「お久しぶりです」
「十日と少しぶりじゃあなくて?」
外見は同じ年頃の女性二人は向き合う。ナギは臆せず、相手の前に進み出る。
そこはひどく静まり返っていた。二、三人の女官も、何処かひどく重苦しい表情のまま、立ちつくしていた。
「どうやら、私のお願いを、ちゃんと叶えてくれたようね」
「できることは、しました。それ以上でもそれ以下でもありません」
「充分よ」
皇太后は、つと立ち上がる。女官達の表情がやや変わったが、ナギがそれに向かって冷ややかな視線を送ると、はじかれたように元に戻った。
「海が次々に霧が晴れて、遠い水平線が見える様になったということよ。内務大臣は、すぐにでも、海上海底の調査を行う、と私に報告してきたわ」
「晴れましたか」
「それを予想していたのでしょう?」
「ええ」
そのつもりで、男爵はナギの正体を皇太后に話したのだ。
「お約束は、果たされるのでしょうか?」
「私のできる範囲ではね。でも、あの娘は、私がどうこう言うまでもなく、それを掴みとるでしょう?」
「無論そうですが」
ナギは当然の様に答える。
「ですが、どんなことでも、保証があると無いでは、大きな違いでしょう?」
そんな口の利きようを、と女官達の表情がひどく渋くなるのにナギは気づく。しかしそんなことは彼女の知ったことではない。彼女にしては、かなりの譲歩をしているのだ。
「そうよね」
皇太后は、ふっと笑った。
「それに、あなたにはそれを私に要求するだけの権利はあるわ」
「ええ」
「私のできる範囲で、保証は与えましょう。元々男爵から陛下に提出はされていたわ」
「ありがとうございます」
ナギは頭を下げる。皇太后は彼女に近づくと、顔を上げる様に言った。
「でも呼んだのは、そのことじゃあないのよ」
こちらへ、と皇太后はナギを手招きした。そして自ら扉を開けると、中へ、とナギを導いた。女官達にはついて来ないように、と皇太后は命じる。
「ここは……」
高い天井、広い部屋。その天井にまで届く窓には、カーテンが引かれている。全く光が入らない訳ではないが、外の鮮やかな明るい光はずいぶんと弱められている。
その部屋の奥に、天蓋のついた大きな寝台が置かれている。
「皆、外で控えていてちょうだい」
皇太后はその部屋に居た者達に、そう命じた。白衣を来た医師と、看護婦と、そしてその部屋付きの従者と内務大臣が、皇太后の言葉で、一斉に向こう側の扉の向こうに消えた。
皇太后は寝台に近づく。そしてそばに寄ると、そこに眠る一人の人物に向かって、ささやく様に話しかける。
「―――目を覚ましてちょうだい」
優しい声だった。それはあくまで、母親が子供に対して掛ける、そんな言葉だった。
そして皇太后の子供は、一人しかいない。
「最後の皇后が、やってきたのですよ」
「さいごの……」
弱々しい声が、広い部屋の中に、揺らいだ。
「いらっしゃい」
皇太后はナギに向かって言う。ナギは軽く目を細めると、それども言われた通りに、近づいて行った。
「お前は……」
皇帝は、ほとんど消えそうな声で、二人にしてくれないか、と母親に告げた。皇太后は判りました、とうなづいた。
「何かあったら、次の間にいるから……」
何か。何かとは何だろう。その疑問は既に意味を持たない。皇帝が明日をも知れない命であるのは、一目瞭然だった。
ナギは一歩――― 二歩――― ようやく首を自分の方へ向けることができるだけの皇帝の側へと近寄る。
「私を、覚えていたか?」
「……ああ」
皇帝は弱々しい笑顔を浮かべる。ナギは腰をかがめて、男と同じ位置に視線を落とした。
皇帝は、若い男だった。少なくとも、外見はそうだった。ナギが、皇太后がそうであるように。時間の中から取り残された様に、その姿は即位した時のままだった。
「……お前のことは、忘れたことが無い」
「私は、そんなに印象深かったか?」
「お前は…… 彼女によく似ていると思った。その髪、その瞳、あの時、そう思った…… だけど、違った」
「……」
「お前は、私を思いきりにらみつけただろう?」
「ああ」
ナギは短く答える。