プロレス大会での襲撃から数日後、この事件は既に全国的に広まっていた。証拠映像によって異世界からの侵略者「悪鬼」の仕業だと判明され、人々の間では不安になるのも無理なかった。
「あのニュース、今も覚えているよな? 異世界って本当に実現したみたいだし」
「ああ。俺は配信で見たぜ。噂じゃ他の国々にも向かう様だが」
「マジかよ……」
街中では人々が悪鬼についての噂は絶えきれず、更に奴等は他の国々に向かう噂まで出始める。
他の国は侵略者である悪鬼に備える為の対応をし始めたり、中には戦争を中止して自国の防衛に専念しようとしている国も続出。このまま放っておけば、悪鬼に地球が侵略されるのも時間の問題であろう。
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その日の夕方、零夜は仕事帰りに河川敷にある草むらの上に座っていた。彼は動画配信サイト「ネットチューブ」で、DBWの公式チャンネルの生配信を見ている。その内容は、DBWの社長兼レスラーの
『今回の事件を受けて我々DBWは、事実上ほとぼりが冷めるまで、活動休止を取る決断をしました。ご迷惑をお掛けしますが、宜しくお願いします』
国鱒からの宣言を動画で見た零夜は、真剣な表情で見るしかなかった。あの事件が起きた影響はとても大きく、好きな団体でさえも活動休止に追い込まれてしまう程だ。
「くそっ! 奴等は何処まで不幸にすれば気が済むのだろうか……」
零夜は怒りの表情をしながら拳を震わせ、悪鬼に対して怒りを噴火しそうになっていた。彼等のやる事は非常に許し難いのは、当然と言えるだろう。
すると彼の元に私服姿の倫子と日和が姿を現し、彼の両隣に座り始める。倫子は黒いジーンズとへそ出しの長袖シャツ。日和はデニムジャケットにTシャツ、白いロングスカートを着ているのだ。
「倫子さん、日和さん。どうしてここに?」
「今日は休みだったから、二人で話をしていたの。今、記者会見を見ているよね?」
「ええ……BDWは活動休止となりましたからね……」
零夜は動画に視線を移しながら、倫子と日和にこれまでの内容を説明する。多くのレスラー達は他の団体に参戦せざるを得なくなり、スタッフも仕事を減らされて大変な事になっている。今では苦情受付でそのコールが耐え切れないだろう。
それを聞いた彼女達も納得の表情をした後、すぐに動画に視線を移し始める。彼女達も悲しそうな表情をするしかなく、同時に心の中で悪鬼に対する怒りも燃やしているのだ。
「私達は東京BGPがあるから大丈夫だけど、零夜君はこれからどうするの?」
「買い出しが終わったので今から……ん?」
日和の質問に零夜が説明していたその時、自身の目の前に人が倒れているのが見つかる。ピンクの髪でチャイナ服とジーンズを着ている。その姿こそ行方不明になっていたアイリンであるのだ。
「おい、大丈夫か!?」
「しっかりして!」
零夜達は倒れているアイリンに近付き、彼女の状態を確認し始める。すると……アイリンのお腹の音がぐーっと聞こえ始め、それに零夜達は思わずポカンとしてしまった。
「お腹すいたみたい」
「しょうがない。ほら、これでも食べときな」
零夜は鞄から大きなクッキーを取り出し、それをアイリンに差し出す。
それは有名なクッキー屋「マジカルクッキー」のイチオシで、デカいクッキーと言われるジャンボチョコチップクッキーだ。こんなのを食べればお腹が満腹どころか、太ってしまう可能性もあり得るだろう。
「零夜君。そのクッキーは流石にでか過ぎない?」
倫子が唖然としつつ、クッキーがデカい事に注意する。こんなデカいクッキーを買うのはあまりいないどころか、買うのはクッキー好きばかり。しかも零夜は甘いのが好物なので、買ってしまうのは悪い癖と言えるだろう。
その時、アイリンは迷わずクッキーにガブリと噛み付いていた。その様子だと何か食べなければ死ぬと判断したのだろう。
「嘘!? 食いついちゃった!」
「相当お腹が空いていたのですね……」
この光景に倫子は驚き、日和は苦笑いをしながらお茶を用意する。アイリンはそれも迷わず受け取り、一口飲んで落ち着く事ができた。
