エヴァはゲルガーの鋭い爪による一撃を胸に受け、ズキズキと脈打つ激痛に耐えきれず、右手を強く押し当てていた。彼女の銀色の狼の尻尾が力なく揺れ、獣人の特徴である尖った耳が痛みで震えている。服は切り裂かれ、冷たい風が傷口を容赦なく刺す。少しでも動きを誤れば、命さえ危うかっただろう。
「まだまだ行くぞ! スラッシュウェーブ!」
「うあっ!」
ゲルガーは全身を覆う漆黒の毛並みから、禍々しい気配を放ち、鋭い鉤爪を振りかざす。その爪から放たれた強烈な攻撃が、空気を切り裂きながら波動弾のように次々と襲い来る。
エヴァは避ける間もなく直撃を受け、銀色の髪の毛が血に染まり、ボロボロの身体が地面に叩きつけられた。このままでは倒れるのは時間の問題だ。彼女の鋭い爪が床を掻き、立ち上がろうとするも力が入らない。
「これ以上好き勝手させてたまるか! ゲルガー、覚悟しろ!」
「零夜!」
零夜が怒りに燃え、村雨を手にゲルガーへと突進する。剣を振り上げる姿は嵐の前の静けさを思わせた。
ゲルガーは黒い尻尾を揺らし、低く唸りながら冷たく笑う。その赤く光る瞳が零夜を捉え、爪を振りかぶった。
「自ら死に行くとはいい度胸だ! ブラッディクロス!」
「がはっ!」
漆黒の爪が交差する一撃が空を切り裂き、血飛沫が舞う。零夜は強烈な攻撃を受け、身体が宙を舞い、地面に仰向けに叩きつけられた。剣が手から離れ、床に転がる音が響く。彼が立ち上がるには時間がかかりそうだ。
「うぐ……くそ……!」
「零夜……!」
エヴァはその光景に耐えきれず、涙が溢れ出す。銀色の狼の尻尾が地面を叩き、悲痛な声が喉から漏れる。その瞬間、彼女の脳裏に過去の地獄が鮮明に蘇った。
※
それはモンテルロの虐殺事件当日。エヴァは故郷が襲撃された知らせを受け、ルイザたちと共に息を切らして駆けていた。銀色の髪の毛が風に揺れ、鋭い爪が地面を抉る。敵襲は想定外であり、少しでも被害を抑えるため、全力で走り続けていた。
「急ぐわよ! このままだと大変な事になるわ!」
「分かっているわ! ザギル、素早さの補助魔法を!」
「心得た! スピードアップ!」
ザギルの魔法が仲間全員に降り注ぎ、彼らの足は獣の如き速さで加速する。限界を超えた速度だったが、モンテルロに間に合うかどうかは賭けだった。
「あれは……火事が多く出ているぞ!」
「何!?」
ハインが指差す先を見た瞬間、エヴァの瞳が恐怖に揺れた。モンテルロの空は赤く染まり、無数の火柱が上がっている。鼻を刺す煙の匂いに、血の鉄臭が混じる。仲間が、家族が、殺されている――その確信が彼女を突き動かした。
「もしかして……!」
「おい、エヴァ!」
エヴァは誰よりも早く駆け出し、モンテルロに到着した。そこは燃え盛る家々と、血に染まった同胞の遺体が転がる地獄だった。シルバーウルフの獣人たちが、無残に切り裂かれ、炎に飲み込まれている。小さな弟の小さな身体さえも、冷たくなって横たわっていた。
「そんな……! こんな事って……!」
涙が溢れ、銀色の髪の毛が濡れる。彼女の咆哮が空に響き、悲しみが心を抉った。
その時、炎の中から黒い影が現れる。ゲルガーだ。漆黒の毛並みに返り血が滴り、鋭い鉤爪が赤く染まっている。その邪悪な笑みが彼女の視界を埋めた。
「悪いな……お前の仲間は全員殺しておいた。シルバーウルフの奴等が目障りだったから、始末する必要があったんだよ……」
その言葉にエヴァの怒りが爆発する。鋭い爪を握り潰さんばかりに締め、ゲルガーを睨みつけた。家族を、仲間を奪われ、侮辱されたその怒りは、獣の本能すら超えていた。
「よくも皆を……うわあああああ!!」
涙を流しながら突進するエヴァ。だがゲルガーは黒い尻尾を振るい、赤い瞳を光らせてカウンターの構えを取る。その攻撃はお見通しだと、最初から判断しているのだ。
「動きが遅い! クラッシュナックル!」
