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第85話 「私と行くなら、私をもっと知れ」

「すみません」

「じゃなくてなあ」


 彼女はカップを置くと、やや苛立たしげに言い放った。


「まあいいさ。そういう風にはしてこなかったんだ? だったらこれからすればいい。何か私に質問は他には?」

「質問」

「私と行くなら、私をもっと知れ、と言ってるんだ。でもそれは命令じゃないぞ。私はあなたの主人じゃない」


 それはそうだ、と思う。手助けはしろ、と言われてはいるが、自分はあくまで皇太后の部下なのだ。この少女の部下ではない。


「でもそれだったら、私もあなたをもっと知る必要はあるな。先に聞こうか?」

「いえ」


 それは困る、と思った。自分達はあくまで隠密の部下なのだ。あまり素性を知られるのは望ましくない、と彼は思う。


「……え…… じゃあナギ、先ほどの話の続きでいいかな?」

「どうぞ」

「上の学校には行く気は無い?」

「私的には、無い」

「何故?」

「まあ別に…… 勉強は何処でもできる。それに、私個人がどうこう言ったところで、資金を出すのは他人だ。その人がどうこう言うかによるな」

「あれはあなたの家ではなく?」

「あれがホロベシ男爵の家ということは聞かなかったか?」


 聞いてはいた、と彼は思う。


「私はあそこの一人娘の勉強相手だ」

「ホロベシ男爵の…… ああ、シラ嬢」

「そう」


 彼女は不意ににっこりと笑った。


「アヤカ・シラ・ホロベシ男爵令嬢。彼女の勉強相手として、私はあの家に引き取られたことになっているんだがな」

「ああ…… だから資金は、男爵家が…… でも、ホロベシ男爵は、つい最近、亡くなったということじゃ」


 彼女はうなづいた。


「死んださ」


 そして彼は、驚いた。死んださ。これは雇用主に対してする言葉づかいではない。思わず彼は眉を寄せる。だが言った本人は涼しい顔で続けた。


「おかげで色々ややこしくなった。困ったものだ。おまけに当のシラさんときたら、捕まってしまうし……」

「捕まって?」


 ますますユカリの眉間のしわは深くなった。


「そう。……って、本当に、あなた聞いてないのか?」

「聞いてって、何を」


 ふう、とナギは首を横に振る。その仕草がまた彼をやや苛立たせる。


「だから何を」

「本当に、知らないんだな?」

「知らないも何も。あなたがホロベシ男爵の令嬢の友達だとは今知ったことじゃないか」

「もう一杯茶をくれないか?」


 低い声で彼女は言った。言われるままに、彼は再び茶を注ぐ。同じ葉を使ったせいか、先程よりは色が淡い。

 そしてそれを口にしながら、彼女は続けた。


「掴まえたのは、あなたのご主人じゃないか」

「は?」

「私が学校を留守にしているうちに、彼女を拉致したのは、あなた方じゃないか!」


 彼女は両手でカップを持つと、声を張り上げた。思わず彼は身体を堅くする。


「拉致? ……そんな、人聞きが悪い……」

「どう言いつくろっても、同じだ。彼女は捕まったんだ。あなた方に!」


 ふと彼の頭の中に、出てくる前にアイノが言ったことが浮かび上がる。芙蓉館に居たのは、第一中等の少女だった。あれが、ナギの言う「シラさん」なのか、と彼は気付く。


「私はちょうど旅先で男爵に死なれてしまったので、その後の始末やら、連合で会わなくてはならない相手とか居たから、なかなか彼女と連絡が取れなかった。連合の辺境の街からやっと高速通信がつながったので、聞いてみたら、学校に居たはずの彼女がいつの間にか副帝都の本宅に居るし。何かよく判らない事態になっていて、今から帝都へ向かわなくてはならない、というからそのまま帝都の屋敷へ行ったら、彼女は来ていないと執事のコレファレスは言うし」  

「旅先? あなたは帝都に来る前に旅行に出ていたのか? 男爵と」

「ああ。ちょっとした用事があってな。ホロベシ男爵は私を連れて、連合で人と会う約束をしていたんだ。ところが私は馬賊に拉致されるし、男爵はその後流れ弾に当たってな」


 ぱっ、と彼女は手を広げた。


「亡くなられたと」

「おかげで連合でも、国境近い都市に約束は変更になったし、遺体を低温保存しなくてはならなかったし」

「―――大変だったね」

「大変は大変さ。それでいて、帝都にようやくやってきたら、シラさんは居ないし、そうなると、今度は葬儀は一体どうなる、という具合になる」

「シラ嬢が喪主ということに?」

「と、なって欲しいのはやまやまなんだが」


 ちっ、とナギは舌打ちをする。


「男爵には、萩野井ハギノイに囲っていた女性が居てな」

「は」


 萩野井市は、帝都に出入りすることのできる人々の家族達が住む副帝都に対し、その別宅を置く場所として裏では囁かれている。

 だがそれは、このまだほんの少女が、さらりと言うべき言葉ではない、とユカリは思う。


「いくらあなたが御令嬢じゃない、と言っても、そういうことはあまり口にすることじゃない、と俺は思うけど」

「私は事実を言ってるに過ぎないぞ。別にだから何ってことはない」

「だけど」

「それに、そんなこと言っている場合じゃないんだ」

「と、言うと?」

「向こうの女性には男の子が居るんだ」


 あ、と彼は小さく声を立てた。それは、致命的だ。


「それにしても、さすがにお腹が空いたな…… 次のトゥリスツクでひとまず降りよう。何かしら落ち着いて食べて、それから捜し物について考えたい」


 そうだね、と彼は答えた。

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