後楽園ホールに突如響き渡った悲鳴と怒号。空気が一瞬で凍りつき、戦闘員たちの冷酷な虐殺が始まった。観客席はパニックに染まり、理性が吹き飛ぶ。「ここで死にたくない」――その叫びが、出口へ殺到する無秩序な足音に変わった。
観客たちの心は、楽しみにしていたプロレスの祭典が一転して悪夢に変わった衝撃で砕けていた。笑顔と興奮に満ちていた空間は、恐怖と絶望に飲み込まれ、誰もがただ生き延びることだけを考えていた。
「そうはさせねえ! 血を流さないプロレス技でぶっ倒してやる!」
「まさか奴らもプロレス技を使うのか!?」
戦闘員Bの哄笑がホールに響き、零夜が目を丸くしたその瞬間、奴が動いた。出口を目指す観客の前に立ちはだかり、獣のような咆哮とともに腕を振り上げる。零夜の胸には怒りと驚愕が渦巻いていた。プロレスは彼にとって夢であり、魂の表現だった。それが殺戮の道具として歪められる光景に、心が震えた。
「一般人にはキツいかもしれねえが――どすこい張り手!」
「「「あべらっ!」」」
轟音が炸裂し、張り手が観客の胸に直撃。衝撃波が空気を切り裂き、数人が紙屑のようにはるか後方へ吹き飛んだ。プロレスラーなら耐えられるかもしれないが、一般人には耐えきれぬ一撃だった。宙を舞う身体が床や椅子に激突し、呻き声すら上げられず次々と失神していく。戦闘員Bの顔には残忍な愉悦が浮かび、彼にとってこれは単なるゲームだった。観客たちの心には、もはや抵抗する力すら残っていなかった。
「なんて威力だ! アイツとやり合ったら絶対死ぬぞ!」
「こうなったら反対側の出口だ!」
息を乱し、恐怖に駆られた観客たちが反対側の出口へ殺到する。彼らの瞳には、生き延びることだけが最後の希望として映っていた。しかし、そこにはすでに戦闘員Aが待ち構えていた。疾風のような動きで技を繰り出す彼の瞳には、感情のない冷酷さが宿っていた。
「スパイラルドロップキック!」
「「「あべしっ!」」」
鋭い回転が空気を切り裂き、ドロップキックが先頭の観客に炸裂。衝撃が広がり、次々と人が倒れていく。二つの攻撃で観客の半数が地に伏し、ホールは血なまぐさい混乱に支配された。床に転がる身体、響き続ける悲鳴。空気が重く、死の匂いが漂う。戦闘員Aは無表情で技を放ち、まるで機械のように感情を欠いていた。観客たちの心は、逃げ場のない絶望に打ちのめされていた。
「出口が塞がれた! どうすりゃいいんだ!」
「簡単な事です。プロレスラーは殺さず、観客だけを仕留める。それが我々の役目です!」
「くそっ! この野郎ども!」
戦闘員のリーダーが氷のような声で宣告すると、残る戦闘員CとDが獲物を狩る獣のように襲いかかる。リーダーの言葉には、冷徹な使命感が滲んでいた。
一人の観客は歯を食いしばり、怒りが全身を震わせていた。自分たちを無差別に殺し、プロレスラーにだけ手加減するその理不尽さに、心が燃え上がった。同時に震える足で立ち上がり、戦闘員Cに立ち向かった。
「お前らに好き勝手させねえ! くらえ!」
渾身のパンチが放たれるが、戦闘員Cは嘲笑うように軽くかわす。拳は空を切り、観客はよろめいて致命的な隙を晒した。その観客の胸には、恐怖を振り払う決意があった。しかし、その勇気は無力感に打ち砕かれた。戦闘員Cの瞳には、哀れむような冷笑が浮かんでいた。
「お仕置きだ!」
戦闘員Cが背後に滑り込み、両腕で腰を締め上げ、一気に後方へ反り投げる。ジャーマン・スープレックス――頭から床に叩きつけられた観客は、鈍い音とともに崩れ落ち、動かなくなった。彼の心臓が止まる瞬間まで、悔しさが消えることはなかった。
「が……!」
その無残な姿に他の観客が凍りつき、次の瞬間、出口へ向けて我先にと逃げ出した。彼らの心は恐怖に支配され、理性は消えていた。
「逃がすかよ!」
戦闘員Dの声が響き、超能力が発動。逃げる観客たちが悲鳴を上げながら宙に浮かされ、身動きが取れなくなる。リーダーが指を鳴らすと、彼らは一瞬で力を失い、操り人形のように虚ろな目で静止した。戦闘員Dの力には、残酷な愉悦が込められていた。
「どうなったの!?」
「さあ……」
倫子と日和は冷や汗にまみれ、倒れた観客たちを凝視する。倫子の心には、無力感とプロレスラーとしての誇りが交錯していた。日和は恐怖に震えながらも、倫子への信頼が彼女を支えていた。次の瞬間、宙に浮いていた観客たちが地面に叩きつけられた。コンクリートに響く鈍い音。零夜は息を呑み、彼らの状態を確認し、二人に目を向けた。
