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第122話 帰還、そして変化の兆し

「長かったじゃない」


 シラは戻ってきたナギに向かってそう言った。


「でもまあいいわ。帰りましょ」


 そうですね、とナギはうなづいた。既にホロベシ男爵令嬢が館に帰る準備はできていた。車も用意されていた。その中にはシラがこの皇宮の後宮に滞在したおりに「仲良し」になった名流夫人や芸術家からの餞別が入ってもいる。


「ほら見てよ。アンゼリカ夫人はこんなにお菓子。あたしそんなに甘いもの好きだなんて言った覚えはないけれど?」

「でも言ったことはあるのでしょう?」

「ええ軽くね」


 そしてくすくす、とシラは笑う。


「ずいぶん色々とありますね」

「そうね。だけどあたし達の欲しいものは、こんなものじゃあないでしょ?」


 そうでしょ、とシラは念を押すようにナギに問いかける。


「あなたは、何が欲しいですか?」


 そして、ナギもまた問いかける。するとシラは、白い長いカフスに包まれた腕をいっぱいに前に向かって伸ばした。


「何でも」

「何でも」

「あたしの前に広がるもの、全てよ」


 そしてその伸ばした手を、ぐっと握り込み、自分の胸の方へと引き寄せる。


「だから、そばに居てちょうだい」


 シラはナギに向かってそう言った。


「喜んで」


 ナギはその手を取り、口づけた。


   *


 数日後、帝国は一斉に喪に服した。そして、それと同時に、次の皇帝となる人物が、国中の映像通信と紙媒体を駆使して発表された。

 画面一杯に、もしくは紙面一杯に現れたその人物の顔を見て、誰もが驚いた。そして困惑した。

 何故なら。

 そこに映し出されていたのは、皇女であったマオファ・ナジャなのである。皇太子ではない。皇女なのである。女性なのである。

 動揺は、庶民だけではない。そもそも、それを報道する側に、困惑が広がっていた。


「すごいな」


とユカリはつぶやいた。皇宮の中も、困惑は共通だった。……彼をのぞいて。


「すごいな、なんて言いながら、あんたずいぶん冷静じゃないの、ユカリ」


 はい、と茶の入ったカップを手渡しながらアイノもまた、動揺から冷め切らない口調で声を掛ける。だが仕方がない。既にそれは、彼の中では想像がついていたことなのだ。

 皇帝が自分の身内の中から後継者を出すとしたら、彼女しかいない。それは、ナジャ皇女が未だ未婚で、他の何処とも結びついていないから、ということもある。

 だがそれ以上に、彼女には、人を引きつけるものがあったからだ。実際、ユカリは彼女以外の皇女に関して、知らなくてはいけない「知識」以外、何の興味も無い。

 アイノは彼の後ろから回り込み、首に腕を回した。


「これから、どうなっちゃうんだうね、あたし達の国は」

「どうにかなって行くんじゃないかな」

「あらなあに、ずいぶんと楽観する様になったじゃないの」


 背中から伝わる温もりと重み。それが彼が戻ってから手に入れたものだった。

 あの日、皇宮内にある自分の宿舎に戻った時、アイノは驚いた様な顔で自分を迎えた。どうしたの、と彼が訊ねると、彼女はこう答えた。


「何かあんた変わったわ」


 だけどそれは自分の台詞だった。

 何がどう、という訳ではないけれど、自分の目の前に居る幼なじみも、何処かしら変わっていた。少なくとも、自分の目にはそう映った。

 そして自然に、彼の腕は、彼女の背に回っていたのだ。

 アイノはあれからも、後宮の、芙蓉館に連れて来られた少女…… つまりはシラのことだが…… の側に居たということだった。勤めを再開させた時、シラは真面目な顔で謝ったのだという。どうしても、ここが何処か知りたかったし、自分を拘束している相手が知りたかったのだ、と。

 無論それでアイノの中の複雑な感情が簡単に解ける訳ではなかった。謝られたところで、やはり自分にとっての「最初」をそういう形で取られてしまったことは、ひどいと思っても仕方がないことである。

 だがしかし、だ。

 ユカリがナギと行動するうちに、何かしら自分の中が変わっていくのを感じた様に、彼女もまた、シラと行動するうちに、自分の中で何か奇妙なものが生まれてきたのは、感じていたらしい。


