ハルヴァスの中庭に、朝陽が柔らかく差し込んでいた。零夜たち一行は、小型フェンリルのヤツフサを中心に集まっていた。今日は特別な日だ。地球――零夜、倫子、日和の故郷へ向かうための準備が整った瞬間だった。だが、アイリン、エヴァ、マツリ、トワ、エイリーン、ベルにとっては、初めての「地球」への旅。期待と不安が入り混じる空気が、彼らを包み込んでいた。
「今回から零夜達の故郷である地球に向かう事になるが、アイリン、エヴァ、マツリ、トワ、エイリーン、ベルは地球に行くのは初めてだったな」
「ええ。少し不安もあるかも知れないけど、零夜と一緒なら大丈夫だから」
ヤツフサからの質問に対し、エヴァは、ふわりと銀色の尻尾を揺らし、零夜の腕にそっと寄り添った。その笑顔は、不安を吹き飛ばすような明るさで輝いている。零夜の存在が、彼女にとって何よりも心強い支えなのだ。
だが、その瞬間、ヒューマンの倫子が二人の間に割り込んだ。
「はーい。イチャイチャするなら、そこまでにしましょうね」
倫子の声には、冗談めいた苛立ちが滲む。彼女は腕を組み、エヴァを牽制するように睨んだ。
「ちょっと、邪魔しないでよ! せっかく良い所なのに!」
エヴァは、むっとした表情で反撃。尻尾がピンと立ち、鋭い目つきで倫子を睨み返す。
「ウチがいる事を忘れちゃ困るんじゃゴラ」
「むーっ!」
倫子とエヴァは額をくっつけて、メンチを切りながら睨み合っていた。周囲にはまるで黒い雷雲のようなオーラが漂い始めた。
その様子に、日和やトワは思わず一歩後ずさる。エイリーンは特に怯えた様子で、ベルの背中に隠れるようにして震えていた。
「ひ、ひぃ…怖いよぉ…」
「大丈夫よ、エイリーン。二人とも本気じゃないわ」
小さな声で呟くエイリーンを、ベルが優しく抱き寄せる。まるで親子みたいであるが、年齢としてはエイリーンの方が上だ。
「喧嘩している場合か! 俺達はこれから任務があるんですよ! 史上最大となるミッションが!」
「「むぅ……」」
零夜の声に、倫子とエヴァはハッと我に返る。不満げな声を揃えて漏らすものの、零夜の真剣な眼差しに逆らう気にはなれなかった。二人は渋々距離を取り、気まずそうにそっぽを向く。
「ともかく、その様子だと大丈夫みたいだな。全員俺の周りに集まってくれ!」
ヤツフサの合図で、皆が肩を組み、円陣を組んだ。マツリが力強く零夜の肩を叩き、エルフのトワが静かに微笑む。アイリンは少し照れながらも、エヴァの隣に立つ。
すると、足元に青白い光が広がり、複雑な紋様の魔法陣が浮かび上がった。
「今回は魔法陣ですね。いつもならワープホールなのに……」
「そう言う事になるが、節約の為だからな。では、転移開始!」
ヤツフサの力強い声と共に、一行を包む光が眩く輝き――次の瞬間、彼らの姿は中庭から消えていた。
※
東京・後楽園ホール。その円形の闘技場は、かつて零夜たちが異世界ハルヴァスへと転移した場所だった。照明が落とされた会場内は静寂に包まれ、観客席の暗闇が広がっている。まるで時間が止まったかのような空気が漂っていた。
突如、ホールの中央に光の粒子が集まり、魔法陣が浮かび上がる。光が収まると、そこには円陣を組んだ零夜たち一行が現れた。彼らは互いに手を離し、辺りを見回す。見慣れたコンクリートの壁、リングの跡、観客席の配列――紛れもなく地球の後楽園ホールだ。零夜、倫子、日和の三人は、元の世界に帰還した瞬間を実感していた。
「ようやく帰ってきたか……」
「後楽園ホール……事件と転移した場所やね」
「やっと帰ってきたんだ……只今、地球」
零夜たち三人は地球に帰ってきた事を嬉しく思い、背伸びなどをしながら笑顔になっていた。ハルヴァスでの冒険、元の世界に戻れるかという不安――それらを乗り越え、ようやく故郷の土を踏めた喜びが胸に広がっていた。背伸びをしたり、肩を軽く叩き合ったりしながら、彼らはその瞬間を噛みしめる。
一方、初めて地球に降り立ったエヴァたちは、未知の光景に戸惑っていた。
「ここが零夜たちの故郷……」
「見た事のない家がたくさんある……」
「外には大きな建物もあるし……」
「見た事のない物ばかりで困惑します……」
「そう言えばここって……後楽園ホールと聞いたけど……」
「凄い空間ね……」
ハルヴァスとは全く異なるコンクリートと鉄の空間に、エヴァたちはキョロキョロと視線を彷徨わせる。ガラス張りの窓から見える東京のビル群、遠くで聞こえる車の音――すべてが新鮮で、どこか異質だった。
「地球に帰ったという事は……財布の通貨も変わっているのかな?」
「調べてみるわね」