「全員失神していますが、中には死んでる方もいます。残った観客は俺だけになりました……」
「そんな……!」
「こんなことって……信じたくない……」
零夜の言葉に、倫子と日和は涙をこらえきれず震えた。零夜の声には、冷静さを保とうとする努力と深い悲しみが混じっていた。たった五人の戦闘員が、瞬く間に観客を蹂躙した。零夜は怒りに燃える瞳で戦闘員を睨んだ。
「さて、残りは一人か……ん? そのバングル……まさか!?」
戦闘員Aが零夜に目を留めた瞬間、彼の右手首のバングルに気づき、顔が強張った。倫子と日和の手首にも同じものが輝き、戦闘員たちは一斉に後ずさる。バングルの珠が脈打つ。戦闘員Aの心に動揺が走った。
「我々に抗える者がこの世界にいるとは……」
「下手に動けば返り討ちにされるか、最悪死ぬ。ここで命を散らすわけにはいかねえ」
「その通りです。ここは撤退しましょう。我々の恐怖を植え付けた以上、長居は無用。ワープホールを!」
リーダーの鋭い指示で、戦闘員Dが手を振り、空間が歪む。暗い渦が現れ、彼らは零夜たちに背を向け、迷わず飛び込んだ。リーダーの心中には、計画の成功と未知の脅威への警戒が交錯していた。
「おい、待て! 逃げる気か!」
「我々はハルヴァスへ戻ります。もし貴様らがその世界へ来るなら……その時は全力で相手をしてやりましょう」
リーダーの冷たい言葉が残響し、ワープホールが消滅。ホールには、零夜たちと倒れた観客の山だけが残された。静寂が重くのしかかった。
(このバングルのおかげで奴らが逃げたのか……俺が助かったのは奇跡だが、他の皆さんは耐えきれずにやられた……)
零夜はバングルに目を落とし、唇を噛み締めた。周囲には無残に散乱する観客たち。生き残った者も意識を失っていた。彼の胸には、助けられなかった無力感と怒りが渦巻いていた。
「せっかく皆が楽しみにしてたのに、戦闘員どものせいでぶち壊しや……こんなの……許さへん……っ!」
「ひっく……うえーん……」
倫子は怒りに震えながら涙を溢れさせた。彼女の心には、観客を笑顔にするはずの舞台が地獄に変わった悔しさと、彼らを救えなかった自責の念が交錯していた。
日和は倫子にすがり、涙を流しながら嗚咽を漏らした。彼女の純粋な心はこの惨劇を受け入れられず、何もできなかった自分に悔しさを懐いているのだ。
(あの野郎ども……罪のない人たちを殺すなんて……絶対に許さねえ!)
零夜は拳を震わせ、戦闘員への憎悪を燃やした。このままでは駄目だと心の中で決意を固め、泣きじゃくっている二人に呼びかけた。
「倫子さん、日和さん。悔しい気持ちは分かります。でも、ここで立ち止まっていても何も変わりません。奴らを倒しに行きましょう!」
「倒しに行くって……どうやって? 私たちがやっても返り討ちにされるだけじゃない……」
倫子の声は涙に濡れ、不安が滲んだ。戦闘員の力を思い出し、恐怖が彼女を縛っている以上はどうする事もできない。プロレスラーとしての自信が揺らぎ、無力感が彼女を苛んでいた。
「俺たちの手首にあるバングルが鍵になります。奴らはこれを見てビビって逃げ出しましたし、倫子さん、日和さんにも付いてますよね」
「そうだった……私たちも零夜君と同じバングルだけど、もしかして何か繋がりがあるのかな?」
日和が涙を拭い、バングルを凝視しながら呟く。彼女の心には、悲しみを乗り越えようとする小さな希望が芽生えていた。倫子も頷き、三人は自分たちに秘められた力を感じ取っていた。バングルの珠が微かに熱を帯びる。その温もりに、零夜は未知の可能性を見出しつつあった。
「そこまでは分かりません。とにかく、準備ができ次第ハルヴァスに行く方法を探しましょう。きっと何か見つかります!」
「そうだね。私たちの手でお客さんの仇を取らないと! これ以上奴らの好き勝手はさせへん!」
倫子の目に炎が宿り、決意が固まった。日和と零夜も頷き、三人が絆で結ばれた瞬間、バングルの珠が眩く光り始めた。
「なんだ!?」
「バングルと珠が光ってる……」
「これってもしかして……」
日和が言い切る前に、三人は光に飲み込まれ、姿を消した。後楽園ホールには、遺体と意識不明の観客だけが残された。この出来事は後に「後楽園の悲劇」と呼ばれ、歴史に刻まれることになる。