ギルドでの仕事を終えた零夜たちは、その足で市場に立ち寄り、必要な買い物を済ませて帰宅した。家に着くと、日和、アイリン、ベル、エヴァ、マツリ、エイリーンが一斉にエプロンを手に取り、夕食の準備を始める。
アイリンはツンデレな態度で「手伝ってくれなくてもいいんだから!」と吐き捨てつつも、手際よく野菜を刻み、ベルは母親のような包容力で皆をまとめ、エヴァは鋭い動きで肉を切り分ける。マツリは豪快に鍋をかき混ぜ、エイリーンは重い鍋を軽々と持ち上げていた。一方、日和は穏やかな笑顔で調味料を整え、場に和やかな空気をもたらしている。
その頃、零夜と倫子は料理に参加せず、中庭のベンチに腰掛けていた。二人きりの空間に、どこかドキドキするような雰囲気が漂っている。
「倫子さん、ごめんなさい……日和さんから聞きましたが、俺、本当の気持ちを知らなくて……」
「私の方こそごめんね。嫉妬のあまり暴力を振るってしまうなんて……」
互いに申し訳なさそうな表情で謝罪を交わす中、倫子が零夜の手をそっと取って強く握り始めた。彼女の目は真剣そのもので、何か言いたげな様子が伝わってくる。
「ねえ、零夜君はタマズサとの戦いが終わったらどうするの?まさかこのハルヴァスに残るんじゃないよね?」
「? どういう事ですか?」
倫子の真剣な質問に、零夜は首を傾げてしまう。初めて投げかけられた問いに、戸惑うのも無理はない。すると倫子は不安げな表情を浮かべ、零夜の手をさらに強く握り締めた。その力強さから、彼女の内心の動揺が伝わってくるようだった。
「だって……零夜君とエヴァが結ばれていたら、彼女と共にハルヴァスで暮らす事になるじゃない! 私は零夜君と離れ離れになるのは、何よりも一番嫌なの!」
倫子の声には、心の底からの本音が込められていた。彼女の体は小刻みに震え、今にも泣き出しそうな様子だ。
もし零夜がエヴァと正式に結ばれれば、彼は地球に戻らず、この異世界で生きていくのではないか。そんな不安が彼女の心を締め付けていた。
「今まで零夜君とずっと一緒にいたのに……離れ離れになるなんて嫌だ……二度と会えなくなるのは一番嫌なの……ひっ……うわーん!!」
ついに我慢の限界を超え、倫子は涙声で震えながら泣き崩れてしまった。目から溢れる涙と嗚咽が止まらず、彼女の気持ちが溢れ出している。
零夜とは姉弟のような関係だったが、彼女の心には彼への恋心が確かに宿っていた。だからこそ、離れ離れになることは何よりも耐え難い恐怖だった。
その姿を見た零夜は、自身の指で倫子の涙を優しく拭い、彼女の頭をそっと撫でた。
「そんな事はないですよ」
「零夜君……?」
零夜の突然の行動に、倫子は泣くのをやめ、彼の方へ視線を移す。零夜の表情は真剣そのもので、彼女の不安を否定する強い意志が感じられた。
「俺にはプロレスラーになる夢がありますし、元の世界にはあなたがいるプロレス団体がある。俺はそれを目指して頑張っている以上、ハルヴァスには残りません」
零夜の言葉を聞き、倫子は彼の夢を思い出した。
零夜にはプロレスラーになる夢があり、彼女のいる「DBW」で活躍することを目標にしている。その夢を諦めるつもりはないし、元の世界には待つ人がいる以上、この異世界に留まる選択肢はないのだ。
「そうだったね……零夜にはDBWを目指す夢があるし、離れ離れにはならないのね」
「そう言う事になります」
「良かった……」
倫子は零夜の言葉と笑顔に耐えきれず、彼に強く抱きついた。零夜が地球に残ってくれることが嬉しく、そばにいられる安心感に胸が満たされていた。零夜もまた、笑顔で倫子の頭を優しく撫で始める。まさに本物の恋とも言える光景である。
その瞬間、エヴァがこっそり後ろから現れた。エプロンを着たまま、料理の手を止めて様子を見に来たらしい。
