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第84話 早朝の熱い茶

 がたがた、と通路に少し人の出入りがしだしたのを感じて、ユカリは目を覚ました。

 巻いて寝ていた備え付けの毛布を外すと、少しばかり寝乱れた髪をかき上げる。おさまりの悪い黒い髪の毛は、自分と関わった女性達が皆、どうしてこうもまとまりが無いのかしらね、と苦笑してはなでつけるものだった。

 だがしかし、この目の前で眠っている少女にそれは無かった。

 もう、帝都を出てから一昼夜を越えていた。

 ウドゥリシルツク行き都市間列車に乗ってから、それだけの時間が経っている。

 都市間列車と言っても、この北行きの線は、決して帝都近辺を走るそれとは比べてはならない。むしろ、大陸横断列車とよく似ている。

 この20両編成の列車を引く気動車は、帝国が担当する西行きの横断列車「翼嶺ヨクレイ」を開発した時の設計者と会社が担当している。20両の車両の編成も、横断列車のそれをなぞったものだ。

 彼らが乗る二等車は、ちょうど真ん中あたりに位置する。時々乗務員が回ってきて、ポットの湯が足りないかどうか聞いてくる。ナギはそのたびに、熱い湯を足してくれる様に聞いていたことを彼は思い出した。

 窓の外には、ちょうど遠い山地から陽が上る所だった。今までに見たことの無い景色だった。

 ふと熱い茶が欲しくなり、彼はポットを手に取る。すると、その拍子に彼女の毛布に触れ、バランスを崩したそれは彼女の肩から落ちた。

 ああ風邪を引かせてはいけない、と彼は慌てて毛布をナギの肩へと掛けようとする。

 だがその手は止まる。彼女の目が不意に開いた。


「……あ、こ、これは」

「……やあおはよう…… ああ、茶を入れる? 私にも一杯もらえないか?」


 彼女もまた、髪を気怠そうにかき上げた。


「さすがに丸一日乗り続けるというのは、少し疲れるな」

「だから一等にすれば寝台がついていたものを……」

「旅行というものは、疲れるものだ」


 それより茶をくれ、と彼女は言うと、首を回したり肩を上下させたりして、身体をほぐす。


「……ユカリ、今、何処だ?」

「今ですか?」


 湯気の立つ黒茶を入れたカップを手渡すと、彼はカバンの中から、学生の教科書くらいの冊子を取り出した。

 白地に赤や青で文字が華々しく書かれたそれをぱらぱらと繰る。中には数字が所狭しとばかりに印刷された―――鉄道の時刻表だった。


「今、何時?」


 彼は訊ねる。それはかなり素っ気ない口調だろうな、と言いながらも彼は思う。

 別に、もう少し馴れ馴れしく話せない訳ではない。だが、それ以上気安くすることは、彼にはためらわれた。

 殊更に同年代の少女に使う言葉、ということは考えない様にしていた。同年代と言えば、幼なじみのアイノといういい例があるのだが、彼女と話すようにしろ、と言われてもそれは彼には困った。

 アイノに関しては、長い時間を一緒に育った幼なじみだからそうできるのである。いきなり出会わされた相手に、敬語がどうのと言われたところで、いきなり馴れ馴れしい口調で話すということは、彼にはできない。


「五時半だ」


 そしてそれに対するナギもまた、ひどく素っ気ない口調で帰す。


「では、次がトゥリスツク。今はまだその途中というところか」

「トゥリスツクか…… そこは、大きな都市か?」


 カップを持たない方の手で、彼女は窓に腕を乗せる。


「都市、ではない…… な。都市に行きたいのか? ……ナギさん」

「と言うか、そろそろこの辺りだろうな、というのがあるんだが、情報が足りない。情報を仕入れたい」

「情報?」

「そう、情報」

「何に関しての?」

「探さなくてはならないものがあるんだ。だけど、それがどうにも曖昧で……」


 そう言って彼女はず、と茶をすすった。


「ちょっと湯をくれ。濃すぎる」

「濃すぎる? かな?」


 色合いといい、温度といい、彼が普段皇宮の食堂で口にしているものに合わせたつもりだった。


「果樹ジャムとかあればあれでも美味いとは思うんだが……」

「ジャムを入れる?」


 思わずユカリはそう声を立てていた。するとそれを見て彼女はくす、と笑った。


「邪道だ、と言いたそうだな」

「……いや、その……」

「帝都だったらそうだろうな。たぶん邪道だ。黒茶は黒いままに、が本筋だろうな。だが私が居た学都の第一中等は、今でも乳茶は好まれているし、北東の学生は、ジャム入りの茶をごちそうしてくれた。どっちも私は好きだ」

「……なるほど」


 そう答えながらポットを渡す。そしてふと、彼はナギに問いたくなった。


「聞いてもいいかな?」

「どうぞ? あなたは仕事で、それが仕事に役立つと思うのだろう?」

「そうだけど」

「だったら聞けばいい」


 何となくその言い方には少し棘を感じたが、関心はそれを上回った。


「帝立第一中等の生徒さんだったね?」

「ああ。本科の二年だ」


 帝国の学制は、初等学校の予科本科の六年のみが義務教育である。

 その上の中等学校・高等専門や大学校はそれだけの余裕が家庭にある者や、能力が優秀で、それなりの援助を国なり個人なりから受けられる者しか行くことはできない。


「では来年卒業ということか。高等専門には進むのかい?」

「や、どうだろう」

「しかしあの家だったら、その気があれば。あなたは首席なんだろう?」

「その気は無くは無いが、……ああ、そういえばユカリあなた、私のことを大して聞いていないのだったな。何で聞いていないんだ?」

「え?」

「あなたの仕事は、私の手助けをするということなのだろう? その相手のことを知らずして、どうして手助けなどできる?」

「それは、あなたが誰であっても」

「かもしれないが、それでは行き当たりばったりだろう。時には次の行動を読んで居るくらいの方が頼もしいが」


 彼は思わず言葉を無くした。確かにそうだ。

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