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第56話 真田の仕置き

「お前が真田大助か?」


 俺は六郎や十蔵に支えられながら、なんとか重信に礼を取った。斬られた左脚がズキリと痛み、思わず顔が歪む。


「は、はっ。真田信繁の嫡男、大助にございます」

「私が安藤重信だ。……無理をするな。傷は深いのか?」

「いえ、大したことはございません。それよりも安藤さま、どうかお願いがございます」

「何だ?」

「私はいかように処されても構いません。貴方のご裁断に従いまする。ただ、この村の者たちは何の罪もございません。どうか、どうか寛大なるお取り計らいをお願い申し上げます」


「わ、若……」


「真田よ。私がわざわざ山を越えてこの山村まで足を運んだのは、お前という男を見極めるためだ。『大阪の陣』を生き延びた残党が、どんな村で、どんな人々と、どのように暮らしているのか ─ ─ この目で確かめておきたかった」


「見ての通りでございます」


 俺は草原を囲む領民たちに目を向ける。


「うむ。つまらん男なら捕えるつもりでいた。だが……見ろ、皆がお前を心から案じている。この領民たちの顔を見れば、すべてが分かる。ここへ来る道中でもな、役人から色々と話を聞いたぞ。お前はこの村のために精一杯、生きてきたようだな」

「はい。落ち延びた私を、村の皆さんは温かく迎えてくださいました。私はこの村に来られたことを、心から感謝しております」

「うむ、うむ……では、これからも村のために励むがよい」


─ ─ えっ!?


「上様にとって『真田の仕置き』など、もはや取るに足らぬことだろう。天下はすでに泰平、今さら徳川に弓引く者などおるまい。……ただな、『宝刀』だけは別だ。あれは争いの火種となる。放っておけば、また血を呼ぶ。だからこそ、将軍家が預かる。それでよいな?」

「はっ」

「それともうひとつ、お前の身の振り方だが ─ ─ 次の藩主に任せることにした。悪いようにはせん」

「……あの、それは一体」

「ふふ、お前もよく知る殿さまだ。楽しみにしておけ」


 重信は含みのある笑みを浮かべながら、ふと草原の片隅に目をやった。お久とお雪が薬草を手に控えている姿が目に入る。

「よし、傷の手当てをしてやれ。遠慮は無用だ」

 手招きする重信に、お久たちは慌てて駆け寄る。

「ではな、真田大助。お前と会うことは、もう二度とあるまい……」

 そう言い残し、重信は足軽隊を引き連れ草原を後にした。


「大助さま、大丈夫ですか!?」

「まったく、ヒヤヒヤさせるんじゃないよ!」

 女衆に手当てを受けながら、少し騒がしい空気の中で、俺は安藤重信らの一行が遠ざかっていく姿を、いつまでもじっと見つめていた。


 安藤対馬守重信(62歳)

 徳川秀忠に仕える老中であり、上野高崎藩五万六千石を領する大名。幕府中枢で発言力を持つ幕閣の実力者としても知られる。

 福島正則の改易に際しては幕命を受け、広島城へ赴き、その後の処理を一手に担った。そして、その三年後に死去する。


「あ、安藤さま……本当にこのままでよろしいので?」

「何がだ?」

「儂の配下が、あの服部半蔵に寝返ったのですぞ。これは幕府に刃向かったも同然では?」

「ふん、それはお前の内輪の話だ。『宝刀』は無事、手に入った。福島正則も追い払った。そして真田信繁はすでにこの世におらぬ。もはや芸州を監視する理由もなければ、半蔵ごとき一匹狼を追う必要もない。全ては予定通りだ。……さあ帰るぞ、長門守」


 そのやりとりを、道順は草陰にしゃがみ込みながら、ぎらりとした目で舌なめずりしつつ聞いていた。血に染まった袖口を何度も撫で回し、にたりと歯を剥く。


「ククク……半蔵よ。今日はこの場を引いてやるが、このままでは終わらんぞ。内輪揉めの泥仕合、存分に楽しませてもらうわ。ひゃっはっはっは!」

「いつでも相手してやるさ、道順。せいぜい長生きしろよ」


 道順はその帰路、傷口が腐り果て、苦悶のうちに命を落とした。半蔵のクナイには、服部家秘伝の毒が仕込まれていたのである。


 一方、藤林長門守も江戸に戻ってほどなく、持病の悪化と心労により、静かに息を引き取った。

 かつて「伊賀の長」と恐れられた影は、誰に看取られることもなく、音もなく歴史から消えたのだった。




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