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第74話 帝国の服飾史

「母は、どういうひとでしたか? あなたから見て」

「そうね」


 夫人はつ、と引かれるように肖像画を眺める。シラに良く似た、だけどシラよりは邪気の少ない、作りではない笑顔がその上には描かれていた。


「可愛いひとだったわ」

「それは聞きました」

「私達は、小さい頃から仲良しだったのよ。そしてそれはずっと続いたの。それこそ貴女方が今居るような中等学校までね」

「……」

「私はずっと彼女を守ってきたわ」


 どういう意味か、はシラにも容易に想像がついた。


「だけど所詮私は、彼女の家からは、彼女を守れなかったわ」

「家から」

「結婚よ。彼女は高等科の途中で辞めさせられ、マキヤ・ホロベシと結婚させられた。全然顔も知らなかったというわ」


 そんなものだろう、とシラも思う。この程度の身分の者はたいがいそうだ。下手すると自分もこのままだったらそう遠くない未来、そうさせられていただろう。

 幸か不幸か、男爵が死んだせいで、その可能性は遠くなってしまったが。

 とりあえず客間に、と案内したら、そこには既にお茶の支度がされていた。そしてそこにはマンダリンとフィネが待ちかまえていた。


「お話があるから、下がっていてちょうだい」


 かしこまりました、と二人は一礼して下がろうとする。だがきっと扉の外で聞き耳立てているに違いない。

 ナギならきっと、聞かれようが何だろうがどうでもいいことだ、と言うだろう。だがあいにくシラはそこまで割り切れてはいない。

 そんな訳で彼女は扉を開け、立ち去ろうとする二人の背中にこう言葉を投げた。


「……あ、二人とも、旅行用の大きなかばんを捜しておいてちょうだい。向こうの対の戸棚に入っているはずの、焦げ茶色の奴よ」


 二人の小間使が苦い顔を見合わせたのは言うまでもない。

 とりあえず重要な件を棚上げしておけば、黒夫人と会話するのは非常に楽しいことだった。

 何しろ彼女は話題が豊富だった。それこそ副帝都の最新モードから絵画、演劇、音楽、文学といった芸術部門、帝都とその付近の地理、現在の帝都の状況等々、切り出す話にあいづちを打っているだけでも勝手に時間が過ぎていく。

 気がつくと、ポット一杯に入っていたお茶が空になっていた。皿に盛ってあった卵色の丸いさくさくとした焼き菓子が半分姿を消していた。


「それにしても、美味しいお菓子ね」

「うちの調理長は腕がいいですから」

「そのようね。昔からそうだった」

「ご存知なんですか?」

「昔はよく遊びに来たからね」


 そう言えばそうだろうな、とシラは思う。昔の母の「仲良し」なら、家までやってくることが度々であってもおかしくはない。


「男爵がいない時のこの屋敷は結構居心地が良かったから、私も来たものよ」

「そうですか……」

「それにしても、その制服もだんだん時代遅れになってきたわね」

「そうですか?」


 シラは自分の制服に視線を走らす。


「そうよ。だんだんそういうふくらんだ袖は姿を消しつつあるわ。まあ今私の着ているような、こういうウエストは所詮流行だと思うけれど」

「ずいぶん下に取っていますね」

「そうね。締め付けない服がこんなに楽だとは思ってもみなかったわ。私は好きよ。でも流行に終わるでしょうね」

「そうですか?」

「そう思うわね。だけどそれが無くなるという訳ではないのよ。主流にはならないけれど、残るものではあるとは思うわ」

「主流はやっぱりウエストを締めるものですか?」

「締め付け、はしなくなるとは思うけれどね。一度動きやすい、楽な服を知ったら脱げないものよ。だからきっと、その中間」

「なるほど」

「でもその制服は変わっているわね」

「え、そうですか?」

「そうよ」


 ゆったりと彼女は微笑む。


「服飾史は学んだ?」

「家政学の教科書の程度には」

「じゃあ話は早いわね。もともとのこの国の、この地方独特の形というものはご存知よね?」

「ええ。ハイカラーに真ん中開きの上着。男も女も、中にズボンを履き、その上にスカートを巻き付ける形…… 元は同じと聞いています」

「それは帝国の歴史以前の話よね。では帝国になってからは?」


 何となく家政学の口頭試問を受けているような気がしてきた。


「初期はそれでも大して変化はない、と聞いています。ただ、帝国が統一に向かうにつれ、都市に住む者には男女差が現れてきました。その顕著な例が、それまで男女両方とも両方身につけていたスカートとズボンが、女にスカート、男にズボンと分化されてきました」

「そうね。それがまず大きな変化だったわね。では次の変化は?」

「三代の陛下の御時。帝国領土に新しく加わった『桜』の様式が加わりました。その例としては、女子の衣服の右開け・重ね着・袖の広がりなどが上げられます」

「そうね。枝垂桜様式の一つだわ。それに加えて、『桜』の衣服は帝国のもともとの地域に比べ、ずいぶん色も豊富だったし、それでいて洗練されていた。……何かと文化的な面で劣等感を持っていた帝都や副帝都の人々は、争ってその様式を取り入れたわ」


 シラもうなづいた。帝国の統一の際、最後まで抵抗した藩国「桜」は歴史も古く、文化的には新興の帝国などよりよほど洗練されたものを持っていたのだ。


「で、次の変化は?」

「向こうの『連合』と国交が開かれた時」


 それは現在の皇帝の一つ前の代の時だった。まだその初期のことである。だいたいこの時点から考えて二百年程前と考えてよい。


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