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第121話 石を壊したかった者

「お前だけだ。私をその様な目で見たのは」

「私はあなたが皇帝だなんて、知らなかった。知っていたら、もう少し、違った道をたどってきただろう」

「そうだろう」


 そして軽く、皇帝はせき込む。大丈夫か、とナギはその背を軽くさすった。


「長くはないのだな」

「そのようだ。母上は上手く、私の願いを聞いてくだすったのだな」


 ナギは手を止める。


「あの岩石を壊したかったのは、あなただったのだな」


 そうだ、と皇帝は微かにうなづく。


「もはやこの時代、人間を越えた存在の皇帝など、必要は無い。それによって、あの連合との格差が開いていくことの方が、どんなに怖いことなのか、誰も気づかない。……いや、気づいているはずなのに、それが、私の名でいつの間にか、縛られている。私の知らないところで」

「私は、あなたがそれを命令していると思っていた。唯一無二の皇帝陛下」

「確かにそうだ。だが私には父上の様な、行動力は無かった…… 言い訳がましいと思うだろう。情けないとも思う。だが、私はできればこの様な地位にはつきたくなかった。政治が嫌であるとかそういうことではない。私は、ただの人間で居たかったのだ」

「それで、政治から逃げたのか?」


 ナギは静かに、だが容赦なく問いかける。そうだ、と皇帝はうなづいた。


「私は逃げたのだ。父の代からの有能な閣僚が、私が即位した時にはまだ多数居た…… 任せておくべきだ、と思った。……私には、父上の様な、支配者の器はなかった」

「そして皇太后さまの様にも」

「そうだ…… 母上の様に、現状を変えて行こうとする意志も、何も……」

「情けないことだな」

「お前だけだ、そんな風に、言ったのは」

「そうだったかな」

「そうだ。あの春の家で、忍びで行った私に、お前は容赦なく罵詈雑言を投げつけたではないか」

「そうだったかな」

「そうだ。そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。だから、私は、ナジャの母である彼女に似ていたことより、お前のことをよく覚えていた」

「愚痴る男は、私は嫌いなんだ。確かにあの時あなたは最愛の奥方を亡くして悲しかったのだろうが、それを悲しむのに何故他の女を抱かなくてはならないのかとな。それに私も気が立っていた」


 乾いた声で、ナギは言った。


「私を、恨んでいるだろうな?」


 皇帝は目を開いて、ナギを見上げる。


「恨んでは、いた。それは間違いない」


 そうだろうな、と皇帝はつぶやく。そして軽く目を伏せる。


「だが、今となっては、どうでもいいことだ」

「そう思ってくれるのか?」

「あなたを恨んだところで、この身体が元に戻る訳ではない。無論あなたのせいでは無いとは言わない。あなたのせいであるのは、確かなんだ。私が延々あちこちを彷徨わなくてはならなかったのも」

「今からでも、私はお前に何かできるだろうか」

「いや……」


 ナギは首を横に振った。


「それでも、こうなってしまったから、会えた人もいる。……もしもこうならなかったら、私はあの町で、ずっと春の家に閉じこめられ、飼い殺しにされていただろう。それよりは、ずっとましだ」


 そしてもう一つのあったかもしれない未来を。


「あの時もしも、あなたが私をそのままここへ連れてきたら――― 私はそれはそれで、閉じこめられ、いつか逃げ出すことばかりを考えたろう。一所に長い間居られなくなったのは、確かに辛いが……」


 ナギは笑みを浮かべる。


「そう悪い、人生でもないだろう」

「そう言って、くれるのか?」

「あなたのために言うのではない。私が、そう思うのだ」


 そうか、と皇帝はうなづいた。


「……しかし何か、私にできることはないか?」

「要らない。この身体があれば、何とでも生きていけるだろう」

「お前は、強いな」

「強い訳ではないが」


 ナギは言葉を止める。そしてほんの少し、何か考えていたが、やがて口を開いた。


「私は、私でしかないからな。誰のためでもない。私のために私は生きたいだけなのだから」


 なるほど、と皇帝はかすれた声でつぶやく。


「お前の様に生きられたら、誰も不幸にせずには済んだろうな」

「不幸になるのは、その者の勝手だ。誰かを陥れられる程に強い力など、実際、誰も持ってる訳ではない。そうなりたい奴だけが不幸になるだけだ」


 皇帝は、それを聞いて苦笑した。


「……この後はどうするのだ?」 

「この後……?」

「あなたには、まだしなくてはならないことがあるだろう。あの石が壊されて、あなたのその身体を維持していく物は無くなった。だからもう時間の無いのは判る。だがその前に、皇帝陛下、あなたはあなたとして、しなくてはならないことがあるはずだ」

「……」

「あなたの後は、どうするつもりだ」

「……考えては、いる」

「ではなるべく早く、そうするべきだな。遅すぎたと悔いるのは、何度もすることではない」


 そうだろうな、と皇帝は微かに笑った。


「……ナジャを、私の元へ呼ぶ様に母上に言ってくれないか」  


 判った、とナギは言うと次の間へ続く扉を開けた。


「話は終わりました。ナジャ皇女を呼ばれるように、とのことです」

「ナジャを?」


 皇太后は微かに目を細めた。


「私が言われたのはそれだけです。用は終わりました」

「待って」


 何か、とそのまま立ち去ろうとしたナギを、皇太后は呼び止める。


「用は、終わったと思います」

「それだけ、なの?」

「それだけ、です」


 それだけを口にすると、ナギはまだ何か言いたげな皇太后の前を通り過ぎる様にして、その部屋からも出て行った。皇太后は女官に、ナジャ皇女を呼ぶ様にと命じた。

 黒い短い髪の、男装の皇女が入ってきた時には、ナギがこの部屋に居たという名残は何処にも見られなかった。

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