もうすぐホームルームが始まる時間だからか、体育館には誰もいなかった。
ホームルームには間に合わないだろうが、仕方ない。
「……どういうことなんだ?」
僕の言葉に、青手木は少しだけ首をかしげる。
……無表情でその動作をすると、壊れた人形のようで怖い。
「なにがでしょうか?」
なぜ、敬語で話す?
青手木は誰にでも敬語を使うような奴ではない。
というより、逆だ。
先生にだって、タメ口で話すような奴だ。
まあ、話自体、あまりするようなタイプじゃない。
ほとんど学校にも来ないし。
「なぜ、僕を迎えにくる必要がある? 何かの嫌がらせか? それとも罰ゲームの類か?」
「私はイノリさんの妻ですから。それくらいは当然のことです」
「……」
質問をして答えてもらったのに、謎が深まる。
青手木が何を言っているのか、まったくわからなかった。
……妻? さっきも言ってたな。あれか?
友達がいないから、一人でおままごとをやっているとかか?
……シュール過ぎるだろ。
高校生にもなって、おままごとって。
まあ、別に他人がどんな趣味を持ってようが、僕には関係ない。
問題なのは、それに巻き込まれたということだ。
「……他の奴にやってもらえよ。青手木なら、喜んで旦那役をやってくれるはたくさんいるだろ」
「約束してくれたのはイノリさんだけですから」
「約束?」
「結婚のです」
「……」
まいった。
どうやら、青手木の脳内では、そこまで話が進んでいるようだ。
「とにかく、僕はごめんだ。他を当たれ」
「それは無理です」
「なんでだよ?」
僕がそう言うと、青手木はポケットの中を探り始め、一枚の紙切れを出した。
結構、大きい紙だった。
テスト用紙を二枚、横に貼り付けたくらいの大きさがある。
ん? その紙、どこかで見たような……。
「昨日、書いてもらった紙です」
青手木の言葉に、僕はポンと手を叩く。
昨日、放課後の教室で、その紙に名前書かされた上に母印まで押さされたことを思い出す。
「その紙が、どうしたんだ……え?」
紙の右上に書いてある文字が目の端に映り、僕は何度も目をこする。
いやいや。待て待て。
はは。そんなわけない。あるはずがない。
てか、それって、学生が貰えるもんなのか?
青手木が持っている紙には『婚姻届』と書かれてあった。
当たり前だが、その紙には青手木シオの名前と千金良イノリ……僕の名前が書かれてある。
そして、その名前の隣には、しっかりと僕の母印が押されていた。
「な、なんだよ、これ……」
「婚姻届。正式名称、婚姻届書。夫または妻になる人、それぞれの印鑑を押し……」
「違う! そういうことを聞いてるわけじゃない」
青手木は僕の言葉に、無表情のまま、首をかしげる。
……いや、怖いって。
なんか、人形が勝手に動いてみたいで。
だが、僕はこんなことでくじけるわけにはいかない。
ビシッと青手木を指差し、僕は言う。
「なんで、そんなものを持ってる!」
「結婚したいからです」
「あ、うん。まあ、そうだよな」
青手木の回答はまっとうで、グウの根も出ない。
だが、そんなことじゃ諦めないぞ。
結婚なんて、冗談じゃない。
「なんで、僕の名前が書いてある!」
「イノリさんが、昨日、書いてくれたからです」
「……ですよね」
くそっ、確かに昨日、名前を書いたのは僕自身だ。
ヤバイ。
どうしよう。
僕は頭を抱えて悶える。
なんてこった。
なんで、人生を決める重要なことを簡単に決めてしまったんだ。
眠たいから、早く終わらせたいから、というショボイ理由で。
……あれ?
ちょっと待て。
なんか、話がズレてないか?
僕はハッとして、顔を上げる。
「……なあ、青手木。僕たちって、別に付き合ってなかったよな?」
「はい。昨日、初めてお話しました」
「なんで、それが急に結婚ということになるんだ?」
「婚姻届けに名前を書いてくれたからです」
「いやいや。待てよ。じゃあ、何か? お前は、婚姻届に名前を書いてくれれば、誰でも良いっていうのか?」
青手木は壊れた人形のように、カクンとうなずいた。
「……私のことを好きと言ってくれるなら、誰でも、です」
「節操無いなっ! ……ん? 今、引っかかること言わなかったか? 僕が、お前のことを好きって言ったって……」
「はい」
その、無表情でうなずくの、止めて。
トラウマになるから。
というのは、置いておいて。
「そんなわけないだろ。いつだよ?」
「昨日。放課後」
「ん? 昨日?」
僕は腕を組み、首をひねって昨日のことを思い出す。
寝ているところを青手木に起こされて……。
「あっ! お前、もしかして」
「最初は寝言かと思いました。でも、その後、婚姻届に名前を書いてくれたので、本気なんだと思いました」
「……」
話を整理するとこうだ。
僕は不覚にも、寝言で「好きだ」的なことを言ったらしい。
(考えてみると、思い当たるフシがある)。
あの時、教室には僕と青手木しかいなかった。
青手木は自分が告白されたのではないかと思ったわけだ。
……いや、机に突っ伏したまま告白はないだろ。
そこで青手木は真意を確かめるために、婚姻届を僕の前に出した。
……そして、僕はそれに名前を書いた。
え? 馬鹿なんですか?
僕も青手木も。
そんなんで、結婚決めていいわけないだろ。
とにかく、ここは誤解を解かねば。
「あのな、青手木、僕は……」
その時、いきなり青手木はその場に座り込んだ。
三つ指添えて、深々と頭を下げる。
「不束者ですが、末永く、宜しくお願いします」
「あ、いや……」
「付け加えておきますが、婚約破棄をされるなら慰謝料をもらいます」
「……い、いくらくらい?」
「一億ほどになります」
体育館の中なので、風が吹くなんてことはありえないはずなのだが、僕は確かに感じた。
ヒューという風が吹いたのを。
そして思った。
……僕の人生詰んだ。と。