「エヴァ! 聞いていたの!?」
エヴァの姿に気付いた倫子は零夜から離れ、彼女を鋭く睨みつける。先ほど零夜にキスをしたことがまだ許せないらしく、ジト目で威嚇する様子に、零夜を渡したくない気持ちが滲み出ていた。
「大丈夫。敵意は無いから。隣座っていいかな?」
「別にいいけど……」
倫子は戸惑いつつも了承し、エヴァは彼女の隣に腰を下ろす。鋭い目で倫子を見つめながらも、その表情には心配する優しさが垣間見えた。
「倫子。あなたも零夜が好きだという事は既に分かっているし、恋にはライバルがいないと燃え上がらない。あなたは変わらずに今のままでいて欲しいの」
「エヴァ……あなたも私の事を心配していたのね……」
エヴァの言葉に、倫子は納得した表情を浮かべる。
エヴァも零夜への想いを抱えているが、恋のライバルがいるからこそ燃え上がると感じていた。彼女にとって、倫子はその刺激を与える大切な存在。だからこそ、負けられない思いが更に強くなっていくのだ。
エヴァは微笑みながら、倫子に手を差し伸べる。
「恋の対決はまだまだ終わらない。これからも宜しくね!」
「……ええ!」
二人は笑顔で握手を交わし、正式に恋のライバルとして認め合った。零夜を巡る戦いはさらに熱を帯びるが、その結末は彼女たちの行動にかかっている。
その直後、日和、アイリン、ベル、マツリ、エイリーンが一斉に姿を現す。料理の準備を進めていたが、零夜と倫子の様子が気になり、見に来たのだ。
「皆! 聞いていたのですか!?」
零夜は彼女たちの登場に驚きを隠せず、思わず声を上げる。倫子は両手で口を押さえ、驚愕の表情を浮かべていた。まさか今の話を聞いていたのは、予想外と言えるだろう。
「うん。心配だから来てみたけど、どうやら恋は一筋縄ではいかなくなったみたいね」
「でも、これだからこそアタイらと言えるかもな。もう心配する必要は無くなったし」
日和が穏やかに言うと、マツリが竜人族らしい豪快な笑い声を上げる。その様子にベルとエイリーンも同意しながら頷いていた。
「そうですよ。辛くなった時には私たちにも相談してください」
「その時はしっかり支えてあげるから」
エイリーンはガッツポーズをしながら、零夜と倫子に対して笑顔を見せていく。更にベルも母親らしい優しさで、ニッコリと微笑んでいた。
すると日和が二人に近づき、ムギュッと強く抱き締めた。三人の中では二番目の年齢だが、その温もりは母親そのものだ。零夜と倫子も日和を抱き返し、互いの温かさを感じ合った。
「心配したんですよ。いつもの二人に戻ってください」
「すいません、日和さん」
「迷惑かけてごめんね」
零夜と倫子が日和に謝罪すると、彼はベンチから立ち上がり、全員を見渡した。その表情には迷いがなく、凛とした決意が宿っている。倫子たちも次々と立ち上がり、皆で円陣を組んだ。一致団結こそが零夜たちの強みであり、どんな困難も乗り越える覚悟がそこにあった。
「これから先どんな事があろうとも、俺達全員なら乗り越えられると思います! この先タマズサの軍勢には手強い敵が多くいますが、最後まで諦めずに立ち向かいましょう!」
「「「おう!!」」」
零夜の宣言に、仲間たちが一斉に力強い叫びで応える。互いに抱き合い、笑い合う姿を、ヤツフサが近くでじっと見つめていた。心配が杞憂に終わったことに安堵しつつ、その瞳には新たな決意が宿っている。
(恋愛関係でどうなるのか心配だったが、今の様子だと必要なかったな。だが、八犬士達が揃うまで残りは後一人。何れにしても揃わなければ……)
ヤツフサは心の中で決意を固め、抱き合う零夜たちの方へ歩み寄る。空は茜色に染まり、夕焼けが彼らを優しく照らしていた。
八犬士が揃うまであと一人。その最後の一人が現れる時、新たな試練が待ち受けていることを、誰もが予感していた。