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第50話 芸州を揺るがす事件

 元和5年(1619年)4月。


 あれから半年が経つ。野分で甚大な被害を受けた神田の縄張りは、山村の領民たちと共に復興を進め、ようやく廃城跡での避難生活から元の暮らしへと戻っていた。無論、かつての姿には程遠いが、本百姓たちは仮設の小屋に身を寄せ、分配された田畑を耕しながら秋の収穫を心待ちにしていた。人々は、再び生きる希望を取り戻しつつあるのだ。


 俺は村方三役の計らいで広大な大豆畑を手に入れ、国宗家の「離れ」と仮小屋を往復する、忙しくも充実した日々を送っている。その仮小屋には、十蔵と身寄りのない源、和が共に暮らしていた。


「味噌をこの村の名産品にしようと思ってるんだ」

「ほう、味噌ですか」

「十蔵、若の作った味噌は殿さまからお墨付きをいただいているんでな」

「そうでしたか。では私も大豆を育てながら暮らしていきますかねぇ」

「太平の世だ。それもよかろう」


 我らは敗軍の身とはいえ、もとは武家の出。しかし、もはや戦は起こらない。これからは何かを生産し、生きていくしかないのだ。

 俺はここで村の警護にあたり、道場で剣術を教え、さらに「味噌」を作って生活の糧としたいと思っていた。


─ ─ だが、そんなささやかな夢はもろくも崩れ去る。まさか、この後に大事件が起ころうとは、知る由もなかった……。




 広島城の本丸、二の丸、三の丸および石垣の修繕を国宗家の職人たちが終えた頃、福島正則は江戸の上屋敷へ戻っていた。そこへ、将軍秀忠の使者として幕臣・阿部正次が突然訪れる。


「大夫殿、上様のお許しも得ずに勝手な城普請は困りますな」

「なんじゃと? 普請ではないわ。野分の被害を受けたゆえ、雨漏り修繕をしただけじゃ」

「修繕と称した普請でしょう。いずれにせよ、無断で行ったことは武家諸法度に背きますぞ」

「なにを言うとんじゃ! 本田正純殿を通じて許可は得とるわ!」

「では、奉書(将軍の許可状)を拝見させていただこう」

「……なっ、そ、そんなもんはない。あ、正純殿が持っとるんじゃろ」

「……大夫殿、時代は移り変わっております。本田殿にかつての権勢はもうございません。相談相手を誤ったようですな」


 阿部の冷ややかな言葉に、正則は歯噛みしながらも反論できず、その場に沈黙が落ちた。


 福島正則は時勢を読み誤っていた。老中の本田正純は、後ろ盾であった家康とその側近・正信(正純の父)の死後、将軍秀忠と側近の土井利勝らに疎まれ、影響力を大きく失っていたのである。

 結果として、正則に他意はなかったと判断され、修繕箇所を破却することを条件に処分は免れた。その一方で、秀忠は正純に対して、より露骨な政治的排除を進めていく。


「くそっ、面白くないわ!」

「だから言わんこっちゃないんです!  詰めが甘いんですよ! 政争の御先棒を担いだようなもんじゃありませんか!」

「ああ、知らん知らん! 四郎兵衛よ、儂は破却などせんぞ! 馬鹿馬鹿しいわ!」

「何を仰るんです!? 幕命に逆らうおつもりですか!?」

「ふん、石ころ一つ動かすのに将軍さまの許しがいるのか!? 何が武家諸法度じゃい!」

「大夫さまは福島家をお潰しになるおつもりですか!」


 正則は四郎兵衛の必死の嘆願に折れ、本丸のごく一部だけを渋々取り壊した。しかし、二の丸や三の丸にまで手をつけるつもりは毛頭なかった。さらに、幕府から命じられていた嫡男・忠勝の江戸参勤(人質)も意図的に遅らせ、幕命を軽んじる態度を見せていた。


 流石に堪忍袋の緒が切れた秀忠は、安藤重信をはじめとする重臣を召集し、ついに決断を下す。

「馬鹿な男だ。……まあ、これで潰せよう。やっとコブが取れたな」

「上様、見せしめにはうってつけでございます」


 6月2日。

 正則は安芸・備後50万石を没収され、信濃国川中島四郡のうち高井郡4万5000石(高井野藩)への減転封を命じられた。


 幕命を受けた中国・四国の大名たちは広島城の明け渡しに備えて出陣し、ついに広島城と三原城を包囲する事態へと発展した ─ ─ 。




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