座席指定の券がこれほど取るのに厄介なものだ、とユカリは知らなかった。
確かに指定を取らなくても乗り込むことはできる。ただそれは堅い椅子の三等車であったり、椅子が無く、床に直に座る四等車の場合だ。
彼らの持つ自由券は、そのどちらかだったら、指定などなくとも勝手に乗り込むことはできる。
だが無論そんな券を持つ者は、そんな三等四等に乗るということがまずなかった。
正直言って、特等一等でも良い、と彼は思っていた。何せ、皇太后さまから側に付くようにと言われた少女である。彼同様、資金も充分用意されているはずだった。
だが、ナギが列に並んだのは、二等だった。
少し裕福な庶民の乗り込むその車両は、個室式ではあるが、寝台はついていない。それに気付いた時、ユカリは訊ねた。
「大丈夫なんですか? 何日も走るのでしょう?」
「敬語は嫌いだ」
個室に落ち着いた一声がこれだった。
「は?」
「敬語は嫌いだ、と言ったんだ。話すのも、話されるのも」
「それは……」
「だいたい私が誰か、ということもユカリ、あなたは知らないのに、どうして敬語など使う? あなたの目の前に居るのは、あなたの知る限り、ただの女子学生じゃないか」
トランクを自分の座席の横に置くと、ナギは腕と足を組んだ。
「しかし、あなたは私の主が手助けするように、と言われた方ですから……」
「そう、だからユカリ、あなたがあなたの主、あの方に対して敬語を使うのは正しいさ。だけど、私はただの学生だ。それ以外でもそれ以上でもない。少なくとも今は。だからあなたもただの学生に対して喋る様に喋ればいい、と言っているだけなんだ。……まだ若いのに、それじゃ老けるぞ」
「は?」
「……と言っても、私の喋り方も悪かったかな。すまない」
「い、いえ……」
「言おうと思えば、こう言ったりもできるが? お気に召さない?」
可愛らしい口調に急に変わる。だが直後、再び首をかしげ、口を尖らす。
「どうにもそれも違う気がするし…… まあ、嫌なら言ってくれ。それなりに修正する」
「修正する必要は無いですが…… えー…… 無いけれど」
くす、と彼女は笑みを浮かべた。
「その調子」
「行き先は、ウドゥリシルツクなの…… かい?」
「いや」
彼女は首を横に振った。
「行くことが目的では無いから、あくまでその方向へ向かいたいんだ。……ああ、もしや、ユカリ、あなた私の行く目的を、あの方から聞いていない?」
「目的……?」
ですか、とつけそうになって慌てて彼は思いとどまる。何となく、かつて長が戸惑ったであろう気持ちがよく判る。
「そうだ目的。私は私で、あの方の『お願い』を聞いて動いているんだが、……知らないのだろうな」
「ええ」
彼はうなづいた。
そうか、と言うと、彼女は車両に乗り込む前に小銭を出して買っていた菓子の袋を広げた。
食うか? と差し出すので、彼ははい、と一つつまんだ。
かり、と堅い歯ごたえの後に、香ばしいごま油の匂いと、甘い味が口の中に広がった。
「知らないのか」
そして彼女もまた一つつまみ、ぱき、と音を立ててかじる。
「それじゃ目的だけ言っておこうか」
彼は思わず背筋を伸ばした。
だが、その耳に飛び込んできたのは。
「私はな、ユカリ」
彼は自分の耳を一瞬疑った。
「この帝国を終わらせに行くんだ」