「助かったわ。この世界に飛ばされてから数日経ったけど、先程食べる物が無くなって困っていたの」
「そうだったのか……ん? 左手首にバングルが付いているぞ」
「本当だ! ウチ等と同じやん!」
アイリンの説明に零夜達が納得する中、彼女の左手首にバングルが着用されている。しかも白の珠まで埋め込まれていて、光という文字が刻まれているのだ。
零夜達の手首にも同じバングルが着用されているので、まさか仲間が増えたのは想定外と言えるだろう。
「ええ。私もこの世界に来た時から、着用されていたからね。私はアイリン。ハルヴァス出身のモンクで、光の珠を持つわ」
「そうだったのか。俺は東零夜。闇の珠を持っている」
「私は藍原倫子。水の珠を持っているの」
「私は有原日和。雷の珠を持っているけど、アイリンはこの世界にどうやって飛ばされたの?」
零夜達がお互い自己紹介をした後、気になる事をアイリンに質問し始める。彼女がハルヴァスからどうやって地球に来たのか気になっていて、その理由を知る為に質問してきたのだ。
日和の質問を聞いたアイリンは突然俯いてしまい、寂しい表情をしながら話をし始める。仲間と離れ離れになった辛さが、まだ心の底に残っているのだ。
「私はハルヴァスの勇者一行として、新たな魔王であるタマズサが姿に挑んだの。仲間達は次々とやられてしまい、私はワープホールに入ってこの世界に辿り着いたの」
アイリンの過去の話を聞いた零夜達は、納得の表情をしながら頷く。アイリンが入ったワープホールの先はまさかの地球であり、予想外の展開に混乱してしまうのも無理はなかった。持っている食料などを利用して自給自足で生活し、現在に至るというわけだ。
「私があの時に間違ってワープホールに入らなければ、こんな悲劇は起こらなかった……どうしてこんな事に……」
アイリンは我慢できずに涙を流してしまい、自身の選択が間違っている事を自覚する。自身があの時間違った選択をしなければ、こんな事にはならなかったのだろう。
その様子を見た倫子はアイリンを抱き寄せ、ポンポンと背中を叩きながら慰め始める。
「元気出して。アイリンちゃんは悪くないし、むしろ彼女が最後の希望だと送り出してくれたの」
「そうそう。私達もタマズサの軍勢に襲われたからね。その気持ちは良く分かるの」
倫子と日和はアイリンを慰めながら、自身達も同じ経験をした事を話し始める。
数日前に起きた襲撃が無かったら、大会の中止も団体の活動停止も未然に防げた筈だった。しかし悪鬼の襲撃によって今に至り、彼女達は不幸のドン底に立たされているのだ。
零夜も活動中止のショックが心に残っていて、不幸になってしまうのも無理ないのだ。
「あなた達も同じ経験をしていたなんて……もしかすると私達が襲われなかったのは、このバングルがあったのだと思うわ」
アイリンは涙を拭いたと同時に、自分達が着用しているバングルを確認する。このバングルがあったからこそ戦闘員に襲われる事はなかったが、いつの間にか着用されているのは想定外と言えるだろう。外そうと思っても外れる事はできないし、完全に身体と一体化しているに違いないだろう。
「言われてみればそうだな……戦闘員が逃げた時もそうだったが、何か秘密があるのだろうか……」
零夜達が真剣に考えても、ますます謎は深まるばかり。どうすれば良いかとため息をついたその時だった。
「その事についてだが、それはタマズサを倒せる戦士達の証という事だ」
「? 今の声は何処から……」
零夜達が気になって声のした方を振り向くと、一匹の小型のフェンリルが姿を現した。彼こそヤツフサであるが、周りにバレないようにサイズを小型に変えていたのだ。
「もしかして……君が喋っていたのか?」
「左様。俺はヤツフサ。女神フセヒメの使いであり、お前達新八犬士のサポートを担当する事になった」
「「「新八犬士!?」」」
ヤツフサの自己紹介の後、彼からの宣言に零夜達は驚きを隠せずにいた。この出来事が零夜達の運命を決定付ける事になるのは、ヤツフサ以外誰も知らなかったのだった。