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第4話 暴走する青手木

 授業はほとんど頭に入らなかった。

 当たり前だ。そんな場合じゃない。

 僕は頭を抱えて、目をつぶる。

 すると、授業中なのに、やたらと視線を感じた。


 ……わからんでもないが(月見里さんは普通だった。……くそ。嫉妬してない)。


 あの後、とりあえず青手木に帰るように言ってみると、あっさりと承諾してくれた。

 だから、今、教室内に青手木はいない。

 が、その状態はこのクラスにとっては、通常のことだ。

 そもそも青手木がテストの日以外に教室にいることがイレギュラーだったのだ。

 先生も特に気にしている様子はない。

 ただ、クラスの連中は違う。

 朝の、僕と青手木のやり取りを見ているのだ。


 好奇の目で見てくるのは当然だろう。

 幸いなことといえば、僕は友達がいない(幸いなのか?)ことだ。

 大体、休み時間はいつも寝てるし、学校が終わったらバイトしてるから、友達を暇がない。

 まあ、学校内で話すのは月見里さんくらいだ。


 だから、面と向かって朝のことを聞いてくる奴はいなかった。

 まあ、そんなことはどうでもいい。今、僕が考えるべきことは一つ。

 どうやって婚約破棄をするかだ。

 しかも、青手木の方から破棄を持ちかけてもらわないといけない。

 高校生で一億の借金って、それはそれで人生終わりだからな。


「月見里さんに伝わる前に……」


 確かに、現状では月見里さんとは脈がなさそうに思える。(あくまで思えるだ)。

 だからと言って、妙な誤解を与えたままにしておくのはマズイ。

 で、青手木の方から婚約破棄をさせるには、どうすればいいか。


 それは、僕のことを嫌いになってもらえばいいのではないか。

 さすがに嫌いな人間と結婚するほど人格は崩壊してないだろう。

 ただ、ここで問題が一つ浮かび上がってくる。


 単に青手木に対して、ひどいことを言えば良いというものじゃない。

 もし、そんな場面を他の奴に見られて噂になったとき、青手木だけじゃなく、月見里さんにも嫌われてしまう。


 それじゃ、本末転倒だ。


 だから人知れず、二人の時に、やんわりと嫌われなくてはならない。

 青手木も、僕と同じく友達はいないタイプだろう。

 ただ、念には念を入れるべきだ。

 青手木に実は友達がいて、そこから話が漏れる恐れもある。


 同じクラスでもあるし。


 なんとなく青手木に嫌われる。

 これがベストだ。


 よし。今後の方針が決まったところで、授業に集中するか。


 勉強をおろそかにするわけにはいかない。

 月見里さんは、学年でもトップクラスだ。(青手木には適わないが)

 付き合った時、彼氏が馬鹿だとマズイだろ。


 ……可能性はゼロじゃない。

 だったら、その準備をしておくべきだ。


 僕は黒板の文字を消される前に、慌ててノートに書き写す作業に没頭したのだった。




 僕は朝の時間をとても大事にしている。

 というのも、家に帰ってくるのはバイトが終わってからなので、大体十二時を過ぎてからになる。

 それから授業の予習復習をして、筋トレをこなす。

 バイオリンのイメージトレーニングをして(実際に音を出すと苦情がくるから)シャワーを浴びて、寝るのは深夜の三時を過ぎてしまう。


 睡眠時間が短いから、朝は一分、一秒長く寝ていたいのだ。

 僕は目覚まし時計を朝の七時にセットしている。

 本当は七時半でも間に合うのだが、その七時に起きないと月見里さんに会えないからだ。

 眠いが、朝、月見里さんに会うために早めに起きる。

 これで一日、乗り切ることができるのだ。


 つまり、何が言いたいかと言うと、目覚ましが鳴るまでは寝ていられるということ。

 しかし、この日は違った。


「イノリさん。朝です。起きてください」


 目覚ましの音よりも先に、その声に起こされた。

 聞き覚えのある声。


 ……誰かはわかっている。


 僕は重いまぶたを必死に上げる。

 案の定、見えるのは青手木の無表情の顔だった。


 なんだろう。

 青手木は僕の睡眠を邪魔するのが趣味なんだろうか。


 三日連続、この声に起こされている。


 今度はなんだ?

 なんの用だ?

 僕はまだ眠いんだぞ。

 ……ん? あれ?


 僕はぼんやりとした頭に、一つの疑問を浮かべる。

 そして、ガバっと起き上がる。


「青手木! なんで、ここにいる!」

「おはようございます」


 ペコリとお辞儀をする青手木。


「質問に答えろ!」

「……起こしに来ました」

「あ……うん。僕の質問が悪かった。どうやって、中に入ってきた?」

「ドアを開けてです」


 なんでこいつとは会話がすれ違うのだろう。

 よし、わかった。ちゃんと丁寧に質問しよう。


「ドアには鍵がかかっていたはずだ。どうやってドアを開けて、中に入ってきた?」

「大家さんにお願いして鍵を開けてもらいました」


 ほう。なるほど。大家さんなら、マスターキーというものを持っているだろうから、開けられるだろう。


 ……いや、開けるなよ!

