「遅かったじゃないの」
腕を組んで、焦げ茶色の巻き毛の少女は、まっすぐナギを見据えた。
「遅かったですか?」
くす、とナギは笑う。
「遅かったわよ」
そう言って、アヤカ・シラ・ホロベシはナギの首に両手を回し、そのまま背伸びをすると、口づけた。
ユカリはそれを見ながら、目を丸くした。
判ってはいたのだけど、とそしてそっとため息をつく。
*
彼らが帝都に戻ってきたのは、あの海岸で「落ちてきた場所」の岩石を爆破してから、七日後のことだった。
無論、簡単に事が運んだ訳ではない。海岸という人里離れた場所とは言え、爆発の音は、近隣の町の人々の耳にも入り、それがその近辺にあらかじめ回っていたナギとユカリの消息を訊ねる警察局の不審を招いた。
だがナギもユカリも、とりあえずの目的を自分達が果たしたことは確かなので、それ以上逃げることはしなかった。
取り調べを受ける可能性はあったが、皇太后カラシェイナからの命を受けて動いている証明が無い訳では無かったので、下手な手出しはできないだろう、と踏んでいた。
実際、海南市の警察局は、慌てて二人の素性を高速通信で問い合わせたらしい。ただ、それを皇宮特有ののらりくらりとした反応で返されていたので、なかなかきっぱりとした結果が出なかったらしい。
ナギとユカリは、海南市の警察局に、別々に拘留されてはいたが、どちらも落ち着いたもので、ここしばらくの忙しない日々で疲れた身体を休めるかの様に、時々仕方なしに行われる取り調べの他は、二人ともぼんやりとしていた……
少なくとも、局員の目には、そう見えたのだ。
証明が取れて、二人が局員の警護付きで帝都に向かったのは、拘留されて三日目だった。
久しぶりに顔を合わせたユカリに、ナギは言った。
「さすがに元気だな」
「あなたこそ」
ユカリもそう返した。
そしてそのまま、四日間大陸横断列車の一等に揺られ、二人は帝都の皇宮へと送られた。実際、まず戻ったら、そこへ行くしかなかったのである。
ナギは今度は一等だろうが特等だろうが、文句は言わなかった。当たり前の様に、一等車両の服務員の給仕を受けている姿は、まるで本当に何処かの生まれながらの令嬢にユカリには見えた。
そして、何か、他にご用はありませんかと訊ねる海南市の局員に対し、ナギはこう訊ねた。
「海の様子は、あれからどうなったのか、ご存じか?」
海ですか、と局員は首を傾げた。そのまま車掌室へと向かうと、局員は車内の高速通信を借りたらしく、少しして返答した。
「それが、……霧が消えている、というのです。それで今、海南市だけではなく、沿岸の各都市が、かなりの騒ぎになっているということです」
ふうん、と彼女は答えた。ユカリはそれに対して何も言わなかったが、内心、自分たちの行ったことがどういうことなのか、かなり驚いてはいた。
あれだけのことで、あの霧が綺麗さっぱりと消えてしまったというのか。それを、あの人の頭程度の大きさの「石」が行っていたというのか。
そういうことなのだ、と頭では判っていた。だが実際に起こったことの大きさに、彼は何となく震えがきそうだった。
そして当のナギは、と言えば、それを当然のことの様に受け止めていた。それは服務員の運んでくる焼き菓子やお茶と同じくらい、当然なものであるかのように。
寝台も整った列車で四日揺られた後、二人は帝都の警察局の車で、皇宮へと送られた。その車の大きさと物々しさに、ナギは一瞬不快の色を示したが、それでも行く場所に難癖をつけることはなかった。
言葉を交わすことは少なかった。必要以上のことは、不用意に口にすることは無かった。出がけと違い、周囲の目があった。
そして、ようやく通された部屋では、少女が待っていたのである。
*
「それで、私はどのくらい遅かったですか?」
ナギはシラのあごに指を掛けながら、もう片方の手で彼女の腰を抱いた。するとシラは回した手を、ゆるめはするが離しはせずに、くすくす、と笑う。
「あんたがぐすぐずしているから、あたしは向こうの人を遠くにやってしまったわよ」
「上等。どうやって?」
向こうの人。それがシラの異母弟であるホロベシ男爵の庶子であることは、聞いていたユカリには明らかだった。しかしそれを、遠くに、ということは。
「ここに居る間に、ちょっとした関係を色々な方々と結んでね。その方々の力をちょっとずつ借りたわ」
「ちょっとずつ、ですか」
「そりゃあそうよ。一所に借りたら、返すのが大変だもの」
「そうですね」
くすくす、とナギは笑う。その笑みは、彼が一緒に居た期間の中では、見たことの無いものだった。相手の成果を認め、それを誇りに思うような…… そんな満足した笑みだった。