「がはっ……!」
漆黒の拳がエヴァの右頬を捉え、彼女は地面を転がり倒れる。鋭い爪で土を掴むも、力が入らず、立ち上がれない。ゲルガーの哄笑が響き渡り、エヴァは悔しそうな表情をするしかなかった。
「これが俺とお前の実力の差だ。悔しかったら強くなる事だな。ハハハハハ!」
彼が去った後、エヴァは倒れたまま泣き叫んだ。仲間を救えず、仇にも勝てなかった悔しさが、彼女の心を焼き尽くした。
「うう……畜生……畜生……! うわあああああ!!」
その叫びは辺り一面に響き、遅れて駆けつけたルイザたちも、ただ俯くしかなかった。自分たちが早めに気づいていれば、こんな事にはならなかったと思いながら……。
※
(私はあの時と同じ悲劇を繰り返さなければならないの? 大切な人を守れず、ただ死んでいくのを見つめるしかできないなんて……)
過去の記憶がエヴァを苛む中、彼女は倒れた零夜を見つめる。ゲルガーがとどめを刺そうと爪を振り上げ、黒い毛並みが不気味に揺れる。このままでは彼もまた失われ、エヴァの心の傷が更に深くなるだろう。
(そんなの嫌だ……絶対に嫌だ! あんな悲劇は起こしたくない! 私はこれ以上皆を失いたくない……自らの力で……動かなければ……何も変わる事はできないんだ!!)
決意がエヴァの心を貫き、彼女は目を見開く。次の瞬間、地面が凍りつき、巨大な氷の塊が彼女の手から召喚される。
エヴァは勢いよく立ち上がったと同時に、巨大な氷の塊をゲルガーへと全力で投げつけた。
「覚悟しろ……ぐぼら!」
氷塊がゲルガーを直撃し、彼の黒い身体は壁に激突して崩れ落ちる。混乱する彼を尻目に、エヴァは零夜のもとへ駆け寄り、ヒーリングの魔法で治療を始める。
「ありがとな、エヴァ。あのまま倒れていたら殺されるところだった」
「大丈夫。ここは私に任せて。もう心配は必要ないから」
零夜の治療を終えたエヴァは、立ち上がるゲルガーに対して真剣な表情で睨みつける。彼は憤怒の表情で黒い尻尾を振り、赤い瞳で彼女を見返す。折角トドメを刺そうとしたのに、邪魔されたら当然怒るだろう。
「邪魔をするとはいい度胸だな……殺される覚悟はできているんだろうな!」
「何度だって邪魔をするわ! 私の大切な人に手を出すのなら、私は一切容赦しない! これ以上あの様な悲劇を繰り返したくないし、仲間だって全員失いたくない!」
拳を握り、格闘の構えを取るエヴァ。その瞳には過去を乗り越えた決意が宿っている。特に愛する零夜を守る気持ちは誰にも負けず、ここで立ち止まる理由にはいかない覚悟が胸に秘められているのだ。
「私はゲルガーを必ず倒す! あなたを倒して復讐を終わらせるだけでなく、皆と共に……そして愛する人である零夜と共に……自分自身の未来を切り開く!」
エヴァの力強き宣言と共に、バングルの珠が眩しく輝き、「風」から「悌」へと文字が変化する。まさかの覚醒の兆しに、零夜たちも息を呑んでしまった。
「風から悌に……八犬士の話はヤツフサから聞いていたけど、この文字が刻まれているとなると……覚醒したのかな……?」
驚きつつも、エヴァの手のガントレットが光り輝き、氷属性の水色へと変化する。冷気が立ち込め、狼の紋様が刻まれたその姿は、まさに絶対零度の最強武器と言えるだろう。
「このガントレットはアイスウルフ! 氷の攻撃を最大限に生かすだけでなく、強烈な鉤爪を持つ最強ガントレットの一種です!」
「アイスウルフか……私にピッタリかもね」
エイリーンの説明にエヴァは微笑みつつ、決意を新たにする。この力ならゲルガーを倒せると確信しているだけでなく、このチャンスを無駄にしないと決意を固めているのだ。
「ここから先はあなたの罪を裁いてもらうわ! 今まで行った非道行為……絶対に許さないんだから!」
真剣な表情のまま、格闘技の戦闘態勢に入るエヴァ。黒い狼の獣人ゲルガーとの戦いは、終幕へと向かっていた。