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第2話 朝のひと時

「隙有りー!」


 後ろから声がする。

 振り向くと、そこには一人の女の子が弓を構えていた。

 いや、実際にはマフラーを矢に見立てて、弓を構えているといった格好だ。


「バーン!」


 そう言うと同時に、右手でつまんでいたマフラーの端をパッと放す。


 ……なんで弓なのに、効果音が銃なんだろう?


「えっへっへ。今日もイノリくんのハートを打ち抜いてやったぜ」


 得意げに鼻の下を人差し指でこすっている。

 はい。いつも、打ち抜かれてます。

 ……うう、可愛い。


「お、おはよう。月見里さん」


 そう。僕が待っていたのは同じクラスである、この人。

 ショートカットがとても似合う、いつも元気な#月見里__やまなし__#カヤさん。


 三年前に出会い、この高校で劇的な再会を果たした、その人だ。

 残念なことに、月見里さんは三年前のことは覚えていなかったんだけどね。

 僕の苗字と同じくらいに読み方が難しい。

 共通点のような気がして、ちょっと嬉しかったりするのだ。


「ここでイノリくんに会うこと多いよねー」


 月見里さんはマフラーを首に巻き、上靴に履き替える。


「あ、う、うん。そうだね」


 そりゃそうだ。

 だって、僕は月見里さんと一緒に教室に行くために、この時間に来るんだから。


 月見里さんと並んで廊下を歩く。

 まさに至福の時間。


 背は若干、僕の方が高いくらいだから、横を向けばすぐ月見里さんの顔がある。


 ……事故を装って、キスとかできないものだろうか……などと、朝から邪なことを考えてみたりする。

 ……おっといかん。妄想なんて、あとからいくらでもできるんだ。

 今は月見里さんとの会話を楽しまねば!


「月見里さんは、今日も部活の朝練?」

「冬ぐらいは中止すればいいのにさぁ。……でも試合近いからしょーがないよねー」


 両手を上げて、やれやれといった感じの仕草をする月見里さん。

 いや、そこは頑張って欲しい。

 朝練の終わる時間は大体いつも同じだからこそ、こうして待ち伏せができるんだからさ。


 月見里さんは弓道部に所属している。

 うちの学校は結構、部活に力が入っていて、全国大会に出場している部活もあるくらいだ。

 弓道部も去年、全国大会への切符をあともう少しのところで逃したらしい。

 一方、僕は部活なんてやってる暇はないから帰宅部だ。


「イノリくん、今日も、朝から疲れた顔してるね。バイト忙しいの?」

「いや、そんなことないよ。元々、こんな顔だし」

「ええ? イノリくんって、疲れた顔で生まれてきたのかよー」


 あはは、と笑う月見里さん。


 うわ、可愛い。癒される。

 僕はいつもこの顔を見るために、頑張ってこの時間に登校しているのかもしれない。


「月見里さんだって、疲れてるんじゃないの? 部活の後にバイトでしょ?」

「にゃはは……」


 困ったように笑う月見里さん。

 月見里さんは放課後、七時くらいまで弓道部の練習をして、そのあと四時間もバイトをするという猛者なのだ。

 なのに眠い顔一つ見せずに、毎日部活の朝練をサボらずに出るなんて本当に凄いことだと思う。

 僕は月見里さんのことが、その、す、好きだけど、それ以上に尊敬している。


「お互い、一人暮らしは辛いですなぁ。まあ、私の方は仕送りあるから、そこまでバイトに集中しなくてもいいんだけどね」


 月見里さんも僕と同じく、一人暮らしをしている。


「でも、今度の日曜は休み取ったから、ゆっくり寝るとするさー」

「へえ、月見里さんが日曜にバイト休むなんて珍しいね」

「休みを取ったというよりは、ただお店が休みなだけなんだけどね。なんか、新メニューの開発するんだって、親父さん張り切ってるんだ」


 月見里さんはラーメン屋の『K・K』というお店で働いている。

 ラーメン屋にしては変わった店の名前だが、出しているラーメンも変わっているから、逆に合っているのかもしれない。


 それにしても新メニューか。こ

 の前はカルボナーラ風ラーメンだったからなぁ。

 今度はどんな物が出てくるのか、怖いようで興味がある。しかも、『K・K』は意外にも繁盛しているのだ。


「じゃあ、部活が終わってからは、ゆっくりできるんだ?」

「その日は部活も休みだよ」

「え?」

「大会前のリフレッシュ休暇だってさー。先生も粋な計らいしてくれるよねー」

「……」


 こ、これは……チャーーーンス!

 来ましたか? ついに僕にも春が到来ですか?