「例えば?」


と戻ってきた夜、寝台の薄暗い中で、顔を見合わせながらユカリは訊ねた。あまりにもその少女は自分の中で強烈すぎた、という彼女の感想に対して。


「シラ嬢にとってね、自分の身体も、結局は道具の一つなのよね。だからなんだわ、あたしにそんなことしたのも。だって、あたしの知ってるだけでも、彼女、何人もの夫人や令嬢と寝てるもの」


 なるほど、とユカリは妙に感心してしまった。


「でもそれだけじゃないのよ。どう言ったらいいんだろ? シラ嬢は、欲しいものを欲しいと言うのよ」

「欲しいものを欲しい?」

「普通のご令嬢というのは、欲しいものをほのめかして、他の人に持ってきてもらおうとするじゃない。それが大勢の人にかしづかれたお嬢様達よね。だけど彼女は違うの。例えば花が欲しいとするでしょ? 無論花は後宮にもたくさんあるわよね。だけど彼女はその時、木に咲く花が欲しいと思うの。すると、自分で枝を上って、一番綺麗な枝を探して、自分で取ってくるのよ」


 ああ、と彼は納得した様にうなづいた。  

 あれから、仕事以外の時間は一緒に居ることが多くなった。何故なのか、彼自身にもよくは判らない。今でも皇太后は彼の中で特別な存在ではあるし、ナギのことは確かにとても好きだと感じた。

 だが、彼女達には、決して手が届かないだろう。ユカリは気づいていた。それは彼女達自身がよく知っていたことだった。代々の残桜衆の長が義務として、皇太后を名前で呼ぶというのは、皇太后自身が、自分自身が人間であることを思い出したいのではないか、と最近彼は思うのだ。


「……でも、どうなるのかしら、本当に、これから……」

「どうなるんだろうな」


 そして彼は、ナギの言ったことを思い出す。私は帝国を終わらせるために行くんだ。

 帝国は終わるのだろう、と彼は思っていた。だがそれからどうなるのか、はまだ彼の想像の範囲外だった。連合の政治形態と同じ様になるのだろうか。しかしそれはまだ自分を含め、この国に住む人間には判りにくいものだろう。


「あたし達は、どうなるのかなあ」


 アイノは腕に少しだけ力を込めて、つぶやく。


「どうって?」

「ん? だって、何か色々変わっていくじゃない。あたし達残桜衆も、ずっと皇太后さまのそばでやっていくことができるのかしら」


 彼はそうだね、とうなづく。それは彼にとっても多少の不安と期待をはらんでいた。

 ただ、今までの自分だったら、いきなりこんな事態に放り出されたら、明らかに動転していた。それは彼も認めていた。だが、あの海で起きたことを目の当たりにしては、そう簡単に動転もしていられないようである。


「もしも、残桜衆が無くなったら、あんたはどうするの?」

「無くなったら?」


 彼は彼女の方へと顔を向ける。どうなのだろう。具体的なことは、考えたことは無い。だが。


「そうだな。どうしようかな。お前どうしたいの?」

「あたし…… うん、そうだな……」


 アイノは少し考えると、こんなこと言っちゃおかしいかな、と彼に訊ねた。


「何が好きなのか、探したいな」

「何が好き?」

「だって、ずっと生まれた時から、あたし達の里では、良い残桜衆の一員になることだけ教わってきたじゃない。確かにそれは、それで、便利なこと色々教わってきたけど……」


 彼女は何と言っていいのか、少し考える。


「つまりはこう? それは本当に自分のしたいことか、って?」

「そうよ!」


 彼女はくるりと身体を彼の前へと持っていく。


「シラ嬢の影響?」

「かもしれないわ。何かね、引っ張られるの。そう思ってしまうのが、不思議なんだけど、あのひとには、何か、あたし引っ張られるのよ」

「それは、俺も同じかな」

「あんたも、ナギ嬢見て、そう思ったの?」

「少し違うけど」


 ユカリは思う。アイノの言うところのシラの牽引力は、確かに認める。あのほんの少しの出会いですら、あの「本当に少女」のはずの彼女は、その場に嵐を起こしそうな勢いを抱えている。だが自分の影響されたのは、それではない。


「ナギは、ただもう、強いんだ」

「強いの?」

「ああ」


 そして、決して振り返らない。

 彼女は自分が一人だということを良く知っている。そしてそれを悔やむでもなく、嘆くでもなく、ましてや世界を呪う訳でもなく。


 もうじき何かが変わる。それは彼にとっても確信だった。

 だが、どうやら振り返っている暇は無いらしい。

 たとえどんな世界になろうとも。

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