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第53話 老耄の癇気

 草原で六郎と十蔵が土を掘り返し、埋められていた木箱を引き上げる。俺は蓋を開け、宝刀を両手で握りしめると、藤林へ突き出すように掲げた。


「これが、秀頼公から賜った宝刀だ! 今ここに、幕府へ献上する!」


 藤林は喉の奥でカラカラと笑った。

「……よこせ」


 俺は迷わず、側に控える伊賀の者へ宝刀を差し出した。よく見ると、その手を伸ばしたのは「お紺」だった。彼女は無表情のまま、淡々と藤林に宝刀を渡す。


 すると彼は、枯れ枝のように節くれだった指で鞘を撫で回した。その皺だらけの指先が、豊臣家の家紋を何度も何度もなぞる。やがて「ひひっ」と笑いを漏らし、ゆっくりと鞘から刃を抜く。

「なぁるほどぉ……これが一国を超える価値があるという宝刀かぁ……」

 ねっとりとした声音が耳にまとわりつく。濁った目が刀身に映る己を舐めるように見つめ、舌で唇をひと舐めした。


 次の瞬間、この老人は突然、腰をひねり、宝刀を高く掲げたかと思うと ─ ─ ぐるりと奇妙に身体を回転させ、円を描くように空を斬る。

「軽い! 何て軽さだ……まるで我が腕の一部のようよぉ!」

 狂気じみた笑いと共に、藤林は宝刀を振るう。その度に骨ばった身体がぎくしゃくと歪み、まるで人形が糸で操られているかのような異様さを放っていた。


「あぁぁ、これで儂も無敵じゃぁ……まだまだ死ねん、まだまだ生き永らえてやるわぁ……!」


 宝刀を手にした老人は、まるで憑りつかれたように刃を愛撫する。その指先は異様に震え、口元には薄気味悪い笑みが貼り付いている。


 ふいに彼は俺の正面へぬるりと向き直り、構えを取った。

「聞いたぞ、大助ぇ……この宝刀で徳川の足軽を次々と撫で斬りにしたそうじゃなぁ……ふふふ……ふひひひっ」

「……だから何だ」

「決まっておろう。儂も試してみたいのじゃ。この宝刀の ─ ─ 斬れ味となぁ!」


 その言葉を合図に、伊賀の者たちは一斉に間合いを取り、身を低く屈めて戦闘態勢をとる。やはり、穏便に済むはずもなかった。


 周囲から領民の悲鳴が漏れた。芸州組を含む八人の忍びが俺たち三人を包囲し、獲物を追い詰めるように、じわじわと間合いを詰めてくる。

「六郎、十蔵、手を出すな!」

「……心得ました、若」

「ひひひ……一人で抗う気か。いいだろう、愚か者め。兵など要らぬ。お前如きこの儂一人で、たっぷり味わってやるわ……ひひひひ」


 半蔵の「策」通りの展開になった。できれば、ここで芸州組の裏切りが露見するのは避けたい。だが、相手は老耄おいぼれとはいえ伊賀の頭領 ─ ─ まともに戦って勝てるはずもないだろう。

 おそらく藤林も、上使安藤の沙汰を待たずに俺を斬り捨てるような真似はしないはず。そう踏んでの対決だが……目の前の老人は、まるで瘴気でもまとったかのように不気味で、その考えが甘すぎた気がしてくる。


 俺は深く息を吸い、震える手を押さえつけるようにして、ゆっくりと刀を抜いた。


「フン、遠慮は要らんぞ。真田大助……ふひひひ」


 その声と同時に、藤林の姿がスッと霧に溶けるように消えた。瞬間、背筋を氷の刃が撫でるような悪寒が走る。振り向きざま、背中をかすめる鋭い刃。間一髪で身をかわしたものの、彼はすでに次の一撃を放っていた。


「カキィンッ! キン、キン、キンッ!」


 縦、横、斜め ─ ─ まるで蛇が身をくねらせるように刀が唸る。必死に受けるので精一杯だ。その軌道はどれも不規則で、狂気に満ちた舞のよう。とても読み切れるものではない。


 これが九十年、生き抜いてきた者だけが纏う、底知れぬ恐ろしさなのか。


 ふと、藤林の動きがピタリと止まる。薄笑いを浮かべたまま、背筋をゆっくりと軋ませながら首だけをぬるりと回し、俺を見据えた。

「なあ、大助よ……ひとつ、聞いておきたいことがあるんじゃわ」

「……何だ」

「宝刀にまつわる伝説でな、『念仏』のことは知っておろうのう?」

 彼が口の端をゆがめ、ねっとりと問いかける。

「……ああ、知ってる」

「教えろ」

 声はささやきにも似て、耳の奥にまとわりつくようだ。

「……」


 念仏を口にすれば、即座に斬られるかもしれない。逆に「内容までは知らぬ」と言えば、この老人は諦めるのか? いや ─ ─


 俺は迷った。


 そもそも、この化け物じみた老人は、本気で伝説を信じているのか? あるいは、信じるふりをして俺の心を切り崩そうとしているのだろうか……。





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