一時間目終了後。ようやく朝の衝撃が落ち着き、眠気が襲ってきていた。
いつものように休み時間は寝て過ごすことにしよう。
「ねえ、イノリ君、ちょっと良いかな?」
ちょうどうつ伏せになろうとした時に、後ろから声がした。
振り向かなくてもわかる。月見里さんの声だ。
というか、そもそも僕に話しかけてくるのは月見里さんしかいない。
僕は勢い良く振り向く。
後ろで手を組んで、立っている月見里さんがいた。
いたずらっぽく微笑んでいる。
ヤバイ。本当に可愛い。
「な、なに? ど、どうかした?」
思わず声が上ずってしまった。教室で話しかけられるなんて、本当に久しぶりで、びっくりしたからだ。
「イノリ君ってさ、青手木さんと付き合ってるの?」
「……え?」
「今日の朝、イノリ君のアパートの前にリムジンが停ってたって、話題だよ」
「……」
「沼っちが……。あ、弓道部の子ね。朝、通りかかった時に見たんだってさ」
「……」
くそ、油断した。
確かにリムジンなんか目立つからな。
この街でリムジンを持ってるなんて、青手木の家くらいしかないだろう。
「婚約まで進んでるって聞いたけど、実際どうなのかな?」
「……」
マズイ。非常にマズイ。
「あとあと、あの噂ってホントなの?」
「え? あの噂?」
「青手木さんって、誰とでも付き合うらしいけど、それには条件があるって」
「なに?」
「婚姻届けに名前を書かせるって話だよ。付き合うイコール結婚ってことだね。青手木さん、美人だけど、結婚までって言われると皆、引くみたい。そりゃそうだよね。高校生で結婚までは考えられないって」
やけにテンションが高い月見里さん。
嫉妬の微塵も感じられない。
どちらかというと、噂話に沸く、一般的な女生徒のようだ。
「ま、まさか。そんな話、デ、デマだよ」
かろうじてそう言うのが精一杯だった。
「そうなんだ? でも、付き合うなら真剣にね。結婚までは考えないにしても、大切にしてあげるんだよ」
「い、いや、違うって。デマって言ったのは、青手木と付き合ってるってところ」
「あれ? そうなの? じゃあ、リムジンの話は?」
「そ、それは……その……。あ、そう。忘れ物を届けにきてくれたんだ。あいつ、結構律儀なところがあってさ」
「忘れ物? 青手木さんの家に行ったの? イノリくん」
「ああ、いやいやいや。ほ、ほら、その、学校でだよ。なんかさ、青手木のカバンの中に、僕の教科書が入ってたみたいでさ」
「……なんですと?」
首を傾けて考え込む月見里さん。
くっ、やっぱり、苦しいか?
まあ、そりゃそうだろう。僕と青手木の机は離れている。
教科書が混じるなんてことは、ほぼ百パーセントないだろう。
「そ、それよりさ! 月見里さん、今度の日曜休みって言ってたよね? どこか遊びに行かない?」
「およ?」
月見里さんの顔がキョトンとなる。
……はっ!
今、僕、苦し紛れに何て言った?
さりげなく月見里さんをデートに誘ったんじゃないのか?
偉いぞ!
僕!
さすがだ、僕!
勢いに任せて、長年でできなかったことをやったぞ!
しかし、月見里さんは寂しそうな顔をして、
「うーー。ごめんね」
と、両手を顔の前で合わせて謝ってきた。
フラレたーーーーーーー!!!
ショック……。
一日暇だけど、僕と出かける暇はないと。
まあ、そりゃそうだろう。
僕と月見里さんの関係なんて、朝、ちょっと話すくらいの仲だ。
でも改めて、面と向かって断られると凹むな。
やっぱり、脈がなかったのか……。
「今度の日曜日、弓道部の皆と『dawn』に行くことになったんだ。大会前のリフレッシュってことでさ」
「え? 『dawn』? 遊園地の?」
この街には二つ遊園地がある。
一つは潰れかかった、古い遊園地。で、もう一つが話に出てきた『dawn』だ。
『dawn』は最近オープンした、最新の乗り物がそろっている。
噂では一つの乗り物に乗るのに、一時間待ちが当たり前らしい。
……そんなの待ち疲れするだけだろ。
でも、とりあえず先約があるから、僕の誘いを断ったということに安堵する。
月見里さんは友達を大事にする人だ。
その友達と一緒に遊びに行くなんて、本当に久しぶりだろう。ぜひ、楽しんできて欲しい。
朝、月見里さんの机に集まって話していたのは、その計画を立てていたのだろう。
チャイムが一時間目の休み時間の終りを告げる。
「ホントごめん。今度、また誘ってね」
そう言って、去っていく月見里さん。
ふう。なんとか誤魔化せた。
でも、これは良い方に転がったんじゃないか?
月見里さんは「また誘って」と言ってくれた。
これで次はもっと誘いやすくなったと思う。
……社交辞令な感は、ものすごくあるけど。
まあ、気にしない。
悲しくなるから。
それにしても、厄介だな。
家の中なら青手木との会話が聞かれないから、嫌われるのはちょうどいいかと思っていたけど、完全に逆だった。
青手木が僕の家に通っていると噂になれば、今度こそ誤魔しきれない。
青手木にリムジンを使うなと言ったところで、家の付近を歩いているのを見られたら意味がない。
となると、僕の家はダメだ。テリトリー内と言っても、リスクが大きすぎる。
やっぱり、外で、誰も見てないところで、だよなぁ。
そう考えながら、二時間目の先生が来るまでの時間を寝るために、僕は机に突っ伏したのだった。