タンスの中の服が全て引っ張り出され、本棚にある数少ない本も床にばらまかれている。
一番びっくりしたのが、足の踏み場もないほど、何かの欠片が散乱していたことだ。
拾って、よく見てみると、それは皿や茶碗の破片だった。
さらに所々、赤いものが落ちている。
どう見ても血だよな、これ。怖ぇよ。
へえ、僕の部屋って結構、物があったんだな。
……ん? 違う。そうじゃない。
「青手木」
「はい」
いつの間にか横に立っていた青手木が無表情のまま返事をする。
「お前、掃除してたって言ってたよな?」
「はい」
「これはどういうことだ?」
「すいません。まだ、掃除の途中だったんです」
「逆に散らかってるよ!」
「……?」
「いやいや。何言ってんの? って顔するなよ! 僕が出ていくよりも明らかに部屋が汚くなってるだろ! 掃除の途中ってレベルじゃねーって」
「……夕御飯の支度、してませんでした」
ポツリと青手木がつぶやく。鮮やかなスルースキルだった。
「大丈夫だ。もう食べたから」
こんな疲れた状態で青手木の料理を食べさせられたら、さすがに死んでしまう。
バイトで夕御飯が出たことをこれほど感謝したのは初めてだ。
「では、掃除の続きをさせていただきます」
青手木は破片を気にせず、裸足のままトコトコと歩き出す。
その歩いたところには、赤いものが足跡のように着いていく。
やっぱり、青手木の血だったのか。
「青手木、ストップ」
「……なんでしょう?」
何事もなかったように振り向く青手木。
……こいつ、神経通ってないんじゃないか?
「血が出てるぞ」
「……そうですね」
自分の血の跡を見下ろす青手木。
すると何を考えているのか、近くにあった僕の服(白のTシャツ)で血を拭いた。
「おい! 何してんだよ!」
「汚れていたので、拭きました」
「僕の服を使うなよ!」
「……?」
なんとなく、この部屋がこうなった理由がわかった気がする。
「とにかく、こっちに来い。あ、破片を踏まないようにな」
本や服の上を踏んでやってくる青手木。もちろん、血の足跡をつけながらだ。
さよなら。
僕の本と服たち。
「ここに座れ」
壁に立てかけていた、折りたたみ式の椅子を広げて座らせる。
そして、青手木の足の裏を見る。案の定、傷だらけになっていた。
「ちょっと待ってろ」
「でも、まだ掃除の途中です」
「いいから、動くなって」
「……はい」
僕は破片を踏まないように押入れまで移動する。
押し入れの奥に置いてある救急箱を持って、青手木の元へと戻る。
包帯を取り出し、青手木の足に巻いていく。
「自分でやります」
「動くなって言ってるだろ」
「……はい」
青手木は真面目に掃除をしたんだろう。
一時間や二時間じゃ、ここまでここまではできない。
……頭が良いのに、運動もできるのに、抜けていて不器用なんだな。
青手木は無表情のまま、僕が包帯をしていくのを黙って見ている。
でも、どこかバツの悪そうな感じがするのは気のせいだろうか。
うっ、ヤバイ。少し、可愛いって思っちまった。
「青手木、今日はもう帰れ」
「……でも」
「もうこんな時間だ。親も心配するだろ」
「親は家にいません」
「ん? そうなのか?」
「三ヶ月に一度、帰ってくるかどうかです」
「ふーん」
まあ、金持ちってそういうものなのかもな。
きっと仕事が忙しいんだろう。
ということは、家に帰っても一人か。寂しいだろうな。
僕も一人暮らしを初めて二年目だけど、今でも時々寂しいって感じることがある。
学校でも友達がいないから、月見里さんが唯一の僕の癒しだ。
青手木はその友達すらいない。どう思っているんだろうか。
って、ダメだ。変に感情移入するなって。
「とにかく家に帰れ。これは命令だ」
「……わかりました」
少し寂しそうに青手木は答えた。
相変わらずの無表情だったけど。