 今まで何度もデートに誘おうとしたが、月見里さんは忙しくて、それどころではなさそうだったのだ。


 あ、うん。まあ、実際、誘ったことはないよ。

 断られるの、目に見えてるからさ。

 僕はマゾじゃないんだから、無闇に心に傷を追うようなことはしないって。

 よし。落ち着け、僕。


 確かに月見里さんにとって、その日はゆっくり休める大事な日だ。

 だけど、デートを昼過ぎで切り上げるか、そもそも待ち合わせの時間を午後からにすれば、そこまで負担にはならないだろう。

 こんな時のために、何百通りもデートプランを考えてきたのだ。


「あ、あのさ、月見里さん。その……よ、よかったらさ」

「どしたの、イノリくん。脂汗出して。良い出汁とれそうだよ?」

「いや、その、暇だったらでいいんだけどさ」

「……?」

「ぼ、僕とデー……」

「ん? なんだろ、あれ」

「へ?」


 急に月見里さんが立ち止まって、指を指す。

 その方向には、人だかりができていた。ちょうど僕たちのクラスの前だ。


「なんか、あったのかな?」


 不思議そうに首を傾げる月見里さん。

 教室のドアが全開になっていて、そこから他のクラスの生徒が教室内を見ている。

 男女比率としては、若干、男子が多いといったところか。


「転校生でも来た……とか?」

「まっさかぁ。こんな半端な時期にそれはないよ。イノリくんの発想、ベタ過ぎぃ」


 あはは、と笑う月見里さんは、やっぱり可愛い。


「カヤ、カヤー! 大ニュースだよ!」


 そう言って、走ってきたのはクラスメートで月見里さんの親友の細谷(だったはず、確か)だ。

 二人は本当に仲が良くて、学校にいる時はほぼ一緒にいる。

 ……僕があまり教室で月見里さんに話しかけられない原因の一つだ。

 ちなみに、この細谷も部活に入ってない。


「え? なになに?」

「来て来て、早く!」


 そう言って細谷は月見里さんを引っ張って、教室に入っていった。


「はあ……」


 まあ、いつものことだ。

 月見里さんと話せるのは、大体、昇降口から教室の前までの距離だけ。

 それ以外は、ああして細谷が月見里さんを独占している。

 ……何度も殺意を覚えたことは、あえて言うまでもないだろう。


 気を取り直して、人ごみを押しのけ、教室内へと入る

 教室内も妙に騒がしい。

 僕は自分の席に座り、カバンから教科書を出し、机の中へと入れる。

 その動作を行いながらも、ざわついた周囲へ聞き耳をたてる。


「青手木さんが、来てるぞ」

「マジか! だって、テストは昨日で終わりだぜ?」

「どうしたんだろうね?」


 僕は視線をあげ、左から二番目の、前から三番目の席を見る。

 まあ、つまりは青手木の席だ。

 他のクラスメートたちは、青手木を中心に一メートル程感覚をあけて円を作り出していて、まるで見世物のような状態になっている。

 本人はというと、まわりのことを一切気にすることなく、ずっと前を見ている。


 後ろからだと表情までは見えないので、もしかしたら注目されていることを恥ずかしがっているかもしれないが……。

 確かにテスト日以外で、青手木が登校してくるのは珍しい。

 が、そこまで騒ぐことか?

 まったく、暇な奴らだぜ。

 教科書を机の中に入れ終わった僕は、いつものようにホームルームの時間まで寝ようと思い、机に突っ伏した。


「おはようございます。イノリさん」


 ……デジャブか? いや、幻聴か。


 昨日も寝ていた時に、こうして青手木に話しかけられたんだよな。


「今日はお迎えにあがれなくて、申し訳ありません。何時に家を出られるのか、聞きそびれてしまって……」


 一気に教室内がザワザワと騒がしくなる。


 ……僕に言っているのか?

 それに、迎え?

 なんの話だ?

 いや、僕に言ってるわけじゃないだろうな。

 青手木とは一緒に登校するほどの仲じゃないっていうか、昨日初めて話したくらいだ。

 きっと僕の隣の奴に話しかけているんだろう。

 無視して、寝よう。


「ね、ねえ、イノリくん。青手木さんが、話しかけてるけど?」 


 月見里さんの声が聞こえて、ガバっと僕は顔を上げる。

 目の前には青手木が無表情で立っていた。


「……なんの用だ?」

「家を出る時間を教えていただけませんか?」

「そんなことを聞いて、どうするつもりだ?」

「明日からは、ちゃんと迎えに行きますので」

「なぜ、そんなことをする? 嫌がらせか?」

「私はイノリさんの妻ですから、当然だと思います」


 青手木の言葉で、一気に教室内がヒートアップする。


「なに? 千金良君と青手木さん、付き合ってるの?」

「うっそ。マジで? じゃあ、あの条件、飲んだってことか?」

「いや、それにしたって、千金良と青手木が話してるの見るのなんか、今日が初めてだぜ。条件飲めば、誰だって良いってことかよ」

「イノリくん、どういうこと、かな?」


 いつの間にか僕の後ろに立っている月見里さんが尋ねてくる。

 ……僕が聞きたいくらいだよ。


「……」


 ふと、青手木が僕から視線を月見里さんへと向けた。

 目を細め、ジッと見る。まるで蛇が獲物を狙っているかのように錯覚するほど、冷めていて、かつ、敵意を露わにしていた。


「おおう!」


 月見里さんも同じように感じたのか、一歩下がった。

 なんなんだよ、一体。


「安心してください。近づく女は私が排除します」


 いや、怖ぇって! 無表情なのが特に。全っ然、安心できねえ。

 青手木の言葉で、いよいよ、クラス中が騒がしくなる。

 後ろには月見里さんがいる。変な誤解をされたらマズイ。

 まあ、どうも思われないかもしれないけど。


「ちょっと来い」


 とにかく、ここじゃダメだ。

 僕は青手木の手をつかみ、教室から出る。

 教室の外にいる野次馬どもをかき分けて、体育館へと向かったのだった。

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