日和は自分たちの財布も通貨が変わっているのか疑問に感じ、トワはすぐに財布を手元に召喚する。そのまま中身を見ると、いつの間にか見慣れた日本円の紙幣と硬貨が詰まっていた。
ハルヴァスに来た時もそうだが、違う世界に行くとお金もその世界の通貨に変わってしまう現象が起きてしまう。しかし異世界に来て困っている人にとっては大助かりなので、その現象は永久に残しておくべきと言えるだろう。
「通貨が円に変わっているわ。これがあなた達の世界の通貨なの?」
「ああ。俺達の世界は様々な国があるが、ここ日本では円と決まっているからな。他の国では通貨も違うけど」
トワは自分の財布の通貨が変わっている事を確認し、気になる事を零夜に質問する。彼は冷静な表情で解答し、トワたちはその内容に納得する。地球にある多くの国では通貨にも違いがあり、韓国はウォン、中国は元、アメリカではドルという様に、国ごとに様々な通貨が設定されているのだ。
「所変われば品変わるね。私達の世界では全てヴァルに統一されているのに……」
ベルは地球には様々な国がある事を知るが、多くの国が違う通貨となっている事にカルチャーショックを受けていた。
ハルヴァスでは一つの通貨で全ての国が繋がっていたが、地球の複雑な仕組みは彼女にとって新鮮だった。初めて地球に来た人にとっては混乱してしまうのも無理はない。
「様々な世界によって違うし、その気持ちは分かるわ。けど、服は変わってないけど……」
アイリンは苦笑いしながらベルに同情するが、自分達の服が変わってない事に気付く。彼女達の服はハルヴァスにいる時と全く変わってないので、これを他の人が見たらおかしいと思われてしまうだろう。
「本当だ! この姿じゃ恥ずかしいかな……」
「うん……それに今は冬となっているし、風邪ひいちゃいそう……」
倫子が両腕で胸を覆い、頬を赤らめる。彼女の戦闘服は動きやすいが、露出がやや多いデザインだ。日和も同じ様なポーズをしていて、寒さを感じながらガタガタ震えている。カウガールの姿は流石にどうかと感じているのも無理はない。
しかしエヴァ達は平然と立っていて、寒さを感じていなかった。現在は12月12日となっているのにも関わらず、平然と立っているのはおかしいと思うだろう。
「大丈夫よ。私達が今着ている服は戦闘服其の物となっているし、季節に応じて様々な効果を持っているわ」
「冬は保温効果、夏は除湿効果という風になっていますし、ガタガタ震えなくても大丈夫ですよ」
トワとエイリーンは今着ている服の説明をしていて、それを聞いた倫子と日和は自身が寒くない事に気付く。今着ている服は保温効果を持っているので、寒さを感じずに普通に動く事ができるのだ。
「あっ、本当だ。これなら大丈夫かも」
「けど、今は戦闘中じゃないし……ここは私の手で普通の服に変えないとね。それっ!」
倫子は自身の着ている服に保温効果がある事を実感し、安堵の表情でホッとする。しかし日和は今の服に違和感がある事を実感し、指を鳴らして皆の服を変え始めた。
零夜は黒のパーカーとグリーンカーゴパンツのラフなスタイル。倫子は黒いジーンズに紫色のセーターで、動きやすさと可愛らしさを両立。日和は白のロングスカートと赤いセーターで、優しい雰囲気が際立つ。アイリンは赤いパーカーとジーンズで、猫耳がチラリと覗くカジュアルな姿。エヴァはジーンズにサスペンダー、白い長袖シャツで、シルバーウルフの尻尾が映えるシンプルさ。マツリは水色ロングスカートと赤い長袖シャツで、角が堂々とした存在感を放つ。トワはデニムジーンズと緑色のセーターで、エルフの優雅さが漂う。エイリーンはオーバーオール風のつなぎ服にオレンジ色のセーターで、ドワーフらしい無骨さが光る。ベルは白いセーターとデニムストライプのオーバーオールで、ミノタウロスの角と尻尾が穏やかな印象に調和していた。
「この服、とても似合うかも!」
「冬はこの服が必要かもね!」
「アタイもこの服装はありだけど、スカートがちょっとな……」
「私も少し気に入ったかな?」
「地球にはこんな服もあるのですね」
「ええ。着心地が良くて見事ね」
新しい服は暖かく、地球の冬にぴったりだった。柔らかな生地と鮮やかな色合いが、一行を東京の街に溶け込ませる。だが、マツリだけはスカートの裾をつまみ、少しモジモジしている。ズボン派の彼女には、スカートはまだ慣れないらしい。
「後はフセヒメ様が住居を用意している。すぐにここから移動するぞ」
ヤツフサの言葉に、零夜たちは頷く。彼が小さな前足を踏み出すと、地面に複雑な魔法陣が広がる。光が一行を包み込み、次の瞬間、後楽園ホールは再び静寂に包まれた。