王都アストラール。サルバトーレ王国の心臓部であり、西洋風のファンタジー世界が息づく壮麗な首都。冒険者ギルドが軒を連ね、最先端の文化が花開くこの地は、国内の都市クローバールをも包含する栄光の中心だ。しかしその日、裁判所前は異様な熱気に包まれていた。群衆が息を詰めて押し合い、判決の瞬間を待ち構えている。
「あの勇者候補のハインが、とんでもない悪事に手を染めていたなんて……!」
「信じられねえ……だが、ゲルガーと手を組んでた証拠は揺るがねえぞ!」
「悪いのは事実だ。言い逃れはできねえよ……」
そう、この裁判は勇者候補ハインの裏切りを裁くものだった。ハインはアリウスに化けたゲルガーと結託し、エヴァを奴隷として売り渡し、プロレスの試合では観客のブーイングに殺意を剥き出しにするなどの罪が暴かれていた。ギルドからの追放、所持品の没収が既に執行され、残すは判決のみ。群衆の視線が裁判所に突き刺さる。
「おい! 弁護士が出てきたぞ!」
一人の叫びに群衆が振り返ると、裁判所の扉が重々しく開き、スーツ姿の弁護士が現れた。彼の手には判決文が握られ、その表情は厳粛そのもの。群衆が息を呑む中、弁護士が紙を掲げると、判決の内容が一瞬にして広まった。
「死刑か……やっぱりこうなるか!」
「当然だ。あんな奴に生きる資格はねえよ……」
「地獄に落ちるべきだ。八犬士に期待するしかねえな」
「ああ、もう帰ろうぜ……」
ハインに死刑が宣告された瞬間、群衆のざわめきが頂点に達し、やがて静寂へと変わる。執行の日時は不明だが、もはや誰もが彼を見限っていた。失望と怒りを胸に、人々は踵を返し日常へと散っていく。ハインのような裏切り者が二度と現れないことを祈りながら。
※
数日後の夕刻。牢獄の薄暗い一角で、ハインは膝を抱えて蹲っていた。かつての栄光は遠く、現在は冷たい石床と鉄格子が彼の世界だ。剣士として名を馳せ、五年で勇者候補に登り詰めた男。しかしエヴァを追放した日から運命は暗転し、零夜たちによって全てを奪われた。
「クソッ……なんで俺がこんな目に……アイツらのせいで……俺は全てを失ったんだ……!」
ハインの呟きは怨嗟に満ち、生気のない瞳が虚ろに揺れる。彼の不気味な雰囲気は牢獄の空気を一層重くしていた。自業自得の結果にも関わらず、彼は己の罪を認めない。判決の場でも叫び、暴れ、群衆から冷たい視線を浴びていたその姿は、ただただ我儘で哀れだった。
「クルーザとザギルは強制労働に落ちちまって……俺にはもう何もできねえ……」
仲間だったクルーザとザギルは罪を認め、強制労働の身に甘んじていた。死ぬまで償う覚悟を決めた彼らとは対照的に、ハインの心は復讐の炎で燃えていた。
「畜生……俺はここで終わりたくねえ……アイツらに復讐するまでは死ねねえよ……!」
だがその声は虚しく響くだけ。死刑の日を待つしかない絶望が彼を飲み込もうとしたその瞬間――。
「ほう……お前が元勇者候補のハインか……」
「!?」
突然の声にハインが顔を上げると、闇の中から黒いローブの男が現れた。仮面に隠された顔、漂う怪しげなオーラ。異様な存在感にハインの心臓が跳ね上がる。
「な、なんだお前は!?」
驚愕に目を見開き、後ずさるハイン。だが男は無言で近づき、冷たい左手で彼の顎を掴んだ。次の瞬間、左手から黒い煙が噴出し、ハインを包み込む。
「マジカルスモーク!」
「うわっ!」
煙が彼を呑み込んだ刹那、ハインの体が異様な変化を遂げる。煙が晴れると、そこには人間ではなく小さなネズミがいた。催眠効果で男の手の上で眠るハインを、男は冷たく見下ろす。
「これでよし。人間に戻し、新たな力を与えるとしよう。我ら悪鬼の目的のために……」
男が魔法陣を展開すると、眩い光と共に彼とハインは消えた。警備隊が異変に気付いたのは数分後。牢獄は静寂に包まれ、ただ不穏な風が吹き抜けるだけだった。
※
同時刻、ネムラスの街に危機が迫っていた。悪鬼の軍勢が突如襲来し、Cブロック隊長リッジがモンスターを率いて住民を蹂躙していた。
「ぐわっ!」
「うけまるっ!」
「これ以上被害は出させねえ!」
住民が次々と倒れる中、ギルドメンバーが必死に立ち向かう。モンスターは倒せても、リッジの圧倒的な力に仲間が次々と散っていく。建物が炎に呑まれ、悲鳴と爆音が響き合い、街はまさに地獄と化していく。このままでは完全に支配されるのも時間の問題だ。
「どうした? お前らの力はその程度か?」
リッジが嘲笑を浮かべ、倒れたギルドメンバーを見下す。彼らは悔しさに歯を食いしばるも、反撃の力すら残っていなかった。
※
その頃、燃え盛る街の一角。無事な建物の影では老人と女性が話をしていた。
老人の魔術師であるギルドマスターのシュンラが、青いアラビア装束に身を包んだエルフのトワと密談を交わしていた。彼の表情はとても厳しく、切迫感に満ちている。
「クローバールの八犬士に依頼じゃ。秘宝を探し出して欲しい」
「秘宝を……ですか?」
「ああ。異世界に隠したギルドの秘宝を、悪鬼より先にお前と八犬士のメンバーで探して欲しいのじゃ」
シュンラの言葉にトワが真剣に頷く。秘宝が悪鬼の手に落ちれば、世界は破滅へと突き進んでしまう。それを阻止する為にも、八犬士たちと力が必要となるのだ。
「これが地図とメモじゃ。受け取れ」
「あっ、はい」
シュンラが召喚した地図とメモをトワが受け取り、バングルに粒子化して収める。その瞬間、ゴブリンの群れが奇襲をかけてきた。しかもその数は百匹以上。
「生き残りがいたぞ! 覚悟しろ!」
「下がれ、トワ!」
「あがっ!」
「ほげっ!」
シュンラが杖を振り、魔術でゴブリンを薙ぎ払う。爆炎と叫び声が交錯する中、彼は真剣な表情でトワに叫ぼうとしている。自分はネムラスと共に心中しようと覚悟を決めていて、後はトワに託そうと既に考えているのだ。
「トワ! お主は八犬士と合流し、必ず生き延びろ! これは命令じゃ!」
「……はい!」
涙を堪え、トワが駆け出す。背後でシュンラがゴブリンと戦う音が響くが、彼女は振り返らない。使命を果たすため、クローバールへ向けて全力で走り続けた。
※
トワがネムラスを飛び出してから数分後、彼女は高原で一旦立ち止まり、ネムラスの街がある方角に視線を移す。ネムラスは既に炎に包まれていて、激しい戦いの音が聞こえている。その姿を見た彼女は目から涙を流していて、身体をプルプルと震わせていた。
「シュンラ様……皆……私……必ず生き延びます……! あなたたちの仇は絶対に取るから!」
トワは涙を流しながら宣言をしたと同時に、彼女は振り返らずにクローバールへと再び駆け出していく。彼女の背中には、仲間たちの最後の希望が託されていた。
※
こうしてネムラスは悪鬼の手によって陥落。シュンラを含む生存者はリッジに屠られ、街は灰と化してしまったのだった。