 大家さん!


「そして、鍵の業者さんを呼んで鍵を付け替えました。これ合鍵です」


 そう言って、青手木は鍵を僕の手のひらの上に置く。


「なんで僕の家なのに、僕が合鍵の方なんだよ!」

「……そうですね。こちらがマスターキーになります」


 青手木は合鍵とマスターキーを入れ替える。


「……ん?」

「どうしました?」

「待て! 危ねえ! 騙されるところだった!」

「……?」


 相変わらずの無表情で首を傾げる青手木。


 大分、この動作にも慣れてきた。

 もう怖くないぜ。

 ……それより!


「なんで、鍵を付け替える!」

「私、鍵を持ってませんから。毎回、大家さんに開けてもらうのは非効率です」

「……当然のように僕の家に入ってこようとするなよ」

「夫を起こすのは、妻として当然です」

「……」


 ダメだ。こいつには何を言っても時間の無駄だな。諦めよう。

 チラリと時計を見ると、まだ六時だった。

 よし、まだ一時間眠れる。


「わかった。起こしに来てくれて、ありがとう。僕は起きた。もう少し寝るから、帰ってくれ」

「朝ごはんの用意ができてます」

「……朝飯?」

「黒毛和牛が手に入ったので、それを中心に作りました」

「……」


 青手木の顔はいつも通り無表情。まったく真意が読み取れない。


 ヤベェ。

 ちょっとテンション上がった。

 何が嬉しいって、タダ飯が食えることがだ!


 僕は基本的に朝食を食べない。

 正確に言うと、食べられない。

 ぶっちゃけて言ってしまうと金が無い。


 昼は購買で百円のコロッケパンを食べ、夕飯はバイト先で弁当が支給される。

 ちなみに僕がやっているバイトは飛行機の部品を組み立てる工場で、ひたすらネジをはめるというものだ。

 とにかく、僕にとって食べ物はなにより、ありがたい救援物資だ。


 ……いや、待て待て。

 素直に青手木の飯を食ってどうする。


 そんなことをしたら青手木の策略にまんまと飛び込むようなものだ。

 食物は惜しいが、忘れるな。

 僕の目的は、青手木に嫌われることだ。


 婚姻届を握られている以上、こちらが不利だと思う。

 さらに弱みを見せるわけにはいかない。


 ふん。

 いつまでもやられてばかりの、この千金良イノリではないぜ。


 昨日、一時間ほどかけて『青手木シオに嫌われよう計画』を立てたのだ。

 しかも、今は家の中。つまり、完全に僕のテリトリー内だ。


 ふん。

 油断したな、青手木シオ。

 ここなら、どんなことを言おうが、外に漏れる恐れはない。


 僕はわざと間抜け面をして、気の抜けた声を出す。


「僕さ、朝はグダグダと過ごさないとダメなんだ。もちろん、朝ごはんも食べないし、遅刻だってする。ホント、ダメ人間なんだ」

「今後はきちんとした生活をしましょう。私がサポートします」


 作戦一、失敗。

 ちっ、まあ、いい。次だ。


「なあ、青手木、お前に僕は、もったいないと思うんだ。もっとお前にふさわしい男がいると思うぞ」

「いません」


 作戦二、失敗。

 なかなかやるな、青手木。だが、最後のこれには耐えられまい。


「青手木。実は僕、お前の身体と財産が目当てなんだ」

「お好きにどうぞ」


 ……作戦三、失敗。

 青手木はあっさりと僕の作戦を全て看破して見せた。


 無表情と淡白な物言いが逆に凄みを感じさせる。


 くそ。頑張って考えたのに。

 ……昨日の一時間を返して欲しい。


「それでは朝ごはんを食べましょう」


 青手木が僕の手をグッとつかむ。


「い、いや、待ってくれ。ほ、ほら、僕、朝ごはん食べない主義だし」


 ……本当は食べたい。食べたいが、ここで食べてしまったら負けな気がする。


「朝食を摂らないと脳に栄養が届かないため、やる気低迷につながります。これからはちゃんと食べてください」

「うう……」


 僕はガクリと肩を落とし、ベッドから出る。

 考えてみれば、青手木はすでに朝食を作ったと言っていた。

 しかも僕の為に。

 ここで嫌われるためだからと言って、その料理を捨てるわけにもいかないよな。

 ……だって、もったいないだろ。

 僕は食べ物を粗末にするのが嫌いだ。


「わかったよ」


 僕は降参の感じで両手を上げ、リビングへと向かった。

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