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第3話 慰謝料1億円

 もうすぐホームルームが始まる時間だからか、体育館には誰もいなかった。

 ホームルームには間に合わないだろうが、仕方ない。


「……どういうことなんだ?」


 僕の言葉に、青手木は少しだけ首をかしげる。

 ……無表情でその動作をすると、壊れた人形のようで怖い。


「なにがでしょうか?」


 なぜ、敬語で話す?

 青手木は誰にでも敬語を使うような奴ではない。

 というより、逆だ。

 先生にだって、タメ口で話すような奴だ。

 まあ、話自体、あまりするようなタイプじゃない。

 ほとんど学校にも来ないし。


「なぜ、僕を迎えにくる必要がある? 何かの嫌がらせか? それとも罰ゲームの類か?」

「私はイノリさんの妻ですから。それくらいは当然のことです」

「……」


 質問をして答えてもらったのに、謎が深まる。

 青手木が何を言っているのか、まったくわからなかった。


 ……妻? さっきも言ってたな。あれか?

 友達がいないから、一人でおままごとをやっているとかか?

 ……シュール過ぎるだろ。

 高校生にもなって、おままごとって。

 まあ、別に他人がどんな趣味を持ってようが、僕には関係ない。

 問題なのは、それに巻き込まれたということだ。


「……他の奴にやってもらえよ。青手木なら、喜んで旦那役をやってくれるはたくさんいるだろ」

「約束してくれたのはイノリさんだけですから」

「約束?」

「結婚のです」

「……」


 まいった。

 どうやら、青手木の脳内では、そこまで話が進んでいるようだ。


「とにかく、僕はごめんだ。他を当たれ」

「それは無理です」

「なんでだよ?」


 僕がそう言うと、青手木はポケットの中を探り始め、一枚の紙切れを出した。

 結構、大きい紙だった。

 テスト用紙を二枚、横に貼り付けたくらいの大きさがある。


 ん? その紙、どこかで見たような……。


「昨日、書いてもらった紙です」


 青手木の言葉に、僕はポンと手を叩く。

 昨日、放課後の教室で、その紙に名前書かされた上に母印まで押さされたことを思い出す。


「その紙が、どうしたんだ……え?」


 紙の右上に書いてある文字が目の端に映り、僕は何度も目をこする。


 いやいや。待て待て。

 はは。そんなわけない。あるはずがない。

 てか、それって、学生が貰えるもんなのか?


 青手木が持っている紙には『婚姻届』と書かれてあった。

 当たり前だが、その紙には青手木シオの名前と千金良イノリ……僕の名前が書かれてある。

 そして、その名前の隣には、しっかりと僕の母印が押されていた。


「な、なんだよ、これ……」

「婚姻届。正式名称、婚姻届書。夫または妻になる人、それぞれの印鑑を押し……」

「違う! そういうことを聞いてるわけじゃない」


 青手木は僕の言葉に、無表情のまま、首をかしげる。


 ……いや、怖いって。

 なんか、人形が勝手に動いてみたいで。


 だが、僕はこんなことでくじけるわけにはいかない。

 ビシッと青手木を指差し、僕は言う。


「なんで、そんなものを持ってる!」

「結婚したいからです」

「あ、うん。まあ、そうだよな」


 青手木の回答はまっとうで、グウの根も出ない。

 だが、そんなことじゃ諦めないぞ。

 結婚なんて、冗談じゃない。


「なんで、僕の名前が書いてある!」

「イノリさんが、昨日、書いてくれたからです」

「……ですよね」


 くそっ、確かに昨日、名前を書いたのは僕自身だ。


 ヤバイ。

 どうしよう。


 僕は頭を抱えて悶える。


 なんてこった。

 なんで、人生を決める重要なことを簡単に決めてしまったんだ。

 眠たいから、早く終わらせたいから、というショボイ理由で。


 ……あれ?

 ちょっと待て。

 なんか、話がズレてないか?


 僕はハッとして、顔を上げる。


「……なあ、青手木。僕たちって、別に付き合ってなかったよな?」

「はい。昨日、初めてお話しました」

「なんで、それが急に結婚ということになるんだ?」

「婚姻届けに名前を書いてくれたからです」

「いやいや。待てよ。じゃあ、何か? お前は、婚姻届に名前を書いてくれれば、誰でも良いっていうのか?」


 青手木は壊れた人形のように、カクンとうなずいた。


「……私のことを好きと言ってくれるなら、誰でも、です」

「節操無いなっ! ……ん? 今、引っかかること言わなかったか? 僕が、お前のことを好きって言ったって……」

「はい」


 その、無表情でうなずくの、止めて。

 トラウマになるから。


 というのは、置いておいて。


「そんなわけないだろ。いつだよ?」

「昨日。放課後」

「ん? 昨日?」


 僕は腕を組み、首をひねって昨日のことを思い出す。

 寝ているところを青手木に起こされて……。


「あっ! お前、もしかして」

「最初は寝言かと思いました。でも、その後、婚姻届に名前を書いてくれたので、本気なんだと思いました」

「……」


 話を整理するとこうだ。

 僕は不覚にも、寝言で「好きだ」的なことを言ったらしい。

(考えてみると、思い当たるフシがある)。


 あの時、教室には僕と青手木しかいなかった。

 青手木は自分が告白されたのではないかと思ったわけだ。


 ……いや、机に突っ伏したまま告白はないだろ。

 そこで青手木は真意を確かめるために、婚姻届を僕の前に出した。

 ……そして、僕はそれに名前を書いた。


 え? 馬鹿なんですか?

 僕も青手木も。


 そんなんで、結婚決めていいわけないだろ。

 とにかく、ここは誤解を解かねば。


「あのな、青手木、僕は……」


 その時、いきなり青手木はその場に座り込んだ。

 三つ指添えて、深々と頭を下げる。


「不束者ですが、末永く、宜しくお願いします」

「あ、いや……」

「付け加えておきますが、婚約破棄をされるなら慰謝料をもらいます」

「……い、いくらくらい?」

「一億ほどになります」


 体育館の中なので、風が吹くなんてことはありえないはずなのだが、僕は確かに感じた。

 ヒューという風が吹いたのを。

 そして思った。


 ……僕の人生詰んだ。と。

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