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第51話 風雲急を告げる

 夕暮れが迫り、俺と六郎、十蔵は仮小屋のそばで薪を積んでいた。ふと六郎が手を止め、周囲を見回す。

「今、何か……」

「風の音じゃないですか?」

 十蔵が笑うが、六郎は胸騒ぎを覚える。風がぴたりと止み、森に不自然な静けさが広がっていた。


 ヒュンッ ─ ─ 鋭い音が背後から響く。振り返ると、黒装束の男が木の幹に立っていた。月明かりが額当ての「服」の文字を浮かび上がらせる。

「半蔵……!」


 男は影のように音もなく地面に降り立つと、低く告げた。

「急ぎ知らせがある」

 空気が一変する。

「何があったんだ?」

「広島城が軍勢に取り囲まれている」

「なっ、何だと!?」

「半蔵殿、戦が始まるのですか!? まさか、大夫さまの謀反では……!?」


 六郎が青ざめた声を上げるが、半蔵は首を振った。

「それは違う。お紺の話では、大夫正則は武家諸法度違反の咎で転封を命じられたそうだ。幕府の上使が開城を求め、軍勢を派遣したと聞いた」

「そ、そんな……本当ですか!? わ、若、一大事ですぞ!」

「大夫さまが転封……」

 一同に重苦しい沈黙が落ちた。それはあまりにも突然の出来事だった。 


 僅か半年前、大夫さまに接見し、「この芸州で励め」と激励を受けたばかりだ。とても信じられない。

 だが、もしそれが現実なら、ある不安が脳裏をかすめる。

─ ─ 藩主が代われば、すべてが白紙に戻るのではないのか……?


「半蔵、武家諸法度の違反とは何だ?」

「どうも幕府の許可なく城を修繕したことが秀忠の怒りを買ったらしい」

「では、修繕に携わった国宗家も処罰を受けるのか!?」

「それは分からん。だが、それより驚くべきことがある」

「これ以上まだあるのか!」

「幕府の上使が安藤重信だ」

「安藤……?」

「お前は知らんだろうが、真田親子の仕置きを任された黒幕だ。そして、伊賀の頭領・藤林長門守も芸州へ同行している。……これが何を意味するか、分かるか?」


─ ─ 捕らえられる。あるいは殺されるのか!?


 俺は愕然とした。


 ようやく野分の被災から立ち直り、希望が見えてきた矢先だ。何という運命……落武者である俺は幸せになれないのかっ! 



 一方、広島城と三原城は江戸にいる正則の指示を待ちながら籠城の構えを見せ、一触即発の緊張が続いていた。しかし、正則の開城の命が届くと、戦うことなく整然と城の明け渡しが行われたという。

 ちなみにその後、福島正則は転封先の信濃国高井野で、5年後に死去した ─ ─ 。



 そしてついに恐れていたことが……。


「真田殿、山村へ幕府の上使が ─ ─ !」

 代官の梶山が、慌てて「離れ」へ駆け込んできた。


 広島城に滞在している安藤重信が、俺の検分を名目に足軽三十名ほど引き連れ出発したと聞いたのは初夏のことだ。もちろん、藤林長門守やその配下の伊賀者たちも同行しているはずだ。


「離れ」では、六郎と十蔵が忍び装束で万が一に備えていた。さらに、忠次郎や忠吾郎ら国宗家の面々に加え、噂を聞きつけた山村の主だった領民たちも続々と集まってきていた。


 俺は死んだことになっている ─ ─ それなのに、なぜ問答無用で見分を?


代官梶山さま、上使がわざわざお越しになるとは、どういった了見でしょう? 死んだことの嘘が露見したのですか?」

「い、いや。我々は何も聞かれてないし、何も言っておらん。突然のことで……」

 梶山は慌てて弁明する。


「……露見した経緯はわからぬが、目的は俺を捕らえるためだろう」

「そ、そんな……!」

「若、いかがなさいます? 一戦交える手もありますし、『逃げる』という道もございますぞ」


 そこへ、お久が荷物を抱えて駆け寄ってきた。どうやら、あらかじめ支度を整えていたらしい。

「大助さま、これを持ってお逃げください!」

「お、お久……」

「命を……命をお守りください!」

 お久の瞳には涙が浮かんでいた。

「こんな日がいつか来るのではと、覚悟しておりました。どうか……どうか、お逃げくださいませ! うっ、ううっ……うわーーっ!」

 そう言って、その場で泣き崩れる。

「……いや、それでは俺をかくまった国宗家に迷惑がかかる」

「若……では、どうなさるのですか?」

「まずは相手の出方を見極めるしかない」


 俺は腰に差した秀頼公の刀をそっと握りしめた。大夫さまからは「飾っておけ」と言われていたが、どうしても手放せなかったのだ。

─ ─ 恐らく、これが最大の目的だ。宝刀を渡すだけで済めばいいが、問題はそのあとだ……。


「離れ」を出た俺と六郎、十蔵は、街道沿いに広がる草原へと向かった。半蔵と落ち合うためだが、そこにはすでに半蔵が待っていた。


「小僧、芸州の伊賀の者は全員私の配下だ。藤林の指示通りに動く素振りは見せるが、いざという時は動かない。心配するな、策はある。六郎たちも合図があるまで無闇に動くな」

「半蔵殿、その策とは?」

「まず、刀をここに埋める」

「つまり、おびき寄せるということか?」

「ああ。そして ─ ─ 」


 正直、何の案もなかった俺は半蔵の策に乗ることにした。いずれにせよ、戦いは避けたい。六郎や十蔵を巻き込みたくないし、国宗家や山村にまで迷惑をかけるわけにはいかない。


 俺は、命を懸けてでも平和的な解決を望んでいた。








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